40歳「実話怪談」をメジャーにした男の大逆転人生

「将来的に正社員になれる」

という約束で雇ってもらえた。

だが「即戦力にならない」という理由で、試用期間半年で首になった。しかも会社の都合で解雇したとなると、問題があるため

「自分の都合で辞めたってことにしてくれ」

と言われた。

吉田さんは強く憤りながらも、了承するしかなかった。

「その出版社に対しては、いまだに遺恨を抱いています」

その後、生活にはさらに大きな転機が起こった。

■自殺を考える日々から怪談に魅了されるように

結局、高尾の実家に引っ込むことになる。

「毎日毎日、自殺を考える日々が続きました。このときがまさに人生のどん底でした」

そんな2005年、吉田さんはたまたま、稲川淳二さんの怪談ライブのチケットを2枚手に入れた。高校時代からの友人である、今仁英輔さんを誘って2人で観に行った。

そして2人とも、稲川淳二さんの怪談に魅了された。

「終わってすぐに

『実話怪談すごいな!! 実話怪談やりたいな!! 実話怪談やろうぜ!!』

という話になりました」

吉田さんはこの日、

「実話怪談は自分の一生のテーマになる」

と直感したという。

実話怪談って

『人が不幸の中で亡くなり、その死のせいでさらに多くの人が不幸になる話』

みたいな暗い話がほとんどです。

とにかく、当時の私は人生のどん底にいました。そんな絶望の淵にいたからこそ、私は実話怪談というコンテンツに引き寄せられたんだと思います」

ただ運命は感じたものの、すぐに仕事になると思ったわけではなかった。とにかく、みんなで実話怪談を話したかった。

そこで吉田さんは「とうもろこしの会」という怪談サークルを立ち上げた。中野区などで居酒屋を借りてそこを会場にした。

当時はやっていたSNSのミクシィ(mixi)で呼びかけて集った人たちや、今仁さんがやっていたバンド関係の知り合いなど、ほとんど初対面な面々が15人くらい集まりひたすら実話怪談を話して、そして聞いた。

「当時は今ほど実話怪談が認知されていなかったので、実話怪談ファンは飢えていました。『こんなにも怪談好きっているんだ!!』

と驚くくらい、スムーズに多くの人が集まりました」

当時、吉田さんは婦人画報社の編集部でアルバイトをしていた。編集者に頼まれて出版デザイナーの事務所に行ったり、原稿を運んだり、都内を移動する機会が多かった。

「東京都内の用事はひたすら歩いて移動しました。歩くのが好きだし、速いんです。それで交通費を浮かせることもできました(笑)」

歩いていると、都内の坂や暗渠の場所を把握できた。神社や祠などいわくつきの場所にもずいぶん詳しくなった。その情報を自分のネットラジオで話したりもした。

「東京都心の土地にまつわる実話怪談は、現在の私のメインの仕事になっています。アルバイト時代に歩き回った経験が生かされてますね」

ちょうど、怪談業界も若手を求めていた。吉田さんはうまく時流に乗ることができた。

実話怪談を生業に

少しずつ実話怪談が仕事になっていった。

まだ経験はなかったが、竹書房の実話怪談アンソロジーの単行本に、作品を1本載せることができた。載ったことによる反響はほとんどなかったが、実話怪談業界の知り合いが増えた。

「今よりずっと知名度の低い業界だったので、『お互い草の根で頑張ろう!!』と励まし合いました」

ミリオン出版の雑誌(『BLACKザ・タブー』『不思議ナックルズ』など)では、編集者と現地に行って地元の人に話を聞いて記事にした。

「『実話誌って本当に取材をしてるんだ!!』と驚きました。取材して記事を作るノウハウを覚えることができました」

ロフトプラスワンなどのトークライブハウスでは、実話怪談イベントを定期的に開催するようになった。