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「――というわけで、我が国はミナ・フォレスト嬢の即時返還を要求する!」
カイル殿下の執務室に、馴染みのある(そして聞きたくもない)アクセントの大声が響き渡った。
目の前に立っているのは、かつての祖国から派遣されてきた外交官、バロン男爵だ。
彼は脂ぎった額の汗を拭きもせず、羊皮紙を振り回して喚いている。
私は淹れたての紅茶をカイル殿下のデスクに置き、優雅に振り返った。
「お久しぶりです、バロン男爵。
『即時返還』とはまた、随分と乱暴な物言いですね。私は迷子の猫か何かですか?
それとも、ジュリアン殿下はついに『人間』と『所有物』の区別がつかなくなってしまわれたのでしょうか?」
「だ、黙れ! 貴様が国を出て行ってから、我が国の内政はガタガタなのだ!
予算の承認は滞り、夜会リストは重複し、王宮の備品管理すらままならない!
これは国家的な損失だ! 貴様には、国に戻ってその罪を償う義務がある!」
男爵が唾を飛ばしながら叫ぶ。
なるほど。要約すると「ミナが全部やっていた仕事を誰も引き継げず、全員がポンコツだと露呈しました。助けてください」ということか。
あまりの情けなさに、怒りを通り越して乾いた笑いが出る。
「男爵。一つ訂正させてください。
私は『出て行った』のではありません。『婚約破棄され、国外追放を言い渡された』のです。
その命令書、ここにコピーがありますけれど、読み上げましょうか?
『貴様の顔など二度と見たくない』と、殿下の直筆サイン入りで書かれていますよ?」
「ぐぬっ……! そ、それは、言葉のアヤだ!
殿下は今、寛大なお心で『戻ることを許す』と仰っているのだぞ!
感謝して泣いて縋るのが筋だろう!」
「……」
カイル殿下が、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。
カチャリ、という硬質な音が、部屋の空気を一変させる。
……沈黙。
殿下は無表情のまま、バロン男爵を氷点下の視線で見下ろしている。
「ひっ……! な、なんだ、その目は……!」
「……(スッ)」
カイル殿下が、机の上のペーパーナイフを手に取った。
そして、その切っ先を男爵ではなく、男爵が持っている「返還要求書」に向けた。
「……(……)」
「あ、バロン男爵。カイル殿下が翻訳をご所望です。
殿下は今、こう仰っています。
『貴国の恥知らずな要求には反吐が出る。自ら捨てた宝石の価値に今更気づいても、もう遅い。
ミナは現在、我がレオンハルト王国の「心臓部」であり、私の精神安定剤だ。
それを奪おうとするなら、それは我が国への宣戦布告と見なす。
……その羊皮紙ごと、貴様を微塵切りにしてやろうか?』
……だそうです。あ、微塵切りは殿下流のブラックジョークですので、笑ってあげてください」
「な、ななな……宣戦布告だと!?
たかが小娘一人のために、国交を断絶する気か!」
「たかが小娘、とおっしゃいましたか?」
私は扇をパチンと閉じ、男爵の目の前まで歩み寄った。
そして、にっこりと「悪役令嬢スマイル」を向ける。
「その『たかが小娘』に、貴国の国家運営の半分以上を依存していたのはどこの誰ですか?
いいですか、男爵。お帰りください。
そしてジュリアン殿下にお伝えください。
『ミナは現在、時給換算で貴国の国家予算並みの価値がある男の隣で、優雅に紅茶を淹れております。
低賃金かつブラックな元職場に戻る予定は、来世までございません』……とね」
「き、貴様ら……! 後悔するぞ! ジュリアン殿下が本気を出せば、こんな国など……!」
男爵は顔を真っ赤にして捨て台詞を吐き、転がるように執務室から逃げ出した。
嵐が去った後の室内。
カイル殿下は、ふぅとため息をつくと、私が淹れた紅茶を一口すすった。
「……(……おいしい)」
「あら、殿下。まだ怒っていますね?
今の『おいしい』は、『あんな害虫に時間を割いたせいで、紅茶が0.5度冷めてしまった。ミナ、お詫びに今夜は私の愚痴(という名の無言の甘え)に付き合え』……という意味を含んでいますね?」
「……(コクリ)」
「素直でよろしい。
まったく、あの国も落ちるところまで落ちましたね。
でも殿下、気をつけてください。
あのバカ王子……いえ、ジュリアン殿下のことです。
使者がダメなら、次はもっと斜め上の手段で強硬突破してくるかもしれませんわ」
「……(……どんな手段でも、私が守る)」
カイル殿下は、力強い瞳で私を見つめ返した。
その瞳には、もはや迷いも不安もない。
あるのは、私という「最強の武器兼パートナー」を守り抜くという、王者の覚悟だけだ。
「頼りにしていますよ、私の寡黙なナイト様。
……さて、今のうちに請求書を作っておきましょうか。
『外交官対応費』および『精神的苦痛への慰謝料』。……宛先は、ジュリアン殿下の私費口座でいいかしら」
私は羊皮紙に向かい、楽しげにペンのインクを走らせた。
元婚約者の自爆ショーは、まだ始まったばかりである。
カイル殿下の執務室に、馴染みのある(そして聞きたくもない)アクセントの大声が響き渡った。
目の前に立っているのは、かつての祖国から派遣されてきた外交官、バロン男爵だ。
彼は脂ぎった額の汗を拭きもせず、羊皮紙を振り回して喚いている。
私は淹れたての紅茶をカイル殿下のデスクに置き、優雅に振り返った。
「お久しぶりです、バロン男爵。
『即時返還』とはまた、随分と乱暴な物言いですね。私は迷子の猫か何かですか?
それとも、ジュリアン殿下はついに『人間』と『所有物』の区別がつかなくなってしまわれたのでしょうか?」
「だ、黙れ! 貴様が国を出て行ってから、我が国の内政はガタガタなのだ!
予算の承認は滞り、夜会リストは重複し、王宮の備品管理すらままならない!
これは国家的な損失だ! 貴様には、国に戻ってその罪を償う義務がある!」
男爵が唾を飛ばしながら叫ぶ。
なるほど。要約すると「ミナが全部やっていた仕事を誰も引き継げず、全員がポンコツだと露呈しました。助けてください」ということか。
あまりの情けなさに、怒りを通り越して乾いた笑いが出る。
「男爵。一つ訂正させてください。
私は『出て行った』のではありません。『婚約破棄され、国外追放を言い渡された』のです。
その命令書、ここにコピーがありますけれど、読み上げましょうか?
『貴様の顔など二度と見たくない』と、殿下の直筆サイン入りで書かれていますよ?」
「ぐぬっ……! そ、それは、言葉のアヤだ!
殿下は今、寛大なお心で『戻ることを許す』と仰っているのだぞ!
感謝して泣いて縋るのが筋だろう!」
「……」
カイル殿下が、ゆっくりとカップをソーサーに戻した。
カチャリ、という硬質な音が、部屋の空気を一変させる。
……沈黙。
殿下は無表情のまま、バロン男爵を氷点下の視線で見下ろしている。
「ひっ……! な、なんだ、その目は……!」
「……(スッ)」
カイル殿下が、机の上のペーパーナイフを手に取った。
そして、その切っ先を男爵ではなく、男爵が持っている「返還要求書」に向けた。
「……(……)」
「あ、バロン男爵。カイル殿下が翻訳をご所望です。
殿下は今、こう仰っています。
『貴国の恥知らずな要求には反吐が出る。自ら捨てた宝石の価値に今更気づいても、もう遅い。
ミナは現在、我がレオンハルト王国の「心臓部」であり、私の精神安定剤だ。
それを奪おうとするなら、それは我が国への宣戦布告と見なす。
……その羊皮紙ごと、貴様を微塵切りにしてやろうか?』
……だそうです。あ、微塵切りは殿下流のブラックジョークですので、笑ってあげてください」
「な、ななな……宣戦布告だと!?
たかが小娘一人のために、国交を断絶する気か!」
「たかが小娘、とおっしゃいましたか?」
私は扇をパチンと閉じ、男爵の目の前まで歩み寄った。
そして、にっこりと「悪役令嬢スマイル」を向ける。
「その『たかが小娘』に、貴国の国家運営の半分以上を依存していたのはどこの誰ですか?
いいですか、男爵。お帰りください。
そしてジュリアン殿下にお伝えください。
『ミナは現在、時給換算で貴国の国家予算並みの価値がある男の隣で、優雅に紅茶を淹れております。
低賃金かつブラックな元職場に戻る予定は、来世までございません』……とね」
「き、貴様ら……! 後悔するぞ! ジュリアン殿下が本気を出せば、こんな国など……!」
男爵は顔を真っ赤にして捨て台詞を吐き、転がるように執務室から逃げ出した。
嵐が去った後の室内。
カイル殿下は、ふぅとため息をつくと、私が淹れた紅茶を一口すすった。
「……(……おいしい)」
「あら、殿下。まだ怒っていますね?
今の『おいしい』は、『あんな害虫に時間を割いたせいで、紅茶が0.5度冷めてしまった。ミナ、お詫びに今夜は私の愚痴(という名の無言の甘え)に付き合え』……という意味を含んでいますね?」
「……(コクリ)」
「素直でよろしい。
まったく、あの国も落ちるところまで落ちましたね。
でも殿下、気をつけてください。
あのバカ王子……いえ、ジュリアン殿下のことです。
使者がダメなら、次はもっと斜め上の手段で強硬突破してくるかもしれませんわ」
「……(……どんな手段でも、私が守る)」
カイル殿下は、力強い瞳で私を見つめ返した。
その瞳には、もはや迷いも不安もない。
あるのは、私という「最強の武器兼パートナー」を守り抜くという、王者の覚悟だけだ。
「頼りにしていますよ、私の寡黙なナイト様。
……さて、今のうちに請求書を作っておきましょうか。
『外交官対応費』および『精神的苦痛への慰謝料』。……宛先は、ジュリアン殿下の私費口座でいいかしら」
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