スキージャンプを“つまらなくした”2つの改悪ルール…ドラマを生んだ「風の運」

 ポーランドのヴォイチェフ・フォルトナ。実績もなければ名も知れない、弱冠19歳のジャンパーによる驚愕の大飛行だった。

 しかし、金メダル候補の笠谷も向かい風をうまくとらえて、1本目に106メートルをマーク。同じ106メートルを飛んだ東ドイツのウォルフに飛型点で優り、フォルトナに次ぐ2位で2本目に臨んだ。

 この時点で、エース笠谷の70メートル級に続く90メートル級の制覇を疑ったファンは、ほとんどいなかったに違いない。一方は向かい風に助けられ、「まぐれの」大ジャンプをした無名ジャンパー。一方は同年の欧州ジャンプ週間で開幕3連勝を果たすなど、名実ともに世界のトップに君臨していた笠谷である。

 案の定、笠谷より前に2本目を飛んだフォルトナは本来の“実力”を発揮し、87.5メートルにとどまった。この時点で、2本目の笠谷は95メートル程度のジャンプでフォルトナを逆転でき、金メダルも視野に入れることができた。

 が、好事魔多し。逆転の金メダルに臨んだ2本目、踏切のタイミングが遅れた笠谷は突風を横から受け、スキー板を大きく煽られた末、84.5メートル地点に急落下する。

 会場のざわめきも、今度は落胆のそれに変わった。

 結局、笠谷は7位に終わり、フォルトナが2位にわずか0.1ポイント差の金メダルを獲得する。

 こうしてフォルトナは、実績なき一人の無名ジャンパーから一躍世界のヒーローに躍り出たが、「ウインドファクター」を取り入れる現在の採点ではどうなっていたか。

 1位フォルトナと4位ケユヒケ(フィンランド)までのポイント差は0.78。向かい風1メートルで減点8.00という前述の平昌五輪の設定を当てはめれば、メダル圏外であったことだけは確かで、彼の名が後世に残ることもなかっただろう。

長野で刻まれた原田と船木の逆転ジャンプ

 では、「ウインドファクター」は、その導入のあるなしで、どんな結末を招くのか。

 たとえば、平昌五輪の個人男子ラージヒルでは、1回目3位のウェリンガー(ドイツ)は2回目に143.5メートルの最長不倒をマークしたものの、有利な向かい風で減点されたため、トップにわずか3.4点及ばず、逆転の金メダル獲得には至っていない(銀メダル)。

 一方、「ウインドファクター」も「ゲートファクター」もなかった長野大会(1998年)の男子ラージヒル団体。原田雅彦の1回目の失敗ジャンプを他の3人のジャンパーが補い、原田は2回目に向かい風で浮力を得ると、逆転優勝に望みをかける起死回生の大ジャンプを見せつけた。

 そして、最後に飛んだエース船木和喜がランディングした瞬間、会場に沸き起こった感動の嵐。逆転優勝を確信した観客は歓喜の一体感に酔いしれ、4人の日本人ジャンパーが雪上で抱き合って泣いた。

 果たして「ウインドファクター」のルールは、あの感動的なシーンをどこまで演出することができたのか。

 風は「神風」にもなるし、「暴風」にもなる。「運も実力のうち」と言われるが、その「運」の中にもスポーツのドラマ性や奥深さが潜んでいるのではないかと、私は思っている。

(文=織田淳太郎/ノンフィクション作家)