組織が「エースじゃない従業員」に求めていること

思えば、20代の私は、広報のPR番組や、早朝番組、スポーツ番組などで放送の基礎を叩き込まれる現場を渡り歩いていました。ドラマのPRとなれば、台本を全部読んで役者さんにいかに質の良いインタビューができるかに悩み、早朝番組ではできる限り台本を覚えるよう指導されて夜の寝つきが悪くなり、冒頭1分のアドリブコメントのネタ探しに四苦八苦し、スポーツの取材では現場のルールを守りながらパンチの効いた選手の声もとってこなければならない。

そうこうしているうちに、報道番組に移って、法律や警察用語を確認しながら取材で抜け落ちていることはないか、中身のある取材になっているだろうかと、常に手探り状態で走り続けていました。正直なところ、どの分野も私にとってどこで満足したらいいのやら全く分からず、全力投球で臨むしかありませんでした。

当時の「昭和の叩き上げ」の男性部長には、体力だけはあり、真面目に仕事に取り組む姿勢だけは認められていたと感じています。華やかなバラエティ番組を担当する先輩や後輩を横目で眺める私に「絶対に豊田はバラエティに出さない」と言われたこともありました。

物言いとしてはとても乱暴ですけれど、愛嬌もなければ、ウイットに富んだ会話の返しもできない不器用な私には、アナウンサーとして伝えるべきものを探し出し、しっかりと表現力を磨いて伝えろと教えてくれていたのだと思います。

トップスター以外をどう使うか見据えた部長

その頃から、アナウンサーのタレント的な存在感にあこがれて入社してくる後輩が増えてきました。バブル崩壊後、テレビの世界がさまざまな仕掛けで勢いを増して元気になってきた頃のことです。

アナウンサー出身のこの男性部長は、いわゆるトップスター以外の8割のアナウンサーをどう使うかということを見据えて、鍛えていくという流れをつくった人でした。巨人軍の取材に臨む前に、ダイレクトに言われたことを今でも覚えています。「選手とプライベートで会おうなんて考えるもんじゃないからな。現場でその選手の魅力をきちんと伝えることだけを考えて取材してこい!」。

アナウンサーであるがゆえに与えられる貴重なチャンスを、「女子アナでござい」と甘えるのではなく、現場でこそ十分活かせという念押しです。

女性アナウンサーの優秀さを活かす起用も光りました。実況といえば男性アナという時代に、横浜国際女子駅伝の中継所実況を全員女性アナウンサーに担当させて実績をつくり、現在の天皇陛下と雅子皇后の「ご成婚パレード」も、実況を女性アナウンサーでつなぐという異例のキャスティングを実行したのです。他局にはない試みでした。そういった経験を受け継ぎ、令和の時代を迎えての「祝賀御列の儀(パレード)」の実況も、後輩女性アナウンサー達が立派に務めることにつながりました。

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与えられた場所で着々と取材力を身につけ、地道にどん欲に自分の足で情報や知識を蓄えている女性、大人の感覚を持つ女性の魅力を、キャスティングによって引き出す、こういう仕事の仕方もあるのだなと、当時の私は深く学びました。

改めて振り返ると、私がこれまで長くアナウンサーを続けてこられたのは、地味であっても1つひとつの基礎を積み重ねてこられたからではないかと、今は思います。先輩達の仕事ぶり(マネージメントも含めて)を表で裏でと、じっくり観察できる環境にあったことも、幸せでした。今ではこれらの積み重ねが、私にとって実はすべて必要なことだったと思えます。

「チャンスがない」とへこんでしまうのは時間の無駄遣いです。チャンスは今ではなく、近い将来必ずやって来る。次のステップのために力を蓄えましょう。その力が、間違いなく会社の中で大切な役割を果たすことにつながるはずです。