アンソロピックへの書籍販売、出版会はなぜ反発?AI学習のルールの空白

重版で回収するモデルと「1タイトル1冊」の非対称

 出版の収益構造は、初期投資を部数で回収する形になっている。著者が何年もかけて蓄えた知見に、編集、校閲、事実確認、装丁といった工程が重なる。これらは売れても売れなくてもかかる固定費だ。初版では赤字かトントンで、重版がかかって初めて利益が出るーー。そうした本は珍しくない。少数の売れ筋が、売れなかった大半の本の投資を支えてもいる。

「実用書だと、初版だけで編集の人件費まで回収できる本は多くありません。何年もかけて少しずつ重版を重ね、ようやく利益が出る。その『何年もかけて』の部分が削られることを、現場は一番恐れています」(元中堅出版社の編集幹部で出版ジャーナリスト・森山一人氏)

 AI学習のための購入は、この構造とかみ合わない。スキャンしてデータにするなら、1タイトルにつき理屈のうえでは1冊で足りる。出版社に入るのはその1冊分の売上だけだ。一方で、その知見を根拠とした回答は、不特定多数の利用者に何度でも届き得る。

 比較の材料はすでにある。米出版大手ハーパーコリンズは2024年、既刊ノンフィクションをAI学習用にライセンスする契約を結んだ。米業界誌パブリッシャーズ・ウィークリーによれば、参加は著者の希望制で、対価は1冊あたり5000ドル。著者と出版社で折半する。定価数千円の1冊を売るのと、数十倍から数百倍の対価がつくライセンス。学習用のデータとしての価値が市場で付いているのに、紙の流通を通るとその差額が消えてしまう。

 もちろん、AIの普及で本の売上がどれだけ減るのか、実証的なデータはまだ乏しい。ただ、市場全体に余力はない。出版科学研究所によれば、2025年の紙の書籍・雑誌の推定販売金額は9647億円。前年比4.1%減で、約50年ぶりに1兆円を割り込んだ。重版で稼ぐ余地がただでさえ狭まっているなかで、その余地をさらに削りかねないことが、出版社の警戒の核心にある。

取次と出版社の間にあった「ルールの空白」

 取次の立場から見れば、注文を受けて本を届けるのは本業そのものだ。著作権法には「譲渡権の消尽」という考え方があり、適法に流通した本を転売すること自体は、通常は著作権の問題になりにくい。買った人がその本をどう使うかを縛る仕組みも、紙の流通にはもともとない。電子書籍なら利用規約で学習利用を制限できるが、書店で買う一冊には利用規約がついていない。

 出版社の受け止め方は違う。一般読者に読んでもらう前提で流通に乗せた本が、知らないうちに海外で裁断され、データ化されていたかもしれない。書協が問うたのも、会員社の刊行物が含まれていたか、版元の許諾なく海外事業者に大量販売したことをどう考えるか、という点だった。

「取次と出版社の取引契約は、本を読者に届けることを想定して作られています。大口の一括購入をどう扱うか、まして用途をどう確かめるかは、ほとんど議論されてこなかった。誰かが悪意を持っていたというより、想定していない買い手が現れたというほうが実態に近いのではないでしょうか」(同)

 対照的なのが米国の取次大手イングラムの対応だ。裁判資料によれば、同社は研究開発目的の裁断・スキャンを適法と見ながらも、評判への影響を理由に取引に消極的だったとされる。合法かどうかと、取引先や著者が納得するかどうかは別の問題だ。日本では、その判断を支える業界のルールがなかった。問われているのは特定の企業の責任だけではなく、この空白をどう埋めるかだろう。

なぜ「紙の本」が求められるのか

 AI開発の側にも事情がある。ウェブ上の文章は量こそ多いが、質のばらつきが大きい。専門家が書き、編集者や校閲者の手を経た書籍は、論理の通った長い文章の塊として代わりがききにくい。出版社が「編集の価値」と呼んできたものが、そのまま学習データとしての価値になっているとも言える。