――あのときの悔しさがバネとなって、その後の人生にも大きく影響したのですね。
髙津 それから7年が経った頃だったかな? 退団時にはまったく無関係だった当時の衣笠社長から連絡をいただいて、日曜日の誰もいない球団事務所で「あのときの話はいろいろ聞いているけれど、ぜひ帰ってきてほしい」と言われました。今までいろいろモヤモヤしていたこと、自分がとらわれていたことが、そのひと言で「戻らない理由はない」「スワローズに戻らなくちゃ男じゃない」と、一瞬で決断しました。あの日がなかったら、間違いなくスワローズに戻ってきていなかったと思いますね。
――現役時代にスワローズを去るときも、そして昨年、改めて1年契約を結んだ際にも「このままじゃ終われない」と口にしていました。ひとまず、今季限りでユニフォームを脱ぐことにはなりますが、一軍監督としても「このままじゃ終われない」と、またユニフォームを着る可能性はいかがですか?
髙津 今後のことはまだ何とも言えないけれど、僕は野球人なので、「野球に携わっていたい」という思いは強く持っています。これは人によって考え方は違うかもしれないけど、僕の場合は「ユニフォームを着て現場に立って、年の差があるみんなと一緒に汗をかきながら野球をする」というのが最高の幸せだと思っています。だから、ヤクルトに帰ってきてからの12年間、ピッチングコーチから始まって、二軍監督、一軍監督と、この年になってもユニフォームを着させてもらえることにこれ以上ない幸せを感じていました。
――スワローズ復帰後の12年間は、まさにさまざまな経験を積みました。故衣笠会長のひと声がなければ、この経験もなかったのかもしれません。
髙津 「この選手はうちの子と同い年だ」とか、「この子は次男坊と一緒だ」とか、選手たちとの年齢差を感じながら、一緒に野球をしているのが本当に不思議な気持ちでした。勝てば嬉しい、負ければ悔しい。でも、負けてもそこに新しい発見があったし、「じゃあ、次はどうしよう?」と考えるのもすごく楽しかった。ヤクルトに帰ってからの12年は本当に楽しかったし、幸せでしたね。
――残り試合も20試合を切りました。まだ在任期間は残っていますし、試合も続きます。残り試合で、監督としてやるべきこと、達成したいことがあれば教えてください。
髙津 ファームで頑張っている若い選手に、一軍でいろいろな経験を積ませたいという思いもあります。でも、ちょっとその質問とはズレるかもしれないけど、今ファームにいる石川(雅規)だったり、川端(慎吾)だったり、まだリハビリ中ですが塩見(泰隆)だったり、もう一回、同じユニフォームを着てグラウンドに立ちたい。彼らと長く接してきて、もう一度、同じユニフォームでグラウンドに立ちたい。その思いは強くあります。勝敗はもちろんですけど、残り試合を全力で楽しみますよ。

――この6年間については、また次回も詳しく伺います。残り試合の意気込みについて、改めてファンのみなさんへのメッセージをお願いします。
髙津 こういう形での発表となりましたが、この6年間、いいときも大変なときも、精一杯の「ご声燕」、どうもありがとうございました。残りわずかとなりましたが、最後まで全力で戦います。最後まで熱い「応燕」をよろしくお願いします。
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