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翌朝、キサキは王宮の鏡の前で、自分の左胸に手を当てて静止していた。
その指先には、昨日ゼノスから贈られたばかりの、装飾を削ぎ落としたダイヤモンドが光っている。
「……おかしいですわ。起床から十分経過したというのに、安静時心拍数が通常より十パーセント高いまま推測推移しています。これは、昨夜の『契約締結』による残響(エコー)効果でしょうか」
キサキが真剣な顔で自己分析をしていると、着替えの準備を持ったマーサが入ってきた。
「お嬢様、おめでとうございます! ゼノス様との婚約、王宮中で噂になっていますわよ。『冷徹な二人がついに国家レベルの合併を決めた』って」
「合併……。確かに定義としては間違いありませんが、マーサ、世間は誤解しているようですわ。これは単なる利害の一致ではありません」
キサキはマーサの方を向き、珍しく熱を帯びた瞳で言い切った。
「これは、私の全リソースを彼という唯一無二の存在に投資したいという、本能的な衝動……いわゆる『純愛』という名の、最高純度のエネルギー変換なのですわ!」
「……それを、普通の人は『大好き』って言うんですよ、お嬢様」
マーサが呆れ顔で指摘したその時、扉がノックされ、ゼノスが入ってきた。
彼は既に完璧な正装に身を包み、脇には分厚い一冊のファイルを抱えている。
「おはよう、キサキ。……今日も君の顔色の彩度は、私の網膜にとって最も心地よい数値だ」
「おはようございます、ゼノス様。……そのファイルは?」
「我々の『共同生活に関する基本合意書』の第一稿だ。寝室の温度管理、朝食の栄養バランス、そして一日のうちで確保すべき『親睦の時間』の最低ラインについて、全三百二十条にまとめた」
ゼノスが重々しく机に置いた書類には、確かに『結婚契約書』という文字が躍っていた。
それを見たマーサが、小声で呟く。
「……やっぱり契約結婚じゃないですか」
「マーサ。内容を読みなさい。第百二十八条を」
キサキが促し、マーサが恐る恐るその条項を読み上げた。
「……第百二十八条。『夫(ゼノス)は妻(キサキ)が疲労により作業効率を五パーセント低下させた場合、即座に全ての公務を停止し、妻を抱きしめて回復を促さなければならない。その際、妻が満足するまで離れてはならないものとする』……って、これ!」
「ええ。単なる契約ではありません。これは、お互いの幸福を最大化するための、論理的な強制愛ですの」
キサキは少し頬を赤らめながら、ゼノスの隣に立った。
ゼノスもまた、彼女の腰を自然な、しかし力強い動作で引き寄せた。
「キサキ、私は君との生活を『義務』とは考えていない。君という存在を慈しむことが、私の脳にとって最も報酬系の反応が高い行動だからだ。契約はあくまで、その喜びを習慣化するためのバックアップに過ぎない」
「ゼノス様……。貴方って、なんて情熱的な数式を提示してくださるのかしら」
二人の間に流れる空気は、傍から見れば無機質な事務作業に見えるかもしれない。
だが、交わされる視線の熱量は、どんな燃え上がる恋人たちよりも高かった。
「……はあ。お二人にとっては、これが最高に甘い囁き合いなんですね。理解するのを諦めましたわ」
マーサが白旗を上げたところで、キサキは時計をカチリと鳴らした。
「さて、惚気(のろけ)に割く予定時間は終了です。ゼノス様、引っ越しのパッキングは終わりましたか?」
「ああ。君の教え通り、重いものから順に下へ、重心を考慮して積み込んだ。馬車の揺れによる荷崩れ確率は零・一パーセント以下だ」
「素晴らしいわ! では、この『ピンク色の呪縛』が解けた王宮に、最後の挨拶(あるいは効率化のアドバイス)を残して、出発しましょう!」
キサキはゼノスの腕に自分の腕を絡め、颯爽と歩き出した。
二人の向かう先は、隣国ガルシア帝国。
そこには、世界で最も無駄がなく、そして世界で最も深く愛し合う、最強の夫婦の居場所が待っていた。
「契約結婚……? いいえ、これは、不変の定数(あい)で結ばれた、究極の純愛ですわ!」
キサキの高らかな宣言と共に、二人の「新生活という名の巨大プロジェクト」が、定刻通りに始動した。
その指先には、昨日ゼノスから贈られたばかりの、装飾を削ぎ落としたダイヤモンドが光っている。
「……おかしいですわ。起床から十分経過したというのに、安静時心拍数が通常より十パーセント高いまま推測推移しています。これは、昨夜の『契約締結』による残響(エコー)効果でしょうか」
キサキが真剣な顔で自己分析をしていると、着替えの準備を持ったマーサが入ってきた。
「お嬢様、おめでとうございます! ゼノス様との婚約、王宮中で噂になっていますわよ。『冷徹な二人がついに国家レベルの合併を決めた』って」
「合併……。確かに定義としては間違いありませんが、マーサ、世間は誤解しているようですわ。これは単なる利害の一致ではありません」
キサキはマーサの方を向き、珍しく熱を帯びた瞳で言い切った。
「これは、私の全リソースを彼という唯一無二の存在に投資したいという、本能的な衝動……いわゆる『純愛』という名の、最高純度のエネルギー変換なのですわ!」
「……それを、普通の人は『大好き』って言うんですよ、お嬢様」
マーサが呆れ顔で指摘したその時、扉がノックされ、ゼノスが入ってきた。
彼は既に完璧な正装に身を包み、脇には分厚い一冊のファイルを抱えている。
「おはよう、キサキ。……今日も君の顔色の彩度は、私の網膜にとって最も心地よい数値だ」
「おはようございます、ゼノス様。……そのファイルは?」
「我々の『共同生活に関する基本合意書』の第一稿だ。寝室の温度管理、朝食の栄養バランス、そして一日のうちで確保すべき『親睦の時間』の最低ラインについて、全三百二十条にまとめた」
ゼノスが重々しく机に置いた書類には、確かに『結婚契約書』という文字が躍っていた。
それを見たマーサが、小声で呟く。
「……やっぱり契約結婚じゃないですか」
「マーサ。内容を読みなさい。第百二十八条を」
キサキが促し、マーサが恐る恐るその条項を読み上げた。
「……第百二十八条。『夫(ゼノス)は妻(キサキ)が疲労により作業効率を五パーセント低下させた場合、即座に全ての公務を停止し、妻を抱きしめて回復を促さなければならない。その際、妻が満足するまで離れてはならないものとする』……って、これ!」
「ええ。単なる契約ではありません。これは、お互いの幸福を最大化するための、論理的な強制愛ですの」
キサキは少し頬を赤らめながら、ゼノスの隣に立った。
ゼノスもまた、彼女の腰を自然な、しかし力強い動作で引き寄せた。
「キサキ、私は君との生活を『義務』とは考えていない。君という存在を慈しむことが、私の脳にとって最も報酬系の反応が高い行動だからだ。契約はあくまで、その喜びを習慣化するためのバックアップに過ぎない」
「ゼノス様……。貴方って、なんて情熱的な数式を提示してくださるのかしら」
二人の間に流れる空気は、傍から見れば無機質な事務作業に見えるかもしれない。
だが、交わされる視線の熱量は、どんな燃え上がる恋人たちよりも高かった。
「……はあ。お二人にとっては、これが最高に甘い囁き合いなんですね。理解するのを諦めましたわ」
マーサが白旗を上げたところで、キサキは時計をカチリと鳴らした。
「さて、惚気(のろけ)に割く予定時間は終了です。ゼノス様、引っ越しのパッキングは終わりましたか?」
「ああ。君の教え通り、重いものから順に下へ、重心を考慮して積み込んだ。馬車の揺れによる荷崩れ確率は零・一パーセント以下だ」
「素晴らしいわ! では、この『ピンク色の呪縛』が解けた王宮に、最後の挨拶(あるいは効率化のアドバイス)を残して、出発しましょう!」
キサキはゼノスの腕に自分の腕を絡め、颯爽と歩き出した。
二人の向かう先は、隣国ガルシア帝国。
そこには、世界で最も無駄がなく、そして世界で最も深く愛し合う、最強の夫婦の居場所が待っていた。
「契約結婚……? いいえ、これは、不変の定数(あい)で結ばれた、究極の純愛ですわ!」
キサキの高らかな宣言と共に、二人の「新生活という名の巨大プロジェクト」が、定刻通りに始動した。
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