婚約破棄?どうぞ!それどころではないですわ!

萩月

文字の大きさ
21 / 28

21

しおりを挟む
「……ああ、なんという痛ましい。リリアン様の白雪のような手首に、このような……このような野蛮な痕跡が残るなんて! これは世界遺産に落書きをされたも同然ですわ!」

 修道院の私室にて、私はリリアン様の細い手首を捧げ持ち、涙ながらに叫びました。

 山賊事件から一晩。

 リリアン様の手首には、言われなければ気づかないほどの、わずかに赤い擦り傷が一つ。

 ですが、私にとっては天を仰ぎ、神に抗議したくなるほどの重傷なのです。

「ローズマリー様、もう大丈夫ですわ。昨日から十回以上も、この最高級の薬草オイルを塗ってくださいましたし……。むしろ、オイルで滑ってティーカップが持てないくらいです」

 リリアン様が困ったように微笑みます。

 ああ、その困り顔! 眉間の微かな寄せ具合が、守護欲を極限まで刺激します!

「ダメですわ、リリアン様! 美しさは脆弱な硝子細工。一度ヒビが入れば、そこから世界の崩壊が始まるのです。……アン! 例の『絶対防壁(サンクチュアリ)』の準備は整いまして?」

「……整いましたよ。というか、お嬢様。部屋の入り口に『不純物(男)立入禁止。美しくない者は半径五メートル以内に近づくべからず』という看板を立てるの、本気だったんですか?」

 アンが呆れ顔で、特大の看板を運び込んできました。

 私は胸を張り、扇を力強く広げました。

「当然ですわ! 今のリリアン様は傷ついた蝶。むさ苦しい男の吐息や、整っていない髭の司祭様、そして何より……反省も美意識も足りない皇太子の存在そのものが、彼女の治癒を妨げる毒なのです!」

 その時、廊下からドタバタと騒がしい足音が聞こえてきました。

「ローズマリー! 開けろ! リリアンの見舞いに来たんだ! 昨日のことは本当に……その、悪かったと思っている!」

 扉の向こうで叫んでいるのは、セドリック殿下です。

 私は即座に、扉の隙間から「美の鉄拳」……もとい、鋭い眼光を投げかけました。

「殿下! そこでお止まりなさい! 貴方の今の心の乱れが、体臭となってこちらまで漂ってきておりますわよ!」

「なっ、体臭だと!? 私は今朝、薔薇の香油で身を清めてきたばかりだぞ!」

「内面から滲み出る『美しくない自責の念』が、香油の質を落としていると言っているのです! リリアン様の細胞が貴方の声を拒絶しております。今すぐ回れ右をして、カトリーヌ様と共にスクワットでもしてきなさいな!」

「誰がスクワットだ! 私は皇太子だぞ! リリアン、君からも何か言ってくれ!」

 リリアン様は私と扉を交互に見て、ふふっと小さく吹き出しました。

「セドリック様、ごめんなさい。……ローズマリー様が『今は美の療養中』だと仰るので。私、もう少しだけ、この甘美な拘束を楽しもうと思いますわ」

「……リリアン? 君まで、あいつの変な理屈に染まってしまったのか……?」

 扉の外で、セドリック殿下がガックリと膝を突く音が聞こえました。

 勝機です。

「カトリーヌ様! そこにいらっしゃるのでしょう? 殿下を速やかに連行してください。あ、カトリーヌ様なら入室を許可しますわよ。貴女の凛々しさは、リリアン様の心臓に良い刺激を与えますから」

「……。私は断る。今の貴様の部屋は、甘ったるいオイルの香りと、狂気じみた『愛』が充満しすぎていて、呼吸困難になりそうだ」

 カトリーヌ様の冷ややかな、けれどどこか呆れた声。

 結局、殿下はカトリーヌ様にズルズルと引きずられていきました。

 私は満足げに頷き、リリアン様の肩に優しくブランケットをかけました。

「さて、邪魔者はいなくなりましたわ。リリアン様、次は……傷口の完治を祝して、私の秘蔵の『美少女観賞用・特選ハーブティー』を淹れましょうね」

「ローズマリー様……。貴女は本当に、私のことを『宝物』だと思ってくださっているのですね」

 リリアン様が、私の手の上にそっと自分の手を重ねました。

 その体温。その柔らかな感触。

「……当然ですわ。貴女は、私がこの世界で見つけた、最も守るべき輝き。……誰にも、一指も触れさせません。もし、次に貴女に傷をつけようとする者が現れたら、私はこの修道院ごと爆破してでも、貴女を安全な場所へ連れ去りますわ!」

「爆破は困りますけれど……でも、嬉しいですわ」

 リリアン様の微笑みに、私の心臓は本日百回目となる限界突破(オーバーヒート)を迎えました。

 悪役令嬢による「絶対防壁」。

 それは、皇太子すら入り込めない、美しき乙女たちだけの不可侵条約。

 私はこの瞬間、決意を新たにしました。

 王都へ戻るにせよ、ここで暮らすにせよ、私の愛でる「宝物たち」の輝きを、永遠に、完璧に、守り抜いてみせると。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

グランディア様、読まないでくださいっ!〜仮死状態となった令嬢、婚約者の王子にすぐ隣で声に出して日記を読まれる〜

恋愛
第三王子、グランディアの婚約者であるティナ。 婚約式が終わってから、殿下との溝は深まるばかり。 そんな時、突然聖女が宮殿に住み始める。 不安になったティナは王妃様に相談するも、「私に任せなさい」とだけ言われなぜかお茶をすすめられる。 お茶を飲んだその日の夜、意識が戻ると仮死状態!? 死んだと思われたティナの日記を、横で読み始めたグランディア。 しかもわざわざ声に出して。 恥ずかしさのあまり、本当に死にそうなティナ。 けれど、グランディアの気持ちが少しずつ分かり……? ※この小説は他サイトでも公開しております。

婚約破棄されたのに、王太子殿下がバルコニーの下にいます

ちよこ
恋愛
「リリス・フォン・アイゼンシュタイン。君との婚約を破棄する」 王子による公開断罪。 悪役令嬢として破滅ルートを迎えたリリスは、ようやく自由を手に入れた……はずだった。 だが翌朝、屋敷のバルコニーの下に立っていたのは、断罪したはずの王太子。 花束を抱え、「おはよう」と微笑む彼は、毎朝訪れるようになり—— 「リリス、僕は君の全てが好きなんだ。」 そう語る彼は、狂愛をリリスに注ぎはじめる。 婚約破棄×悪役令嬢×ヤンデレ王子による、 テンプレから逸脱しまくるダークサイド・ラブコメディ!

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

処理中です...