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王立学園の卒業パーティーから数週間。
王宮では、聖女リリィが主催する「親睦のお茶会」が開催されようとしていた。
これは、婚約破棄騒動で揺れた王室のイメージを回復させるための、重要な外交儀礼でもあった。
以前であれば、こうした行事の準備はキサキが全て、秒単位のスケジュール表にまとめていたのだが。
「……リリィ様。失礼ながら、開催まであと三時間ですが、茶葉の選定はどうなっておりますか?」
王宮の侍従長が、震える声で尋ねた。
彼の目の前には、大量のピンク色のリボンと、山のように積まれた「可愛いけれど食べにくい」アイシングクッキーがある。
「ええっと、茶葉ですか? リリィ、キラキラした感じのがいいなって思って、昨日妖精さんにお願いしておきましたぁ!」
「妖精、ですか……。現実的な納品業者のリストは、どこに?」
「リスト? そんなの、心が通じ合えば必要ないですよぉ。あ、それより見てください! このテーブルクロス、フリルを三千個も付けさせたんです。可愛くないですかぁ?」
侍従長は、眩暈(めまい)を堪えるために壁に手をついた。
キサキであれば、ゲストの好みをデータベース化し、アレルギー情報を把握し、室温と湿度に合わせて茶葉の蒸らし時間を指定していただろう。
「リリィ様。フリルの数よりも、招待客の座席表を……。隣国の大使と、その政敵である伯爵が隣り合わせになっています。これでは茶会の最中に決闘が始まりますぞ」
「えーっ、仲良くすればいいだけじゃないですか。リリィがニコって笑えば、みんなハッピーですよ!」
そこへ、顔色の悪いアラルド皇太子が現れた。
彼は手元の報告書……キサキがいなくなったことで、信じられないほど読みづらくなった生データの束を抱えている。
「リリィ、準備はどうだ。……なんだ、この甘ったるい匂いは。それに、このフリルのせいで歩くスペースがないじゃないか」
「アラルド様! もう、そんなにピリピリして。これ、リリィが選んだ『癒やしのマカロン』です。食べてください!」
リリィがアラルドの口にマカロンを押し込む。
アラルドはそれを咀嚼しながら、ふと、キサキのことを思い出してしまった。
(キサキなら……。私の健康状態を考えて、糖分を控え、かつ脳の活性化に良いナッツ類を、私が欲しがる瞬間に差し出していた。しかも、一言も喋らずに、だ……)
「……リリィ。マカロンはいい。それより、あの大使たちへの贈答品はどうした。キサキはいつも、相手の領地の特産品を事前に調査して……」
「キサキ様、キサキ様って……もう! アラルド様、リリィとあんな可愛くない女を比べないでください! リリィは聖女なんですよ? 愛があれば、準備なんて適当でもなんとかなります!」
リリィが頬を膨らませて怒る。
だが、「なんとかなる」という言葉ほど、今の王宮において無責任な響きはなかった。
開催一時間前。
ついに恐れていた事態が起きた。
「報告します! 厨房でボヤ騒ぎです! リリィ様が指定された『魔法の演出用の香料』が火に引火しました!」
「な、なんだと!? 消火は!」
「消火器の配置図が見当たりません! 以前はキサキ様が、全ての部屋の壁に最短ルートの地図を貼っておられたのですが、リリィ様が『可愛くないから』と全て剥がしてしまわれて……!」
侍従たちがパニックに陥り、王宮内を右往左往する。
動線が計算されていない廊下では、皿を持ったメイドと、書類を持った役人が正面衝突し、至る所で悲鳴が上がった。
「リリィ……! 配置図を剥がしたのか!?」
「だって、ピンク色じゃないし、図面とか見るだけで頭が痛くなるんですもん……。あ、ボヤならリリィの聖水で……えいっ!」
リリィが適当に放った魔法のしぶきは、火元に届く前に、最高級のシルクでできたカーテンをびしょ濡れにした。
「……ああ……。あのカーテン、金貨百枚はするぞ……」
アラルドは膝から崩れ落ちた。
かつてキサキが支配していた「完璧な秩序」という名の宮殿が、たった数週間で「ピンク色の地獄」へと変貌していく。
結局、お茶会は開始直前に中止となった。
門の前まで来た大使たちは、煤(すす)だらけの王宮を見て、露骨に不快な表情を浮かべて立ち去っていった。
「……外交問題だ。これは間違いなく、隣国との関係にヒビが入る……」
アラルドは、煙の漂うサロンで独りごちた。
リリィはと言えば、「中止になったから、リリィとお昼寝できますね!」と、全く反省の色を見せていない。
アラルドは、ふと机の上に残されていた、キサキの古い手帳の切れ端を見つけた。
そこには、美しい筆跡でこう書かれていた。
『行事の成功とは、当日の華やかさではなく、前日までの準備効率で決まる。一パーセントの不安要素は、当日に百パーセントの災厄となって現れる』
「……キサキ。お前は、こんな恐ろしい戦いを、一人で、しかも無表情でこなしていたのか……」
アラルドの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは愛ゆえの涙ではなく、ただただ、失った「有能なパートナー」への、切実な後悔の涙だった。
一方その頃。
アデレード領では、キサキがゼノスと共に、三千人の領民を招いた大宴会を、一秒の遅延もなく完遂させていたのである。
王宮では、聖女リリィが主催する「親睦のお茶会」が開催されようとしていた。
これは、婚約破棄騒動で揺れた王室のイメージを回復させるための、重要な外交儀礼でもあった。
以前であれば、こうした行事の準備はキサキが全て、秒単位のスケジュール表にまとめていたのだが。
「……リリィ様。失礼ながら、開催まであと三時間ですが、茶葉の選定はどうなっておりますか?」
王宮の侍従長が、震える声で尋ねた。
彼の目の前には、大量のピンク色のリボンと、山のように積まれた「可愛いけれど食べにくい」アイシングクッキーがある。
「ええっと、茶葉ですか? リリィ、キラキラした感じのがいいなって思って、昨日妖精さんにお願いしておきましたぁ!」
「妖精、ですか……。現実的な納品業者のリストは、どこに?」
「リスト? そんなの、心が通じ合えば必要ないですよぉ。あ、それより見てください! このテーブルクロス、フリルを三千個も付けさせたんです。可愛くないですかぁ?」
侍従長は、眩暈(めまい)を堪えるために壁に手をついた。
キサキであれば、ゲストの好みをデータベース化し、アレルギー情報を把握し、室温と湿度に合わせて茶葉の蒸らし時間を指定していただろう。
「リリィ様。フリルの数よりも、招待客の座席表を……。隣国の大使と、その政敵である伯爵が隣り合わせになっています。これでは茶会の最中に決闘が始まりますぞ」
「えーっ、仲良くすればいいだけじゃないですか。リリィがニコって笑えば、みんなハッピーですよ!」
そこへ、顔色の悪いアラルド皇太子が現れた。
彼は手元の報告書……キサキがいなくなったことで、信じられないほど読みづらくなった生データの束を抱えている。
「リリィ、準備はどうだ。……なんだ、この甘ったるい匂いは。それに、このフリルのせいで歩くスペースがないじゃないか」
「アラルド様! もう、そんなにピリピリして。これ、リリィが選んだ『癒やしのマカロン』です。食べてください!」
リリィがアラルドの口にマカロンを押し込む。
アラルドはそれを咀嚼しながら、ふと、キサキのことを思い出してしまった。
(キサキなら……。私の健康状態を考えて、糖分を控え、かつ脳の活性化に良いナッツ類を、私が欲しがる瞬間に差し出していた。しかも、一言も喋らずに、だ……)
「……リリィ。マカロンはいい。それより、あの大使たちへの贈答品はどうした。キサキはいつも、相手の領地の特産品を事前に調査して……」
「キサキ様、キサキ様って……もう! アラルド様、リリィとあんな可愛くない女を比べないでください! リリィは聖女なんですよ? 愛があれば、準備なんて適当でもなんとかなります!」
リリィが頬を膨らませて怒る。
だが、「なんとかなる」という言葉ほど、今の王宮において無責任な響きはなかった。
開催一時間前。
ついに恐れていた事態が起きた。
「報告します! 厨房でボヤ騒ぎです! リリィ様が指定された『魔法の演出用の香料』が火に引火しました!」
「な、なんだと!? 消火は!」
「消火器の配置図が見当たりません! 以前はキサキ様が、全ての部屋の壁に最短ルートの地図を貼っておられたのですが、リリィ様が『可愛くないから』と全て剥がしてしまわれて……!」
侍従たちがパニックに陥り、王宮内を右往左往する。
動線が計算されていない廊下では、皿を持ったメイドと、書類を持った役人が正面衝突し、至る所で悲鳴が上がった。
「リリィ……! 配置図を剥がしたのか!?」
「だって、ピンク色じゃないし、図面とか見るだけで頭が痛くなるんですもん……。あ、ボヤならリリィの聖水で……えいっ!」
リリィが適当に放った魔法のしぶきは、火元に届く前に、最高級のシルクでできたカーテンをびしょ濡れにした。
「……ああ……。あのカーテン、金貨百枚はするぞ……」
アラルドは膝から崩れ落ちた。
かつてキサキが支配していた「完璧な秩序」という名の宮殿が、たった数週間で「ピンク色の地獄」へと変貌していく。
結局、お茶会は開始直前に中止となった。
門の前まで来た大使たちは、煤(すす)だらけの王宮を見て、露骨に不快な表情を浮かべて立ち去っていった。
「……外交問題だ。これは間違いなく、隣国との関係にヒビが入る……」
アラルドは、煙の漂うサロンで独りごちた。
リリィはと言えば、「中止になったから、リリィとお昼寝できますね!」と、全く反省の色を見せていない。
アラルドは、ふと机の上に残されていた、キサキの古い手帳の切れ端を見つけた。
そこには、美しい筆跡でこう書かれていた。
『行事の成功とは、当日の華やかさではなく、前日までの準備効率で決まる。一パーセントの不安要素は、当日に百パーセントの災厄となって現れる』
「……キサキ。お前は、こんな恐ろしい戦いを、一人で、しかも無表情でこなしていたのか……」
アラルドの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは愛ゆえの涙ではなく、ただただ、失った「有能なパートナー」への、切実な後悔の涙だった。
一方その頃。
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