アンソロピックへの書籍販売、出版会はなぜ反発?AI学習のルールの空白

 アンソロピックについては、米ワシントン・ポストが2026年1月、社内で「プロジェクト・パナマ」と呼ばれた計画を報じている。大量の紙の本を買い入れて裁断し、スキャンして学習に使うというものだ。米連邦地裁は2025年6月、正規に購入した本をスキャンして学習に使うことはフェアユースに当たると判断した。一方、海賊版サイトからの入手についてはフェアユースを認めず、同社は15億ドルでの和解に応じている。和解は2026年7月に最終承認された。

 つまり「紙の本を買ってスキャンする」という手法は、少なくとも米国では合法とされた調達ルートだ。問題はそれが違法かどうかより、ライセンス市場を経由しないことにある。前述のように学習用ライセンスの市場価格が形成されつつあるなかで、定価で本を買えば同じデータが手に入る。その差は出版社と著者には戻らない。なお、日販経由の書籍が実際に学習に使われたかどうかは、現時点で公式には確認されていない。

「日本でも、学習用に整理されたデータベースが販売されているのに、それを買わずに複製するようなケースは『著作権者の利益を不当に害する』として30条の4の対象外になり得る、というのが文化庁の整理です。裏返せば、出版界が学習用のライセンス市場を実際に作れるかどうかが、法的な立場にも影響してくる。ただし、書籍のスキャンを対象にした国内の裁判例はまだありません」(前出法学研究者)

「本を売る」から「知を許諾する」へ

 出版界が求めているのは、AIそのものの拒否ではないだろう。学習に使うなら、定価の書籍代ではなくデータ利用の対価を払う。その交渉の土侵に立ちたい、というのが実際のところだ。入口でのルールにこだわるのは、そこを押さえないと交渉の前提自体が成り立たないからだ。

 実務上の課題は大きく三つある。

 1.取引契約の見直し。大口取引の用途確認や、学習目的の転売の扱いを取次と出版社のあいだで明文化する。

 2.学習用ライセンスの窓口づくり。個々の出版社が海外の大手AI企業と一社ずつ交渉するのは現実的ではない。音楽では著作権管理団体が配信事業者と包括的に許諾契約を結ぶ仕組みが定着している。出版でも複写の分野には集中管理の前例がある。

 3.著者への配分。ハーパーコリンズの事例が著者の希望制と折半を採ったように、誰が同意し、誰にいくら払われるのかを先に決めておかないと、業界内部の合意がもたない。

「今回の件で、紙の本の流通が数十年そのままにしてきた前提が形になったとも言えます。多くの出版社は、そこに対価をつけられるならむしろ歓迎だと考えているはずです。問題は、その仕組みがまだないことです」(森山氏)

 書協は10月27日の理事会・評議会で今後の対応を検討するとしている。日販も、出版社からの個別の問い合わせに応じる方針だ。誰が悪かったのかを問うだけで終われば、同じことは別のルートで繰り返される。紙の本は今も、書店でも古書市場でも誰でも買えるからだ。

 知的な商品を作るのにかかるコストを、誰がどう負担するのか。この問いは出版に限らず、報道や教育、専門的な情報を売るあらゆるビジネスに関わってくる。今回の件は、その答えを業界として用意できるかを問う最初の具体例になりそうだ。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=森山一人・出版ジャーナリスト)

【主な参照データ・出典】
読売新聞(2026年10月6日)
新文化オンライン「日販GHD、アンソロピックへの書籍販売認める」
東京報道新聞(2026年10月8日)
Bartz v. Anthropic 裁判資料 Dkt. 560-34(イングラムの対応)
和解最終承認命令(2026年7月20日)
HON.jp「2025年出版市場」(出版科学研究所データ)