「会社が息苦しい」人が目指すべき新しい共同体

共同体のない世界で生きている若者だからこそ、一般型の信頼を他人に与えるようになったと同時に、新しい共同体に対する期待も高まっている。そう考えられるでしょう。

シェアハウスなどのカルチャーもそうですね。知らない人と一緒に暮らして、キッチンも共有して、子育ても共有するなど疑似家族を作る。新しい共同体を作りたいという気持ちが出てきているのではないでしょうか。

『モンク思考』には、著者のジェイ・シェティさんが過ごしたインドのアシュラムの話が書かれています。僧侶が共同生活をしながら修行に励むという共同体ですが、これもシェアハウスのひとつと言えるでしょう。

ひとえに共同体と言っても、何を共有するかなんですよね。農村型共同体は、同調圧力が強かった。中にいれば安心だが、抑圧も強い。日本の企業社会も、終身雇用で守られているけれども、そこから外れられないという抑圧が強かった。

そうすると、本書に書かれているモンク・マインドや、日常生活を大事にする、みんなで食事を作って掃除をするというような、習慣にもとづく信頼感のある共同体なら、「いいな」と感じる人が多いのではないでしょうか。

両極端に走りがちな部族主義

今の社会には、過激な人と過激な人がぶつかるという両極端が目立ちます。これはまた、過激な志向の共同体に人々が飲み込まれていった部分があるのではないかと僕は見ています。

孤独な群衆が出現すると、ポピュリズムに走りやすくなる。それが、愛国主義などの右だけでなく、左にも起きているのが現在の現象です。

本書でとても興味深く読んだのは、「兵士のマインドセット」と「斥候のマインドセット」についてです。

兵士のマインドセットは、防衛本能や部族主義に根差していて、その世界の中だけで生きて、外側の世界は見ずに自分の正しさにこだわるというものですが、これはまさに、SNSで起きている「エコーチェンバー」や、「党派性」と言われる現象と同じです。本人たちはその狭い世界で生きていければよいのかもしれませんが、それが幸せなのかというと疑問です。

一方、斥候のマインドセットは、部族や共同体の内側にいるよりも、もっと世の中の真実を知りたいと興味を持つものです。今まで知らなかったことや、自分が知っていたけれども、その考えに反する話が出てきた時に、それを面白いと思えるかどうかが重要だとされています。

これは、まさにいまの時代に重要な思想だと思います。どんどん部族主義に走って、自分の見たくないものは一切見ないという方向に走っている人が増えていますが、本来、知性的であるということは、斥候のマインドセットを持っているということでしょう。

「反知性主義」と言われますが、それを誤解した日本人が、よく「世の中はバカばっかりだ!」というふうに使っているのを見かけます。しかし、本当の知性主義というのは、知性がないことをバカにするようなものではありません。自分の知らないことをどんどん探して、自分が学ぼうとする、その姿勢こそを言うわけです。

ところが、ただ相手を罵って、「どっちがバカなのか」でマウントを取るという方向に走っていますよね。そういった人々のあり方を知るという意味でも、本書は含蓄の深い一冊だと思います。

承認欲求の抑圧から、内面に向かう時代へ

SNSについてさらに考えていくと、ものすごく承認欲求が満たされやすくなったことで、逆に言えば、「いかに承認欲求を満たすのか」ということそのものが抑圧になってきたとも言えます。

一時期「インスタ映え」という言葉が流行りました。自分をいかに美しく撮るかにこだわったり、レストランで食事を注文しても、食べずに必死に撮影するという光景もありましたよね。