その執事は、十三番目の愛を叫ぶ

れおぽん

文字の大きさ
9 / 12

第8話「呼ばれそうで呼ばれない」

しおりを挟む
今宵、王城の大広間では、隣国からの使節団を歓迎する夜会が催されている。

煌びやかなシャンデリアの下、色とりどりのドレスと正装が波打つように揺れる。
楽団が奏でるワルツの調べに合わせ、あまたの雑談とグラスの音が響く。

私たち皇女候補も、賓客をもてなす「華」として出席している。
ただし、ここでも序列による配置は絶対だ。

ホールの中央、最も目立つ場所にはカテリーナ様をはじめとする上位の一桁候補たちがいる。
彼女たちは使節団の代表や高官たちに囲まれ、流暢な外国語で談笑している。

私は、ホールの壁際、柱の陰に近い場所に立っていた。
ここは「予備」の定位置だ。
上位の候補者が疲れた時や、急な衣装のトラブルがあった際にのみ、代役として前に出る。
それまでは、美しい背景の一部として微笑んでいることが仕事だ。

「……退屈ではありませんか」

私の斜め後ろに控える彼が、誰にも聞こえない声で囁いた。
彼もまた、影のように気配を消している。

「いいえ。人間観察は興味深いわ」

私はグラスを片手に答える。
嘘ではない。
システムの中で動く人々を眺めるのは、精巧な時計の内部を見ているようで飽きない。

その時、人の波が割れ、一人の紳士がこちらへ歩いてくるのが見えた。
胸に数多の勲章をつけた、初老の男性だ。
その服装から、隣国の高位の貴族――おそらくは大使級の人物だろう。

彼は中央の華やかな輪から離れ、静かな場所を求めてこちらへ来たようだった。
そして、柱の陰にいる私と目が合った。

「おや」

彼は足を止め、柔和な笑みを浮かべた。

「このような場所に、これほど美しい華が咲いているとは気づきませんでした」

外交辞令だとしても、洗練された物腰だ。
彼は私の前まで来ると、深々と一礼した。

「失礼ですが、お嬢さん。ダンスの輪には加わらないのですか?」

「ええ。私は踊るよりも、皆様の楽しげな様子を拝見している方が性に合っておりますので」

私が答えると、彼は感心したように頷いた。

「慎み深い。最近の若い方には珍しい美徳だ」

彼は私に興味を持ったようだった。
この国の厳格な序列制度や、「二桁」の扱いを知らない外部の人間特有の、無邪気な好奇心。

「もしよろしければ、貴女のことをもっと知りたい。……お名前を、伺ってもよろしいかな?」

心臓が、とくんと跳ねた気がした。

名前。
久しぶりにその単語を聞いた。
彼には悪気がない。
目の前の相手が誰なのか認識し、敬意を払うために、名前を問うているだけだ。

私は唇を開く。
名乗るべきだろうか。
それとも、序列で答えるべきだろうか。

「私は――」

「――おや、大使閣下。こちらにいらしたのですか」

私の言葉にかぶせるように、滑らかな割って入ってきた。
式典を取り仕切る侍従長だ。
彼は音もなく現れ、私と大使の間に自然な動作で割り込んだ。

「メインディッシュの準備が整いました。陛下が閣下をお探しですよ」

「おっと、そうでしたか。これは失礼」

大使は侍従長に向き直る。
そして、思い出したように私を振り返った。

「失礼。お嬢さんのお名前を聞く途中でしたな」

「ああ、閣下」

侍従長は、まるで子供に言い聞かせるような、穏やかで慈悲深い笑みを浮かべた。

「彼女は『第十三皇女候補』でございます」

「……ほう?」

大使は目を瞬かせた。
名前を聞いたのに、返ってきたのは肩書きだ。

「第十三、とおっしゃるのですか?」

「左様でございます。彼女はこの会場における十三番目の星。それ以上でも、それ以下でもございません」

侍従長の説明は完璧だった。
この国において名前などは、外交の場には不要だ。
彼女は個人の名前を持つ人格ではなく、我が国の皇女候補制度を構成する要素の一つである。
そう暗に伝えたのだ。

大使は聡明な人物のようで、すぐにその場の空気を――あるいはこの国の異質さを察したらしい。

「なるほど、第十三皇女候補殿、ですか。……失礼いたしました」

彼は私に向かって、もう一度深く一礼した。
そこには、先ほどまでの親愛の情とは違う、どこか憐れむような色が混じっていたように感じる。

「では、失礼する」

大使は侍従長に促され、中央の華やかな世界へと戻っていった。

取り残された私は、ほっと息を吐く。
名乗らずに済んだ。
もしあそこで名前を口にしていたら、この完璧な夜会の調和を乱してしまっていたかもしれない。
「第十三皇女候補」という答えこそが、この場における唯一の正解だったのだ。

「……行きましょう」

背後で、彼が短く言った。
その声が、氷のように冷たく硬いことに気づき、私は振り返る。

彼は、大使と侍従長が去っていった方向を睨みつけていた。
その手には、空になった私のグラスが握られている。

いまにも割れてしまいそうなほど力が込められているのは、見ただけで分かった。

「グラスを割らないでね。備品を損壊すると始末書が面倒だわ」

私が冗談めかして言うと、彼はハッとして力を緩めた。

「……申し訳ございません」

「どうして怒っているの?」

「……怒ってなど」

彼は視線を逸らす。

「ただ、貴女様の名が、それほどまでに隠すべき禁忌なのかと……そう思うと、やるせないのです」

「禁忌ではないわ。不要なだけ」

私は淡々と訂正する。
名前は禁じられているわけではない。
ただ、誰も必要としていないだけだ。
使わないとわかっているものを誰も触れないのと同じように。

「私は第十三皇女候補。それで十分よ」

私は彼に背を向け、窓の外を見る。
夜空には無数の星が輝いている。
あの星々にも名前があるのだろうか。
それとも、ただの光の点として管理されているのだろうか。

どちらにせよ、遠くから見る分には同じ光だ。
私は、そのことに安らぎすら感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

不治の病の私とは離縁すると不倫真っ最中の夫が言ってきました。慰謝料、きっちりいただきますね?

カッパ
恋愛
不治の病が発覚した途端、夫であるラシュー侯爵が離縁を告げてきました。 元々冷え切っていた夫婦関係です、異存はありません。 ですが私はあなたの不貞を知っておりますので、ちゃあんと慰謝料はきっちり支払っていただきますね? それから・・・わたしの私物も勿論持っていきますから。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

【完結】本当に愛していました。さようなら

梅干しおにぎり
恋愛
本当に愛していた彼の隣には、彼女がいました。 2話完結です。よろしくお願いします。

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ

月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。 泣くのも違う。怒るのも違う。 ただ静かに消えよう。 そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。 画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。 相手に気付かれた? 見られた? 「未練ある」って思われる!? 恐怖でブロックボタンを連打した夜。 カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。

処理中です...