ジェネリック最大手の日医工、なぜ経営破綻に陥ったのか?売上至上主義の末路

「ジェネリック医薬品は規模で戦う時代に入った」。田村社長はエルメッドエーザイの買収を発表する記者会見でこう強調した。「将来は世界トップ10入りを目指す」と胸を張った。21年2月、武田薬品工業が49%出資する武田テバファーマから後発薬事業を買収し、高山工場を譲り受けた。

 M&A攻勢で売上高は急増。田村氏が社長になった当時100億円だった年商は、20年3月期には1900億円と19倍になった。「次の20年間で年商5000億円にする」(田村氏)と豪語していた。20年3月期にジェネリック業界の盟主が交替した。日医工の売上収益(国際会計基準)が沢井製薬(現サワイグループホールディングス)を抜いて首位に躍り出た。しかし、利益では東和薬品を入れた大手3社のなかで、日医工が一人負けの状態だった。

 日医工はM&Aで自社にない医薬品を手に入れた結果、製品のラインアップは1220品目にまで膨らんだが、これが足かせとなった。700品目後半の沢井製薬や東和薬品を品揃えでは6割程度上回るが、他社が撤退した採算の悪い医薬品を多く製造していたことから、かねがね規模の大きさが利益に結びつかないと指摘されていた。

「M&Aでひたすら規模を追い求めてきた拡大路線が、大規模な自主回収を繰り返し、業務停止命令を受ける原因になった」(医薬品担当のアナリスト)

 日医工は生き残りを考えていた。21年9月、医薬品卸大手のメディパルホールディングスから9.9%の出資を受けたが、抜本的解決策にはほど遠い。日医工の21年3月期末の大株主名簿からメディパルの名前は消えている。後発薬そのものの信用にかかわる問題を起こした田村社長の引責辞任は避けられなかったはずだが、田村氏は社長の椅子を手放さなかった。経営責任を明確にせず、中途半端なまま陣頭指揮を続け、とうとう“経営破綻”に追い込まれた。

 日医工の事業再生ADRの申請、事実上の経営破綻で、ジェネリック医薬品業界の再編は待ったなしだ。

(文=Business Journal編集部)