読売新聞問題で露呈、記者メモの価値と幅広い流出先…問われる週刊誌の情報源秘匿

 かつては週刊誌の定番として、『政治家のオフレコを発言スッパ抜く』という記事があった。例えば『小沢一郎、仰天オフレコ発言「菅をおろして鳩山由紀夫を代表にする」』(「週刊文春」<文藝春秋>/2004年1月22日号)のような記事である。筆者がこの記事を担当した訳ではないので推測ではあるが、オフレコ記事は政治家と新聞記者の間で開催されたオフレコ会談の記者メモが週刊誌に流出し、それを参考に記事にするというケースほとんどだ。

 筆者も週刊誌記者時代は複数のメディアから記者メモをもらっていた。知人記者から記者メモの一覧を覗かせてもらったときに、あまりにもメモの量が膨大で新聞社の情報網に驚いたことを覚えている。政治部の記者メモであれば、番記者が集めてきたさまざまな政治家の生の言葉を読むことができる。社会部の記者メモは事件の内情や当局の動きをリアルに感じることができ、いずれもとても興味深かった。

 メモをもらうときは「メモの厳重管理」と「引用注意」に留意するよう、記者メモを提供してくれた取材協力者からは必ず求められた。

 記者メモを記事にするときは、文章をそのまま引き写さないということが必須とされている。語尾を変える、文章を入れ替える等の工夫をする。つまり記者メモのまま文章にしてしまうと、読む人が読めば“●●新聞のメモが流れている”ということがバレバレになってしまい犯人捜しが始まる。情報源を守るためにも出処先がわからない工夫を行う必要があるのだ。

 特に今回の読売新聞のケースでも問題となったのが「引用注意」だった。読売問題では前述のように事実誤認の箇所をそのまま引用していたことから読売の記者メモ流出が判明したのだ。

「週刊誌が記事にした検察内のスキャンダルはA氏のネタではなく、他の記者の独自ネタでした。本来であれば、良心が咎めるようなネタの流し方ではありますよね。だが一方で、読売記者が解雇されるに至り週刊誌側が『ネタ元を守れなかった』という点を問題視する人も多くいました。週刊誌側が安易に記者メモを使用してしまった、危機管理が甘すぎたということもできるでしょう」(別の社会部記者)

「情報源の秘匿」という使命

 そうしたなかで週刊誌側から検証をすると、記者メモ入手というグレーなやり取りをするなかで、編集部が『情報源の秘匿』を守れなかったということは反省すべき点の一つだったとはいえるだろう。実は筆者のもとに、いちばん多く問い合わせがきたのも「情報源を守れなかったことをどう思うか」というものだった。

 よく週刊誌記者は「記者メモを入手すること“だけ”が取材ではないからな」と諫められる。記者メモに対する基本的なスタンスは、週刊誌記者は記者メモでは言及されていないようなスクープを独自に狙うというもの。記者メモはあくまで“押さえ”として持っておくべきものなのだ。

 一方で今回のケースのようにメモ自体がスクープである場合は、いかに情報源秘匿を守ることができるのかを考えながら記事にすることが必須となる。他編集部の取材方針に口を挟むことは筆者の本意ではないが、あえて考察を加えるとするならば、例えば裏取り取材を行うとともに、読売の記者メモだと悟られないようにブラフの取材を行ったり、情報の出元を悟られないような書き方を工夫することなどが編集部側には必要だったといえるのではないか。

 情報源がバレることは週刊誌にとって死活問題である。バレてしまえば次の情報が入らなくなるばかりではなく、今回のようにネタ元がクビになるということもあり得る。「この記事を書いて、ネタ元にどのようなリスクがあるのか?」は常にケアしなければいけない問題なのだ。