マネジャーがリーダーシップの邪魔をする理由

これはまさに、一流のマネジャーが昇進してリーダーとしての信頼を失うという「ピーターの法則」を、地でいっているようなものだ。

リーダーシップが見えない

マネジャーというのは、問題解決と実践を行うことがその最大の役目である。与えられた課題をいかにマネジメント(管理統制)していくかが、その仕事だ。

だから、目の前にある問題を整理し、さまざまな事情を考慮したうえで、とるべき選択肢を狭めていく。冷静な分析能力とか、前例に沿ったそつのない計画立案の能力が必要となってくる。それに加えて、組織と人事を動かす実行力が試される。

一方、リーダーというのは、将来に直面する問題と向かうべき方向を示していくのが、その役割だ。前例なき不確実な環境の下で、問題をいち早く発見し、将来の方向を定めて、可能性を広げていくこと。そして、将来像の実現に向けて、メンバーが自発的に取り組んでいけるよう、陰日向に影響をもたらすことが大事だ。

要するに、業務をきっちりと正しく実行するのがマネジャーの役割であり、リーダーの役割は、何が正しいことなのか、組織としてなにを求めていくのか、その方向を定めることなのである。

本来であれば、組織のリーダーはリーダーシップを軸にして選んでいかなければならない。マネジャーにリーダーシップを期待するのではなく、マネジャーの中から、これまでの実績やマネジメントの能力ではなく、リーダーシップをメインに決めるのがよい。

けれど、そもそもリーダーシップは見えない。リーダーシップは海外の発想であり、自生しない。その証拠に、いまでもカタカナ語が使われている。ごはんと味噌汁に慣れているわれわれにとっては、なかなか腹落ちしないものだ。

だから今、東洋の視点から、日本的なリーダーシップを考え直していかなければならない。

こころが動けば

リーダーは未来への関心を持つ。組織や社会の未来のありようを、頭の中にくっきりと描くことができる。まるで、水晶玉を前にした占い師のように。そして、思い描いた未来像をビジョンとして、言葉や絵や数字を使って、人々のこころの中にしっかりと伝える能力を持つ。

その未来は、ファンタジーアニメにあるような、ハラハラする危険に満ちたディストピア(暗黒郷)ではない。多くの人を引きつけて止まない、ワクワクするポジティブな将来像である。

福島県のJヴィレッジで復興五輪のための聖火リレーがスタートし、「日本全国に1つひとつ希望を灯し、暗闇の先の一筋の光として、希望の道をつないでいく」と、オリンピック組織委員会の橋本会長が語った。どことなく来賓の挨拶のようで、具体感を持たない希望はむなしく響く。

ビジョンというのは、リーダーの頭のなかで夢想された、独りよがりの思惑ではない。利他的で社会性を持ってこそ、ビジョンたりえる。そして、フォロワーの頭の中で、ありありとしたイメージを結ばなければ意味がない。

スピーチライターが作った当たり障りのない言葉や一般論ではなく、リーダー自らの言葉で語らなければ、こころに届くことはない。周りに伝わり共感されてはじめて、ビジョンに変わるのだ。

ビジョンとして語られる未来像は、現状の延長としての事業計画だったり、義務と責任を伴う必達目標でもない。決して数字や計画ではないし、また、「べき論」で語られる理念や道理でもない。計画や目標はマネジャーの守備範囲だ。

リーダーは、前例やこれまでの経緯ではなく、何よりも未来に目を向ける。未来は過去の延長にない。過去から推論して理性的に考えても、未来はわからない。過去の成功にとらわれたり、データという過去の積上げから論理的に考察しても、できない言い訳ばかりになってしまう。