西武鉄道と西武百貨店…外資に売られる“2つの西武”を生んだ、堤一族100年の歴史

 康次郎は、「自分が得たものをすべて義明に引き継がせれば、義明がたとい20歳でも自分と同じになれる」と考え、幼い頃から義明を現場にともない帝王学を叩き込んだ。

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もともと軽井沢にあった皇族・朝香宮家の別荘を堤が取得し一部を改修、1947年にホテルとしてオープンした。「プリンス・ホテル」の誕生である。(画像はプリンスホテル新横浜公式サイトより)
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2009年に中央公論新社 から出版された「彷徨の季節の中で」の表紙。次男の堤清二は作家・辻井喬としても精力的に活躍した。同作は反逆と挫折を繰り返しながら自らの生きる道を追い求める自伝的小説。

詩人・文学者にして華麗なる経営者…次男・清二はセゾン・グループを創業

 康次郎は「オレが死んだら、10年間は動くな。10年経ったら、お前の考えでやれ」と義明に言い残した。義明はこの遺言を忠実に守り、ひたすら堅実経営で西武鉄道グループを率いた。一方、次男の堤清二は独創的な経営で西武百貨店を一流デパートに押し上げ、西武セゾン・グループを創り上げる。

 堤清二は東京大学経済学部に進んだが、学生運動に身を投じ、父が大物政財界人であったことからスパイ容疑で除名され、肺結核で闘病生活を送る。完治した後、父の議員秘書を経て西武百貨店に入社、1961(昭和36)年に34歳で社長となった。また、辻井喬(つじい・たかし)という名の詩人・小説家としても活躍し、詩集『異邦人』では室生犀星賞を獲得し、堤家の複雑な家庭環境をモデルにした小説『彷徨の季節の中で』を発表している。

 清二が入社した当時、西武百貨店はまだ地方の名もないデパートに過ぎず、西武鉄道からの天下りが上層部を占拠し、業績も悪く、従業員のモラルも低かった。

 しかし、康次郎の死後、清二は積極的に事業展開を進める。スーパーマーケットの時代が来ると予見し、傘下の西友ストアー(現 西友)の店舗数を倍増。渋谷に西武百貨店を出店。以後も大宮店、静岡店、宇都宮店、浜松店……と積極的な出店を続けた。また、株式会社パルコを設立(パルコとは公園の意味である)。前衛的・奇抜なテレビコマーシャルは脚光を浴びた。1984(昭和59)年、西武百貨店は念願の銀座有楽町に出店し、一流百貨店の仲間入りを果たした。その翌年、清二は「西武流通グループ」を「セゾン・グループ」と改称した(セゾンとはフランス語で「季節」の意味)。

 しかし、大胆な拡大戦略を展開するセゾン・グループをバブル崩壊が襲う。

 系列の不動産・金融会社が抱える莫大な負債に悩まされ、1991(平成3)年に堤清二はついにセゾン・グループ代表からの引退を余儀なくされた。2003(平成15)年に西武百貨店も第一勧業銀行(現 みずほ銀行)の管理下で私的整理に追い込まれ、西友・パルコなど主たる事業を切り売りせざるを得なくなる。

 そして、同じく2003年に経営破綻した大手百貨店そごうと、持株会社ミレニアムリテイリングを設立して経営統合したが、再生計画は軌道に乗らず、2006(平成18)年セブン&アイ・ホールディングス(セブン-イレブン・ジャパンとイトーヨーカ堂の共同持株会社)に買収されてしまう。そして、2009(平成21)年にそごうがミレニアムリテイリング、西武百貨店を吸収合併して「そごう・西武」が設立されたが、今般、セブン&アイ・ホールディングスから売却されてしまうのだ。

日本の“土地神話”を体現した西武の帝王・堤義明、実質12兆円の巨額資産

 一方の西武鉄道グループである。

 同社は「日本の土地神話」を代表するような企業で、その所有不動産の資産価値は、1980年代半ばで12兆円に達すると試算されている。当時、東急グループの不動産総額がおおよそ1兆円弱、三菱地所が1兆円強、三井不動産が2000億円ほどだったというから、桁が違う資産を所有していた。