――この間には、チームにとって、ファンにとって大切な人たちを亡くしてしまったり、日本一もあったり、セ・リーグ連覇もあった一方、下位に低迷する苦しいシーズンもあった波乱万丈な6年間となりました。
髙津 始まりは2019年の9月でした。二軍監督をやっているときに、当時の衣笠社長から電話がありました。仙台の遠征中だったんだけれども、「今はバス移動中だろ? 着いたら折り返してくれ」というところから始まって、続く秋季キャンプから本格スタートして、それから野村監督が亡くなって、コロナになって、慌ただしい中での一軍監督としての始まりでした。
――一軍監督最初の試合では、監督自ら直筆でスタメン発表をしたこともありました。2021年には「絶対大丈夫」の言葉もありました。そして今年の開幕前には、つば九郎を悼む文章もあったし、開幕投手を奥川恭伸投手に託す際にも自らの言葉で、そのときどきの思いを表明していましたね。
髙津 口でしゃべるよりも、文字に残すことの方が確実に残るし、より正確に伝わる気がするんです。「書く」という作業は、言葉を選んで綴っていくことで頭も冷静になるし、より真意を伝えやすくなると思うんです。「より、正確に伝えたい」という思いが強いときには自ら手紙を書くこともありました。
――これまでそうしてきた監督だからこそ、「退任の思い」や「選手やファンへの感謝の思い」についても、シーズン終了後には何らかの形でメッセージを残す考えはありますか?
髙津 この連載もその一つだけれど、その思いはありますよ。今言ったことと矛盾するかもしれないけど、「書くこと」によって冷静に、正確に伝えることができるけど、「しゃべること」によって率直な思いとか、熱い思いだとか、感情の動きを伝えやすいと思うんです。「使い分ける」というと偉そうだけど、何かを伝えるときには書くことと、話すことは使い分けたいと思っています。ファンの皆さんには、どういう形になるかはわからないですけど、しっかりとあいさつをしたいと思っています。

――監督がまだ現役だった頃、チームの黄金時代を支えた功労者であるにもかかわらず、退団セレモニーもないまま、不本意な形でチームを去ることとなりました。「もう二度と、スワローズに戻ることはないだろう」という声もある中で、スワローズに戻ってきました。監督としてチームを去る際には、あのときのような終わり方を迎えてはいけない。個人的にはそんな思いがあります。
髙津 あんまり過去のことを振り返るのもよくないかもしれないけど、正直言えば、現役時代にスワローズを退団したときには「もう100パーセント、ヤクルトに戻ることはないだろう」と思っていました。結果的には戻ってきたわけだから、「100パーセント」ではなかったけれど、そのぐらい当時は複雑な感情を持っていました。あの時の悔しさがあったから、僕はその後も韓国でプレーしたり、台湾に行ったり、最後は独立リーグに行ったりしたというのが本当のところでした。野球に対する情熱がよみがえってきたし、「このままじゃ終われない」という思いで、その後もプレーを続けることができました。だから、一概にあのときの出来事がマイナスだったかと言えば、必ずしもそうではないと思っています。