お家芸がお荷物に「液晶のシャープ」衰退の真因

(撮影:遠山 綾乃)

シャープは大阪府堺市にある子会社・堺ディスプレイプロダクト(SDP=堺工場)で生産していたテレビ向けの液晶パネルを9月末までに停止する。2023年3月期に最終損益で2000億円を超える赤字を出した主因となっていた。これで、国内でのテレビ向け液晶パネルの生産は消滅する。

「世界の亀山モデル」と謳い一世を風靡してから約20年。シャープの経営陣は何を見誤ったのか。『シャープの謎』(2004年6月)を上梓していた筆者が、「あのときのシャープ」に時計の針を戻し、成長ステージの落とし穴について論じる。

液晶ビジネスの「誤算」

「液晶のシャープ」と注目されたシャープの全盛期に社長を務めた町田勝彦氏に「経営者にとって最も重要な資質は何か」と聞くと、「予見力」と答えた。「予見」が当たったのだから説得力があった。

液晶テレビが大ヒットし、シャープの売上高は、2001年度から6年間で1.9倍に急拡大し、3兆円を突破した。ところが、2008年度から急落。2010年度に盛り返したものの、2011年度にはまた下がった。結局、2008年度から3年間で3割減った。

その主な原因は次の通りだ。

2000年代に入り製造装置が標準化され、それを購入さえすればどのような企業でも液晶を生産できるようになった。その結果、韓国メーカーに続き台湾メーカーが参入。その後、中国メーカーが勢力を拡大し価格は下がり続けた。

追い打ちをかけたのが、2008年秋のリーマンショックである。先進国だけでなく急拡大していた新興国市場でもテレビの伸びが鈍化。60インチ以上の大型テレビが普及すると見て、2009年10月に、大画面テレビ向けの大型液晶を生産するため、4200億円もの巨費を投じて建設したSDPは、無用の長物になってしまった。

創業者の早川徳次氏は、「信用の蓄積」「資本の蓄積」「奉仕の蓄積」「人材の蓄積」「取引先の蓄積」を「5つの蓄積」と表現し社是にした。

液晶事業は「鰻屋の秘伝のタレ」だった

町田氏は液晶事業について語るとき、「鰻屋の秘伝のタレ」という表現をよく使っていた。鰻屋のタレは、つぎ足し、つぎ足し、旨味を増していく。関東大震災が起こったとき、何をさておいても秘伝のタレが入った壺を抱えて逃げた鰻屋の主人は多かった。つまり、長年にわたり蓄積した「この店ならではの味」は、金品以上に大切な財産なのだ。

「シャープは、液晶材料をブレンドするところから始めました。そのデータはすべて蓄積されています。だから、材料メーカーさんとも、トライ・アンド・エラーに基づいて議論ができます。単に要求だけを伝えて、それに合う材料をいただくのであれば、どこでもできます。その点、一歩踏み込んだ話ができるのも、秘伝のタレを持っているからでしょう」(町田氏)

かつてシャープは、国内テレビ市場で松下電器産業(現パナソニック)、ソニーに続く東芝と「万年3位」の座を競い合ってきた。同社はブラウン管を持っていなかったため、販売したいときに増産できず商機を逃してきた苦い経験から、キーデバイス(基幹部品)の強化に取り組んできた。その結果生まれたのが液晶だった。最終的な目標は、テレビのキーデバイスとして液晶を使い、ブラウン管テレビ時代の雪辱を果たすことだった。

社長に就任して2カ月後の1998年8月、町田氏自らが「シャープは2005年までに、国内で販売するカラーテレビをすべてブラウン管から液晶に置き換える」と宣言し、有言実行となった。テレビがブラウン管から液晶やプラズマなどのフラット・ディスプレイに移りつつある中で、液晶テレビ(国内市場)で断トツ1位に躍り出たのだ。