東京ヤクルトスワローズ 髙津流マネジメント2025

髙津監督が、自身の「退任」を語る――
「野球人としてこれ以上ない幸せを味わえた」

――9月1日付の『日刊スポーツ』は「今季限り」、『サンスポ』は「退任へ」と、いずれも、髙津監督の退任報道が一面となりました。

髙津 本来であれば、最初に現場の選手、コーチ、スタッフのみんなに話をして、その後で公になるのが流れというか、一般的な順序だったのかもしれないですけれども、先に報道が出てしまったので、イレギュラーな形となってしまいました。僕も自分の言葉でちゃんと伝えたかったんですが、遠征が始まったときだったのでピッチャーも神宮に残って練習していたし、全員がそろっていなかったけれど、急遽、火曜日のゲーム前に大阪に遠征に来ているみんなには伝えました。

――監督としては、シーズン終了後にきちんとした形ですべての関係者の前で自分の口から伝えたかった?

髙津 そうじゃないといけないでしょうね。しかも、どんな順位であれ、まだシーズン中なので、選手たちはもちろん、コーチ、スタッフや現場の人たちにもいろいろな影響があるでしょうから、できればシーズンが終わるまではこの話題には触れたくなかったですね。いろいろな感情を持ってグラウンドに立っている選手もいるでしょうから、その点は申し訳なかったと思っています。

――監督在任は今季で6年となります。この6年間は長かったですか、短かったですか?

髙津 振り返るとあっという間ですよ。ただ、監督としてのスタートは、野村克也さんが亡くなったところから始まって、コロナ禍で開幕が遅れて、最後の6年目も衣笠剛会長が亡くなられて、つば九郎もいなくなってしまった。そう考えると、ついこの間だったような気がするけど、この間には何百試合も戦ってきたわけだし、いろいろなことがたくさんありました。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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