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図書室の女の子
図書室の女の子2
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場面が、変わった。あまりにも突然変わったので、カオルは驚き辺りを見渡した。大きな橋がかかった、川がある。なにかあったのか、橋のほうが騒がしい。
「なにかあったんですか?」
カオルはそう尋ねる声に、聞き覚えがありふり返った。ジョバンニだ。ジョバンニの質問に、女性が答えた。
「子どもが、川に落ちたそうよ」
ジョバンニが、走った。カオルもあとを追いかける。広い河原に出た。途中ちらり、と警官であろう姿も見えた。カオルはなんとなく、いやな予感がした。河原の下流で、洲のようになった場所に人影のかたまりが見えた。ジョバンニは、そちらに向かっていた。ジョバンニの知り合いらしい男の子が、泣きそうな顔で事情を説明していた。
「カムパネルラが、川でおぼれたんだ」
どうやらザネリ、という友達が舟から落ちたらしい。そのザネリを助けようとカムパネルラは飛びこんでから、姿が見えないそうだ。ザネリは、助かったらしい。カムパネルラが落ちてずいぶん時間が経ったのだろうか。人々が引き上げて始めた。ジョバンニは、一人の男性に近づいた。そして、男性の話を聞くと力いっぱい走って、その場を去った。カオルとすれ違ったが、気づかずに行ってしまった。ジョバンニは悲しみや驚き、ありとあらゆる感情を出したいけれどどうすればいいかわらかない、そんな表情をしていた。
ジョバンニの背中が見えなくなったとき、カオルのとなりにドアが現れた。
「外に出られるのか?」
カオルは少しためらいながら、ドアノブを握った。
「うわっ!」
開けると、まぶしい光がカオルを包みこんだ。ぐん、と強い力で引っ張られるのを感じた。ドアはカオルを飲みこむと、なにごともなかったかのように、消えた。
まいはまだ泣いていた。けれど、そろそろ泣くことにも疲れてきた。すん、と鼻をすすった。そのとき、カオルを閉じこめた本、銀河鉄道の夜が大きくなり、開いた。まいは驚いた。そこからカオルが転がってきた。
『まさか、出てこられたの?』
「いっててて……」
カオルは腰をさすっていた。カオルは辺りを見回した。どうやら、図書室にもどってくることができたようだ。まいは慌てて涙をぬぐった。しかしカオルは、それに気がつかなかった。
「あすかとレンがいない。おい、あの二人はどこだ?」
カオルはまいを睨んだ。
『あの二人は、雪の結晶の図鑑に閉じこめた。図鑑は、あなたを閉じこめた物語の本とはちがう。物語の本には、必ず終わりがあるけれど、図鑑の世界に終わりはない。だから、出口が現れることはない』
「そ、そんな……。レン、あすか!」
カオルは床に落ちている、二人を飲みこんだ雪の図鑑を開こうとした。けれど接着剤でくっつけたように、びくともしなかった。それでもカオルは諦めず、本を開こうとしていた。それを見ながらまいは、ぽつり、とつぶやいた。
『ムロマチの妹なら、あの図鑑にずっといればいいのよ』
その意味がわかるのは、まいだけだった。
「……すか。おい、あすかっ。しっかりしろ!」
あすかは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。レンだ。どうやら気絶していたらしい。ゆっくり、と体を起こす。
「だいじょうぶか?」
「ああ。悪い、レン。オレが避けられなかったせいで……」
「そんなこと、気にするなよ。それより、見てみろよ」
あすかは辺りを見回した。一面の銀世界だ。しかし寒さはない。
「な、なんだここ?」
「たぶんおれたちを飲みこんだ、本の中の世界だ。とにかく、進んでみよう」
「ああ、そうだな」
二人は雪原を歩きはじめた。ぼすん、ぼすん、と二人の足跡ができた。雪が二人のふくらはぎまを覆う。冷たさはない。感触はあるが、温度はないらしい。なんだか、変なかんじだ。
「でもちょっと楽しいかも」
あすかはぼすんぼすん、とあちこちに足跡をつくった。三人が住んでいる地域はあまり雪が降らないので、こんなことはまずできない。
歩いていると、徐々に雪が溶けて川辺に着いた。草も生えているが、枯れて茶色になっている。水面には薄い氷が張っている。二人は川沿いを歩き続けた。歩いていると、何度も景色が変わった。真っ白な山、雪に覆われた丘、二人よりも大きな雪の結晶。どこまで歩いても雪が出てくる。
「なあ、これってどこまで行けばいいんだ?」
「わからない。でも歩くしかない」
初めは変わる景色や雪を楽しんでいた二人だが、あきてしまった。
どれくらい時間が経ったのだろう。二人は一度休憩することにした。座ってもぬれないことは、いいことだ。
「さて、どうしようか」
「わかりやすく、出口でもあればいいんだけどな」
しかし、それらしきものは見当たらない。あすかは、疑問に思っていることを尋ねた。
「なあ、あのまいって子なんだけどさ。なんでムロ兄のこと話したら、怒ったんだろ?」
それはレンも不思議に思っていた。ムロマチが合言葉を知っていたということは、二人は知り合いなのだろう。そして、あまりいい別れ方ではなかったのかもしれない。
「ムロマチさんから、そんな話を聞いたことはないのか?」
「ああ。全然ない。ムロ兄とまい……どんな関係だったんだろう?」
「ムロマチさん本人だけじゃなくって、知っている人も大嫌いって、相当嫌っているよな」
そのとき、さらさら、と落ちる砂のように小さな声が聞こえた。
『……て』
「だれだっ」
二人は立ち上がって背中合わせになりながら、辺りの気配を探った。声がまた聞こえてきた。さっきよりは聞き取りやすい大きさだ。
『あの子に……本当のことを教えてあげて。
あの子たちは、楽しそうにこの本を巡っていた。あの子の、楽しかった思い出がなくなってしまう前に教えてあげて』
あすかのかばんが、ほのかに明るい。開けてみると、ムロマチから預かった手紙が光っていた。
「ムロ兄からの手紙が……」
『さあ、ここから出してあげるから。おねがい』
雪の結晶が上から舞うように降ってきた。結晶は互いにくっつき、次第に大きな鏡となった。
「鏡……」
レンはそっ、と触れてみた。すると指先が向こう側へと消えた。驚いてレンは慌てて、手を引いた。指に変わった様子はなかった。
「どこかに通じているみたいだ」
「出口か」
二人はうなずき合い、鏡の中へと進んだ。
中は、四角い通路で全面鏡張りだった。なんとなく割れてしまいそうで、怖い。二人は静かに進むことにした。そのとき右側の鏡の壁に、人が二人映った。それは、ムロマチとまいだった。ムロマチはあすかと同い年くらいだ。二人の声は聞こえてこない。
「これって、もしかしてムロ兄とまいが出会ったときが映っているのか?」
「どうやら、そのようだな」
過去のムロマチとまいが、笑顔で握手をしたところで映像は終わった。再び歩きはじめると、次の映像が映った。どうやら二人が進むたびに、ムロマチとまいの過去が映るようだ。本を巡り、天体観測をし、笑い合った日々。けれど、それは確実に終わりへと近づいていた。そして、そのときがきた。卒業式後のムロマチと、泣きじゃくるまい。そんなまいをなだめ、指きりをする二人の姿。それが最後の映像だった。
「そっか。まいとムロ兄は友達だったんだ」
兄の知らない一面を見て、あすかはぽつり、とつぶやいた。
「あすか、入口と同じ鏡だ。きっとここから出られるぞ」
「よし、行こう」
二人は勇気を出して、鏡の外へと出た。
出てきたのは、階段の踊り場だった。後ろをふり返ると、この学校で一番大きな鏡があった。
「これって七不思議の、踊り場の大鏡じゃないか?」
踊り場の大鏡。この大鏡を三十秒以上見つめていると、鏡の中に吸いこまれて帰ってくることはできない、と言われている。レンは、頭の中でひとつの仮説を作った。
「もしかして、この大鏡は本の出口になっているんじゃないか?ここから入れば、本の世界につながっている。だから、入った人は本の世界に行ってしまうってことか」
「なるほど。一方通行の出口から入ったのなら、出口は本になるってことか」
「ああ」
あすかは、レンの頭の回転速度に感心した。自分やカオルなら、思いつかなかっただろう。
「図書室にもどろうぜ。まいに、ムロ兄の手紙渡さなくちゃ」
「ああ。カオルも心配だしな。まあ、だいじょうぶだろうけれど」
二人は図書室に走った。
カオルは、まいを睨みつけたまま言った。
「おい、レンとあすかを本から出せ」
『いやよ。ムロマチの妹なんて、痛い目にあってしまえばいいのよ。ムロマチが悪いんだよ。約束、破るから』
「約束?」
まいは下を向いたまま、答えた。カオルが知っている限り、ムロマチは約束を破るような人ではない。
「約束って、どんなことなんだ?」
カオルが尋ねると、まいはちらり、とカオルを見たが答えなかった。だが、カオルはしつこく聞き続けた。根負けしたまいは、カオルのしつこさに怒り気味で答えた。
『卒業しても、年に一回は会いにきてくれるって約束したの!ムロマチは、初めてできた友達だったのに……』
カオルはふと、思ったことを口に出していた。
「何年も会ってなかったら、友達じゃなくなるのか?」
『当たり前じゃない。いっしょにいるから、友達なんでしょう?』
「んー、おれはちょっとちがうと思う」
まいは、顔を上げた。カオルと目が合う。
「きっとこれから先、レンやあすかと離れ離れになると思う。いっしょに遊んだ時間や、できごと、思い出。それが心に残っている限り、どれだけ遠く離れていても、会えなくっても、友達でいられると思う」
それは、まいにとって目から鱗だった。そして、寂しさと悲しさがすう、と消えていくようだった。しかし、また裏切られることが怖くて、カオルの言葉を否定した。
『そんなことない。会いに来なくなったってことは、忘れちゃったってことなんだよ』
そのとき、ガラッ、とドアが開く音がした。図鑑から戻ってきた、あすかとレンだった。
「ムロ兄は忘れてなんかないっ」
「あすか!レン!」
無事な二人の姿を見て、カオルは安心した。あすかは、まいに近づいた。かばんから、手紙をとりだし、渡した。
「これ、ムロ兄から預かっていたんだ。まい宛てだから、読んでみてくれよ」
まいはおそるおそる、手紙を受けとった。封筒を開ける音が、静かな図書室に響いた。
『まいへ
お元気ですか?おれは、高校生になりました。県外の高校に通っていて、普段は寮で生活しています。
まず謝らせてください。まい、約束破ってごめん。別れのあいさつもなしに、いきなり会いに行かなくなって……。じつは、卒業生でも学校に入ることが、できなくなったんだ。高校受験に受かったことを知らせようと思った、あの日。おれは先生に見つかって、そう説明された。きっとまいは、おれを約束破りのひどいやつ、と思っているんだろうな。傷つけただろうな。本当に、ごめん。
今回おれの妹、あすかがきみに会いに行く、ということを聞いて、この手紙を書かなくては、と思った。きっと、これが最後のチャンスだろうから。
たとえまいがどう思っていても、どれだけ時間が経っても、会えなくても、おれは友達だと思っています。
ムロマチ
追伸。あの日に渡せなかったものを同封しています』
まいは封筒を傾けた。すると、雪の結晶の飾りがついたヘアピンが出てきた。まいは、雪の結晶が好きだ。ムロマチはそれを覚えていて、まいにプレゼントしようとしたのだ。
『覚えてくれていたんだ』
うれしくて、まいの目からぽろり、と涙がこぼれた。そして同時に、ずっとムロマチを恨んでいた自分を責めた。
『ごめん、ムロマチ……。ありがとう』
「つけてみなよ」
あすかが言った。まいは、ヘアピンをつけてみた。体と同じく、透けた。
「お、似合う似合う。な?」
あすかは、カオルとレンに話題を振った。二人とも、うなずいた。まいは、うれしそうに笑った。誤解が解け、まいの空気がやわらかくなった。
「なあ、ムロ兄とどんなことをしたんだ?」
あすかは、自分が知らない兄のことを知りたくなった。カオルとレンも、興味があった。まいは、まるでお母さんが子どもに絵本を読み聞かせるように、優しく話してくれた。
『よくいろんな本を巡ったの。魔法使いの一生の話、植物図鑑、おてんばな魔女の物語。ずっと前にね、ムロマチったらサンダルで来て、そのまま本の中に入っちゃって大変だったんだから。悪い魔法使いに追いかけられて、最後にはサンダル脱いで、裸足で走ったんあだから。こわかったあ」
あすかは最初に抜け出すときに、ムロマチに靴をはくことを勧められた。あすかは納得した。
「とくに、雪の結晶の図鑑にはよく行った。真っ白な雪原、冬が近づいてくる気配、きれいな六角形の結晶。雪の結晶や、樹氷を眺めて、いろんな話をしたの』
「そういえば、レンとあすかはどうやって出てきたんだ?」
なにも知らないカオルには、当然の疑問だ。あすかとレンが説明した。続けてまいが言った。
『わたし、大鏡とは仲がいいの。図鑑の出口のことを知った大鏡が、自分を使っていいって言ってくれたの。
それだけじゃない。大鏡はこの学校の鏡すべてとつながっている。だから、具体的にどこの鏡から出たいか念じながら入れば、そこに出られるよ。でも、入ることができるのは大鏡だけだからね』
「へえ、そうだったのか」
「だから、入った人は出てこられないって言われていたのか」
図らずも七不思議がもうひとつ、解明された。話はムロマチとまいの思い出にもどった。
『友達のことや、授業のこと。家族のことや、好きなもののこと。とっても、楽しかった。それが一年に一回になってしまっても、たくさん話すことがあって、楽しかった。
……友達だったことを忘れていたのは、わたしのほうだったんだ』
ぽつり、とまいはつぶやいた。まいの中でムロマチはいつの間にか、約束を破ったひどい人になっていた。カオルはいいことを思いついた。となりにいたレンは、まんがのようにカオルの頭に豆電球が見えた。
「なあ、まい。手紙を書いたらいいんだよ」
「手紙って、ムロマチさんに?」
レンの問いかけに、カオルはうなずいた。
「返事を書くんだよ。それをあすかが渡すんだ」
「それ、いいな。きっとムロ兄も喜ぶ!オレたち、まいが手紙を書き終えるまで待っているからさ。あ、でもできたら朝までに書いて」
こくん、とまいはうなずいた。まいは貸し出しカウンターに向かい、内側から紙とボールペンをとりだし、手紙を書きはじめた。
三人は静かに、まいが手紙を書き終えるのを待っていた。
ムロマチへの手紙を書き終えたころ、空は白み、カオルたちは机に突っ伏せて眠っていた。ずいぶん待たせてしまったようだ。まいはあすかの肩を叩こうとして、やめた。幽霊である自分が、人に触れることはできない。それを少しさみしく思っていると、ちょうどあすかが目を覚ました。ごしごし、と目をこする。
『ごめんね、待たせちゃって。これ、ムロマチに渡してもらえる?』
「ん……わかった」
まだ少し眠そうなあすかは手紙を鞄に入れ、向かいにいるカオルとレンを起こした。カオルにはデコピンをした。いつもなら怒って言い合いになるところだ。しかし、疲れているので痛がるだけだった。
「よし、帰ろう」
早く帰らなければ、抜け出していることがばれてしまう。三人は眠気まなこをこすりながら、急いだ。図書室から出ようとドアを開けようとしたカオルは、突然立ち止った。後ろにいた、あすかとレンがぶつかった。
「いってえ!急にとまるなよ、カオル」
文句を言うあすかに構わず、カオルはまいに言った。
「なあ、まい。おれたちも、もう友達だからな!だから、また話そうぜ」
まいの目が大きく開いた。そして、笑顔でうなずいた。
「じゃあな、まい」
「またな!」
『うん。ばいばい』
まいは、三人に手を振った。足音が聞こえなくなって、図書室にはまい独りになった。それでも、心が痛くなる寂しさはなくなっていた。
ムロマチは、部屋であすかを寝ずに待っていた。宿題も終わらせ、暇つぶしに雑誌を読もうか、と思ったときに、あすかが帰ってきた。
「おお、おかえり」
「ただいま。はい、これ」
あすかは、かばんから手紙を渡した。差出人の名前を見て、ムロマチは驚いた。
「まいから?」
「そう。オレも友達になったんだ」
「そうか」
ムロマチはどこか安心したように、微笑んだ。
「なあ、ムロ兄。まいとどうやって、仲良くなったんだ?」
あすかは、ムロマチに尋ねた。手紙を開きかけたムロマチは、手をとめて思い出話を始めた。
「五年生だったかな。学校に宿題を忘れたことに気づいてさ、とりに行ったんだよ。真夜中に、懐中電灯持ってさ。それで、ついでだから探検しようと思ったんだよ」
あの真夜中の学校を、一人で探検した兄を、あすかは素直にすごいと思った。三人でも、怖いのに。
「それで、図書室の前を通ったら明るくって、だれかいるから、入って声をかけたんだ。それが、まいと仲良くなったきっかけ。でも最初は警戒していたから、合言葉を決めたんだ。
まいは、図書室の本すべてを読んで覚えていた。どの本がおもしろいとか、あの図鑑はきれいだ、とかな。本当に本が好きで、気に入った物語は何度も読んで、本の世界を巡っていた。怖がりのくせに怪談とか好きなんだよ」
まいとの思い出話を語っているムロマチは、小学生にもどっているように見えた。
一通り話すと、ムロマチはあすかを部屋に帰した。静かになった部屋で、まいの手紙を読む。
『ムロマチへ
もう、ムロマチも高校生になったんだね。ヘアピン、ありがとう。
わたしも、謝らなくちゃいけないの。ごめんなさい。わたし、ムロマチが約束を忘れたんだって、わたしのことを忘れたんだって思っていた。だから、友達じゃないって……友達は一瞬だけなんだって思っていた。でも、ムロマチは覚えてくれていたんだよね。ありがとう。
あのね、あなたの妹とも友達になれそうなの。少し変わった子だけれど、かっこいいね。(家族に対して変わった、なんていってごめんね。悪い意味じゃないから)ムロマチとはちがうタイプだけど、いい子。二人の男の子とも友達になれそう。この手紙を書くっていうのも、片方の男の子のアイデアなの。
わたし、もしこれからいろんな子と友達になっても、ムロマチとはずっと友達だからね。今度は忘れないよ。
それじゃ、体に気をつけてね。
まい』
読み終えたムロマチはゆっくり、深呼吸をした。
「当たり前じゃないか、まい。おれたちは、友達だ。忘れないからな」
ムロマチの顔には、小学生のころと同じ笑顔が浮かんでいた。
まいに手紙を渡して、五日経った。三人は、プールを終えて図書室に来ている。目的は変わらず、カオルの宿題を終わらせることだ。
「なあ、カオル。読書感想文の本、まだ借りてないだろ」
レンの言葉にカオルはぎくり、とした。ドリルやプリントは、たいぶ終わらせた。しかし、読書感想文や工作が終わっていないのだ。
「でも、どんな本にしたらいいか、わかんないんだもん」
カオルがそういうと、ぱたん、となにかが落ちる音がした。見ると一冊の本が落ちていた。あすかがそれを拾い上げた。
「銀河鉄道の夜?」
気配を感じて、三人は奥に並んでいる本棚を見た。ちらり、とまいがこちらを窺っていた。そして、小さく笑って姿を消した。
「これを読めってことか?」
あすかは銀河鉄道の夜を、カオルに差し出した。カオルは本の中に閉じこめられたことを、思い出した。そのときのことを、二人に説明した。
「いいじゃねえか。なにも知らない本を読むより、読みやすいんじゃないか?」
「まあ、そうなんだけどさあ」
カオルは、あの宝石をちりばめたような宇宙を思い出した。悲しい場面もあったけれど、ジョバンニとカムパネルラがどんな冒険をしてきたのだろうか。そう思うと、この物語を少し読んでみたくなった。あすかから本を受けとった。
「これにしようかな」
カオルは貸し出しカウンターに行った。
これをきっかけに、図書室では不思議なことが起こるようになった。読む本に迷っていると、まるでだれかが勧めるように、本が落ちるのだ。そしてその直後に、雪の結晶のヘアピンをしている女の子の後ろ姿が見えるらしい。それがまいだと知っているのは、カオルたち三人だけだ。
まいは今日も迷っている人に、本を静かに勧める。友達であるムロマチがくれた、雪のヘアピンを身につけて。
終わり
「なにかあったんですか?」
カオルはそう尋ねる声に、聞き覚えがありふり返った。ジョバンニだ。ジョバンニの質問に、女性が答えた。
「子どもが、川に落ちたそうよ」
ジョバンニが、走った。カオルもあとを追いかける。広い河原に出た。途中ちらり、と警官であろう姿も見えた。カオルはなんとなく、いやな予感がした。河原の下流で、洲のようになった場所に人影のかたまりが見えた。ジョバンニは、そちらに向かっていた。ジョバンニの知り合いらしい男の子が、泣きそうな顔で事情を説明していた。
「カムパネルラが、川でおぼれたんだ」
どうやらザネリ、という友達が舟から落ちたらしい。そのザネリを助けようとカムパネルラは飛びこんでから、姿が見えないそうだ。ザネリは、助かったらしい。カムパネルラが落ちてずいぶん時間が経ったのだろうか。人々が引き上げて始めた。ジョバンニは、一人の男性に近づいた。そして、男性の話を聞くと力いっぱい走って、その場を去った。カオルとすれ違ったが、気づかずに行ってしまった。ジョバンニは悲しみや驚き、ありとあらゆる感情を出したいけれどどうすればいいかわらかない、そんな表情をしていた。
ジョバンニの背中が見えなくなったとき、カオルのとなりにドアが現れた。
「外に出られるのか?」
カオルは少しためらいながら、ドアノブを握った。
「うわっ!」
開けると、まぶしい光がカオルを包みこんだ。ぐん、と強い力で引っ張られるのを感じた。ドアはカオルを飲みこむと、なにごともなかったかのように、消えた。
まいはまだ泣いていた。けれど、そろそろ泣くことにも疲れてきた。すん、と鼻をすすった。そのとき、カオルを閉じこめた本、銀河鉄道の夜が大きくなり、開いた。まいは驚いた。そこからカオルが転がってきた。
『まさか、出てこられたの?』
「いっててて……」
カオルは腰をさすっていた。カオルは辺りを見回した。どうやら、図書室にもどってくることができたようだ。まいは慌てて涙をぬぐった。しかしカオルは、それに気がつかなかった。
「あすかとレンがいない。おい、あの二人はどこだ?」
カオルはまいを睨んだ。
『あの二人は、雪の結晶の図鑑に閉じこめた。図鑑は、あなたを閉じこめた物語の本とはちがう。物語の本には、必ず終わりがあるけれど、図鑑の世界に終わりはない。だから、出口が現れることはない』
「そ、そんな……。レン、あすか!」
カオルは床に落ちている、二人を飲みこんだ雪の図鑑を開こうとした。けれど接着剤でくっつけたように、びくともしなかった。それでもカオルは諦めず、本を開こうとしていた。それを見ながらまいは、ぽつり、とつぶやいた。
『ムロマチの妹なら、あの図鑑にずっといればいいのよ』
その意味がわかるのは、まいだけだった。
「……すか。おい、あすかっ。しっかりしろ!」
あすかは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。レンだ。どうやら気絶していたらしい。ゆっくり、と体を起こす。
「だいじょうぶか?」
「ああ。悪い、レン。オレが避けられなかったせいで……」
「そんなこと、気にするなよ。それより、見てみろよ」
あすかは辺りを見回した。一面の銀世界だ。しかし寒さはない。
「な、なんだここ?」
「たぶんおれたちを飲みこんだ、本の中の世界だ。とにかく、進んでみよう」
「ああ、そうだな」
二人は雪原を歩きはじめた。ぼすん、ぼすん、と二人の足跡ができた。雪が二人のふくらはぎまを覆う。冷たさはない。感触はあるが、温度はないらしい。なんだか、変なかんじだ。
「でもちょっと楽しいかも」
あすかはぼすんぼすん、とあちこちに足跡をつくった。三人が住んでいる地域はあまり雪が降らないので、こんなことはまずできない。
歩いていると、徐々に雪が溶けて川辺に着いた。草も生えているが、枯れて茶色になっている。水面には薄い氷が張っている。二人は川沿いを歩き続けた。歩いていると、何度も景色が変わった。真っ白な山、雪に覆われた丘、二人よりも大きな雪の結晶。どこまで歩いても雪が出てくる。
「なあ、これってどこまで行けばいいんだ?」
「わからない。でも歩くしかない」
初めは変わる景色や雪を楽しんでいた二人だが、あきてしまった。
どれくらい時間が経ったのだろう。二人は一度休憩することにした。座ってもぬれないことは、いいことだ。
「さて、どうしようか」
「わかりやすく、出口でもあればいいんだけどな」
しかし、それらしきものは見当たらない。あすかは、疑問に思っていることを尋ねた。
「なあ、あのまいって子なんだけどさ。なんでムロ兄のこと話したら、怒ったんだろ?」
それはレンも不思議に思っていた。ムロマチが合言葉を知っていたということは、二人は知り合いなのだろう。そして、あまりいい別れ方ではなかったのかもしれない。
「ムロマチさんから、そんな話を聞いたことはないのか?」
「ああ。全然ない。ムロ兄とまい……どんな関係だったんだろう?」
「ムロマチさん本人だけじゃなくって、知っている人も大嫌いって、相当嫌っているよな」
そのとき、さらさら、と落ちる砂のように小さな声が聞こえた。
『……て』
「だれだっ」
二人は立ち上がって背中合わせになりながら、辺りの気配を探った。声がまた聞こえてきた。さっきよりは聞き取りやすい大きさだ。
『あの子に……本当のことを教えてあげて。
あの子たちは、楽しそうにこの本を巡っていた。あの子の、楽しかった思い出がなくなってしまう前に教えてあげて』
あすかのかばんが、ほのかに明るい。開けてみると、ムロマチから預かった手紙が光っていた。
「ムロ兄からの手紙が……」
『さあ、ここから出してあげるから。おねがい』
雪の結晶が上から舞うように降ってきた。結晶は互いにくっつき、次第に大きな鏡となった。
「鏡……」
レンはそっ、と触れてみた。すると指先が向こう側へと消えた。驚いてレンは慌てて、手を引いた。指に変わった様子はなかった。
「どこかに通じているみたいだ」
「出口か」
二人はうなずき合い、鏡の中へと進んだ。
中は、四角い通路で全面鏡張りだった。なんとなく割れてしまいそうで、怖い。二人は静かに進むことにした。そのとき右側の鏡の壁に、人が二人映った。それは、ムロマチとまいだった。ムロマチはあすかと同い年くらいだ。二人の声は聞こえてこない。
「これって、もしかしてムロ兄とまいが出会ったときが映っているのか?」
「どうやら、そのようだな」
過去のムロマチとまいが、笑顔で握手をしたところで映像は終わった。再び歩きはじめると、次の映像が映った。どうやら二人が進むたびに、ムロマチとまいの過去が映るようだ。本を巡り、天体観測をし、笑い合った日々。けれど、それは確実に終わりへと近づいていた。そして、そのときがきた。卒業式後のムロマチと、泣きじゃくるまい。そんなまいをなだめ、指きりをする二人の姿。それが最後の映像だった。
「そっか。まいとムロ兄は友達だったんだ」
兄の知らない一面を見て、あすかはぽつり、とつぶやいた。
「あすか、入口と同じ鏡だ。きっとここから出られるぞ」
「よし、行こう」
二人は勇気を出して、鏡の外へと出た。
出てきたのは、階段の踊り場だった。後ろをふり返ると、この学校で一番大きな鏡があった。
「これって七不思議の、踊り場の大鏡じゃないか?」
踊り場の大鏡。この大鏡を三十秒以上見つめていると、鏡の中に吸いこまれて帰ってくることはできない、と言われている。レンは、頭の中でひとつの仮説を作った。
「もしかして、この大鏡は本の出口になっているんじゃないか?ここから入れば、本の世界につながっている。だから、入った人は本の世界に行ってしまうってことか」
「なるほど。一方通行の出口から入ったのなら、出口は本になるってことか」
「ああ」
あすかは、レンの頭の回転速度に感心した。自分やカオルなら、思いつかなかっただろう。
「図書室にもどろうぜ。まいに、ムロ兄の手紙渡さなくちゃ」
「ああ。カオルも心配だしな。まあ、だいじょうぶだろうけれど」
二人は図書室に走った。
カオルは、まいを睨みつけたまま言った。
「おい、レンとあすかを本から出せ」
『いやよ。ムロマチの妹なんて、痛い目にあってしまえばいいのよ。ムロマチが悪いんだよ。約束、破るから』
「約束?」
まいは下を向いたまま、答えた。カオルが知っている限り、ムロマチは約束を破るような人ではない。
「約束って、どんなことなんだ?」
カオルが尋ねると、まいはちらり、とカオルを見たが答えなかった。だが、カオルはしつこく聞き続けた。根負けしたまいは、カオルのしつこさに怒り気味で答えた。
『卒業しても、年に一回は会いにきてくれるって約束したの!ムロマチは、初めてできた友達だったのに……』
カオルはふと、思ったことを口に出していた。
「何年も会ってなかったら、友達じゃなくなるのか?」
『当たり前じゃない。いっしょにいるから、友達なんでしょう?』
「んー、おれはちょっとちがうと思う」
まいは、顔を上げた。カオルと目が合う。
「きっとこれから先、レンやあすかと離れ離れになると思う。いっしょに遊んだ時間や、できごと、思い出。それが心に残っている限り、どれだけ遠く離れていても、会えなくっても、友達でいられると思う」
それは、まいにとって目から鱗だった。そして、寂しさと悲しさがすう、と消えていくようだった。しかし、また裏切られることが怖くて、カオルの言葉を否定した。
『そんなことない。会いに来なくなったってことは、忘れちゃったってことなんだよ』
そのとき、ガラッ、とドアが開く音がした。図鑑から戻ってきた、あすかとレンだった。
「ムロ兄は忘れてなんかないっ」
「あすか!レン!」
無事な二人の姿を見て、カオルは安心した。あすかは、まいに近づいた。かばんから、手紙をとりだし、渡した。
「これ、ムロ兄から預かっていたんだ。まい宛てだから、読んでみてくれよ」
まいはおそるおそる、手紙を受けとった。封筒を開ける音が、静かな図書室に響いた。
『まいへ
お元気ですか?おれは、高校生になりました。県外の高校に通っていて、普段は寮で生活しています。
まず謝らせてください。まい、約束破ってごめん。別れのあいさつもなしに、いきなり会いに行かなくなって……。じつは、卒業生でも学校に入ることが、できなくなったんだ。高校受験に受かったことを知らせようと思った、あの日。おれは先生に見つかって、そう説明された。きっとまいは、おれを約束破りのひどいやつ、と思っているんだろうな。傷つけただろうな。本当に、ごめん。
今回おれの妹、あすかがきみに会いに行く、ということを聞いて、この手紙を書かなくては、と思った。きっと、これが最後のチャンスだろうから。
たとえまいがどう思っていても、どれだけ時間が経っても、会えなくても、おれは友達だと思っています。
ムロマチ
追伸。あの日に渡せなかったものを同封しています』
まいは封筒を傾けた。すると、雪の結晶の飾りがついたヘアピンが出てきた。まいは、雪の結晶が好きだ。ムロマチはそれを覚えていて、まいにプレゼントしようとしたのだ。
『覚えてくれていたんだ』
うれしくて、まいの目からぽろり、と涙がこぼれた。そして同時に、ずっとムロマチを恨んでいた自分を責めた。
『ごめん、ムロマチ……。ありがとう』
「つけてみなよ」
あすかが言った。まいは、ヘアピンをつけてみた。体と同じく、透けた。
「お、似合う似合う。な?」
あすかは、カオルとレンに話題を振った。二人とも、うなずいた。まいは、うれしそうに笑った。誤解が解け、まいの空気がやわらかくなった。
「なあ、ムロ兄とどんなことをしたんだ?」
あすかは、自分が知らない兄のことを知りたくなった。カオルとレンも、興味があった。まいは、まるでお母さんが子どもに絵本を読み聞かせるように、優しく話してくれた。
『よくいろんな本を巡ったの。魔法使いの一生の話、植物図鑑、おてんばな魔女の物語。ずっと前にね、ムロマチったらサンダルで来て、そのまま本の中に入っちゃって大変だったんだから。悪い魔法使いに追いかけられて、最後にはサンダル脱いで、裸足で走ったんあだから。こわかったあ」
あすかは最初に抜け出すときに、ムロマチに靴をはくことを勧められた。あすかは納得した。
「とくに、雪の結晶の図鑑にはよく行った。真っ白な雪原、冬が近づいてくる気配、きれいな六角形の結晶。雪の結晶や、樹氷を眺めて、いろんな話をしたの』
「そういえば、レンとあすかはどうやって出てきたんだ?」
なにも知らないカオルには、当然の疑問だ。あすかとレンが説明した。続けてまいが言った。
『わたし、大鏡とは仲がいいの。図鑑の出口のことを知った大鏡が、自分を使っていいって言ってくれたの。
それだけじゃない。大鏡はこの学校の鏡すべてとつながっている。だから、具体的にどこの鏡から出たいか念じながら入れば、そこに出られるよ。でも、入ることができるのは大鏡だけだからね』
「へえ、そうだったのか」
「だから、入った人は出てこられないって言われていたのか」
図らずも七不思議がもうひとつ、解明された。話はムロマチとまいの思い出にもどった。
『友達のことや、授業のこと。家族のことや、好きなもののこと。とっても、楽しかった。それが一年に一回になってしまっても、たくさん話すことがあって、楽しかった。
……友達だったことを忘れていたのは、わたしのほうだったんだ』
ぽつり、とまいはつぶやいた。まいの中でムロマチはいつの間にか、約束を破ったひどい人になっていた。カオルはいいことを思いついた。となりにいたレンは、まんがのようにカオルの頭に豆電球が見えた。
「なあ、まい。手紙を書いたらいいんだよ」
「手紙って、ムロマチさんに?」
レンの問いかけに、カオルはうなずいた。
「返事を書くんだよ。それをあすかが渡すんだ」
「それ、いいな。きっとムロ兄も喜ぶ!オレたち、まいが手紙を書き終えるまで待っているからさ。あ、でもできたら朝までに書いて」
こくん、とまいはうなずいた。まいは貸し出しカウンターに向かい、内側から紙とボールペンをとりだし、手紙を書きはじめた。
三人は静かに、まいが手紙を書き終えるのを待っていた。
ムロマチへの手紙を書き終えたころ、空は白み、カオルたちは机に突っ伏せて眠っていた。ずいぶん待たせてしまったようだ。まいはあすかの肩を叩こうとして、やめた。幽霊である自分が、人に触れることはできない。それを少しさみしく思っていると、ちょうどあすかが目を覚ました。ごしごし、と目をこする。
『ごめんね、待たせちゃって。これ、ムロマチに渡してもらえる?』
「ん……わかった」
まだ少し眠そうなあすかは手紙を鞄に入れ、向かいにいるカオルとレンを起こした。カオルにはデコピンをした。いつもなら怒って言い合いになるところだ。しかし、疲れているので痛がるだけだった。
「よし、帰ろう」
早く帰らなければ、抜け出していることがばれてしまう。三人は眠気まなこをこすりながら、急いだ。図書室から出ようとドアを開けようとしたカオルは、突然立ち止った。後ろにいた、あすかとレンがぶつかった。
「いってえ!急にとまるなよ、カオル」
文句を言うあすかに構わず、カオルはまいに言った。
「なあ、まい。おれたちも、もう友達だからな!だから、また話そうぜ」
まいの目が大きく開いた。そして、笑顔でうなずいた。
「じゃあな、まい」
「またな!」
『うん。ばいばい』
まいは、三人に手を振った。足音が聞こえなくなって、図書室にはまい独りになった。それでも、心が痛くなる寂しさはなくなっていた。
ムロマチは、部屋であすかを寝ずに待っていた。宿題も終わらせ、暇つぶしに雑誌を読もうか、と思ったときに、あすかが帰ってきた。
「おお、おかえり」
「ただいま。はい、これ」
あすかは、かばんから手紙を渡した。差出人の名前を見て、ムロマチは驚いた。
「まいから?」
「そう。オレも友達になったんだ」
「そうか」
ムロマチはどこか安心したように、微笑んだ。
「なあ、ムロ兄。まいとどうやって、仲良くなったんだ?」
あすかは、ムロマチに尋ねた。手紙を開きかけたムロマチは、手をとめて思い出話を始めた。
「五年生だったかな。学校に宿題を忘れたことに気づいてさ、とりに行ったんだよ。真夜中に、懐中電灯持ってさ。それで、ついでだから探検しようと思ったんだよ」
あの真夜中の学校を、一人で探検した兄を、あすかは素直にすごいと思った。三人でも、怖いのに。
「それで、図書室の前を通ったら明るくって、だれかいるから、入って声をかけたんだ。それが、まいと仲良くなったきっかけ。でも最初は警戒していたから、合言葉を決めたんだ。
まいは、図書室の本すべてを読んで覚えていた。どの本がおもしろいとか、あの図鑑はきれいだ、とかな。本当に本が好きで、気に入った物語は何度も読んで、本の世界を巡っていた。怖がりのくせに怪談とか好きなんだよ」
まいとの思い出話を語っているムロマチは、小学生にもどっているように見えた。
一通り話すと、ムロマチはあすかを部屋に帰した。静かになった部屋で、まいの手紙を読む。
『ムロマチへ
もう、ムロマチも高校生になったんだね。ヘアピン、ありがとう。
わたしも、謝らなくちゃいけないの。ごめんなさい。わたし、ムロマチが約束を忘れたんだって、わたしのことを忘れたんだって思っていた。だから、友達じゃないって……友達は一瞬だけなんだって思っていた。でも、ムロマチは覚えてくれていたんだよね。ありがとう。
あのね、あなたの妹とも友達になれそうなの。少し変わった子だけれど、かっこいいね。(家族に対して変わった、なんていってごめんね。悪い意味じゃないから)ムロマチとはちがうタイプだけど、いい子。二人の男の子とも友達になれそう。この手紙を書くっていうのも、片方の男の子のアイデアなの。
わたし、もしこれからいろんな子と友達になっても、ムロマチとはずっと友達だからね。今度は忘れないよ。
それじゃ、体に気をつけてね。
まい』
読み終えたムロマチはゆっくり、深呼吸をした。
「当たり前じゃないか、まい。おれたちは、友達だ。忘れないからな」
ムロマチの顔には、小学生のころと同じ笑顔が浮かんでいた。
まいに手紙を渡して、五日経った。三人は、プールを終えて図書室に来ている。目的は変わらず、カオルの宿題を終わらせることだ。
「なあ、カオル。読書感想文の本、まだ借りてないだろ」
レンの言葉にカオルはぎくり、とした。ドリルやプリントは、たいぶ終わらせた。しかし、読書感想文や工作が終わっていないのだ。
「でも、どんな本にしたらいいか、わかんないんだもん」
カオルがそういうと、ぱたん、となにかが落ちる音がした。見ると一冊の本が落ちていた。あすかがそれを拾い上げた。
「銀河鉄道の夜?」
気配を感じて、三人は奥に並んでいる本棚を見た。ちらり、とまいがこちらを窺っていた。そして、小さく笑って姿を消した。
「これを読めってことか?」
あすかは銀河鉄道の夜を、カオルに差し出した。カオルは本の中に閉じこめられたことを、思い出した。そのときのことを、二人に説明した。
「いいじゃねえか。なにも知らない本を読むより、読みやすいんじゃないか?」
「まあ、そうなんだけどさあ」
カオルは、あの宝石をちりばめたような宇宙を思い出した。悲しい場面もあったけれど、ジョバンニとカムパネルラがどんな冒険をしてきたのだろうか。そう思うと、この物語を少し読んでみたくなった。あすかから本を受けとった。
「これにしようかな」
カオルは貸し出しカウンターに行った。
これをきっかけに、図書室では不思議なことが起こるようになった。読む本に迷っていると、まるでだれかが勧めるように、本が落ちるのだ。そしてその直後に、雪の結晶のヘアピンをしている女の子の後ろ姿が見えるらしい。それがまいだと知っているのは、カオルたち三人だけだ。
まいは今日も迷っている人に、本を静かに勧める。友達であるムロマチがくれた、雪のヘアピンを身につけて。
終わり
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