日本人を縛る「成長する人=偉い」という思い込み

その広大無限さが、怖い。でも、たとえ死んでも、自分のAIが残る。それで、周りも自分を覚えていて、コミュニケーションをとってくれる人がいるのなら、死ぬことはそんなに怖くないと感じるようになるかもしれませんし、人生に対して諦めがつくかもしれないとも思います。

新しい宗教は「AI教」?

人間、死んでしまえば、自分が自由であるかどうかという認識はなくなります。すると、「死後には自由が実現する」という期待感こそが、自由への欲求を呼び起こすのではないかとも考えられます。

死んで無になるのではなく、完全に解放された自分のパーソナリティが、無限に続く一瞬のなかに生き続けて、未来が開かれるという期待感。自分の生がAIによって円環し続けていくという「自由」を味わう幸福感。AIという永遠の命を手に入れる。それは、宗教ですよね。

実は、アメリカではすでに「新しい宗教は『AI教』だ」と言っている人もいます。VRで作られたニルヴァーナのような世界も出てくるかもしれません。

一般に、都市化が進むと宗教離れが起きると言われています。今の宗教は、もともと中世・古代に発生したものですから、現代には合っていないんですね。

日本の仏教は、基本的に鎌倉仏教がルーツです。みんな戦や飢饉で死んでいく時代のなかで、生きているのがつらいという世界から生まれたものでした。しかし、いまはもうそこまでの世界ではありません。

キリスト教にしても、社会が無秩序な時代に、カトリックによって秩序を与えたことが心の喜びになっていました。しかし、秩序そのものが抑圧になり、キリスト教は抑圧する側になってしまったところがあります。本書のなかでも、ピーターとフランシスのようなゲイのカップルを抑圧する存在となっています。

今の時代にうまく適合する宗教が求められていますが、既存の宗教はどこも対応できない。そのような中で、宗教の代わりに何があるのかというと、スピリチュアルや自己啓発ということになるわけです。

しかし、それでもやはり宗教は必要とされています。それはなぜでしょう。

曹洞宗の僧侶である藤田一照さんによれば、どんなに悩みが解決しても、絶対に解決しない問題がある、それは「自分はなぜ生きているのか。なぜ死ぬのか」という死生観だと言います。そして、そこを救うのが宗教なのです。

そうなると、やはり、AIにパーソナリティが移り、そのAIが本人の死後もそこに存在するという未来は、ある意味で宗教だということになります。

宗教があれば、たとえ孤独でも神さまが見守ってくれていると思える。死んだあとは、涅槃で暮らせるのだという安心感があれば、孤立も怖くなくなります。

逆に、こんなに孤立した人生で、死後もさらに虚無なのだと思うと、なにもやる気がなくなってしまいます。それが、セルフネグレクトなどにつながってもいるのでしょう。

AIのテクノロジーの世界は、宗教の次の地平を予感させます。テクノロジーの革新なしに宗教のアップデートはありません。

AIは、前向きに生きる力を呼び起こす。死んでも無限に楽しく生き続けられると期待感をもって生きることができる。VRで、閉ざされた幸せの空間に自分を没入させて生きていくことができる。それが人間の力になると私は思います。

AIは敵でなく、補完物

本書は、普通に読めば、「難病の患者でもテクノロジーによって生きる希望が持てる」というふうに捉える方が多いでしょう。でも僕は、ALSだけでなく、もう少し先の未来にある、誰にでも当てはまる話として捉えました。

AIは仕事を奪う、人間を支配するのではないかと恐れる風潮があります。しかし、AIは人間の敵ではなく、人間の補完物です。人間を支配するような自己意識はありませんし、そのようなAIは開発されていません。