七不思議と三人の冒険

翼 翔太

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図書室の女の子

図書室の女の子1

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 ミーン、ミーン、というせみの声のせいで、暑さが増しているような気がする。流れる汗を左手でぬぐいながら、レンは思った。右手には、水着と宿題が入った、ビニールバッグを持っている。今は夏休みだ。けれど、七月中は学年開放プールがある。時間割りのように日時が指定されている。今日の三時間目が、レンたちの学年が泳ぐ日だ。自由参加なので、来ない生徒もいる。プールに入る場合は、一時間前にきて、宿題をしなければいけないのだ。宿題をするのがいやで来ない子もいれば、塾などの都合で来ない子もいる。今日はさらに、プールのあとに図書室で、カオルとあすかの三人で、宿題をする。というのは、半分建前だ。もう半分は、学校の七不思議である、図書室の女の子について下調べするためだ。
 レン、カオル、あすかの三人は、学校の七不思議が本当なのか、確かめているのだ。
 柱時計の亡霊、真っ赤な桜、放課後の荻野先生、五年六組の教室、図書室の女の子、真夜中に聞こえるピアノ、踊り場の大鏡。
 その中で、三つ……柱時計の亡霊、放課後の荻野先生、五年六組の教室は、解明済みだ。放課後の荻野先生と五年六組は元々違う名前の七不思議だったが、三人が解明したことで今の名前になった。
 今回解明するのは、図書室の女の子。図書室にいる、恥ずかしがりの女の子幽霊で、めったに人の前に現れないらしい。そのため、その女の子がどんな女の子なのか、わからないのだ。少しでも手がかりがほしいので、実際に図書室に来たのだ。ちなみに、もう半分はカオルの宿題を、少しでも終わらせるためだ。カオルは毎年、宿題を夏休みの最後まで溜めこんで、レンやあすかも手伝うことになるのだ。
 校門が見えてきた。別の学年が、楽しそうに笑い声をあげ、プールに入っていた。レンは、一時間後のプールを楽しみにしながら、教室に向かった。
 
 プールで、おもいきり泳ぎ終えたカオル、レン、あすかの三人は、図書室に向かっていた。三人とも、まだ髪が少し濡れている。
「なあ、本当に宿題するのか?」
 カオルが、いやそうに尋ねた。二人は静かに、首を縦に振った。カオルは、プールの前の、勉強時間で、宿題を終わらせた気でいるのだ。
「だって、まだドリルも残っているし、読書感想文なんて、手すらつけてないだろ?」
 あすかの鋭い指摘に、カオルは返す言葉が、なかった。あすかとレンは、夏休みが始まる少し前から、夏休みの宿題を終わらせてきたのだ。
「それに、算数のドリルは全然終わってないだろ。毎年のことだし」
 レンには、お見通しだった。言い逃れできない状況だ。カオルは観念して、一緒に図書室に向かった。
 図書室には、貸し出しをする図書委員のほかに、ちらほら、と生徒がいるだけだった。この静けさが、カオルは苦手だった。どうせなら、運動場や体育館で、思いきり走りまわりたいのだ。三人は、貸し出しカウンターから一番遠く、窓に近い席に座ることにした。ここなら、よほど大きな声でしゃべらない限り、迷惑にならないだろう。三人は、ドリルやプリントを、広げた。宿題をしつつ、なにか変わったことがないか、図書室全体を観察していた。退屈そうな、男女の図書委員。読んだ本を積んでいる、下級生の女の子。ただでさえ暑いのに、図書室は、床にじゅうたんが敷いてあるので、いっそう気温が高く感じる。風通しはいいので、風さえ吹けば涼しいのだが、あいにく今日は、吹いていない。
「とくになにも、なさそうだな」
 カオルが小声で言った。あすかとレンも、うなずいた。ならば用はない、と言わんばかりに、カオルは帰る支度を始めようとした。しかし、あすかとレンに止められ、結局宿題をすることになった。
 決めたところまで宿題を終えた三人は、図書室を去った。今、職員室前の柱時計の前にいる。七不思議のひとつである、亡霊の宿っている柱時計だ。二人の亡霊が宿っている。たかし坊ちゃんと、さえこちゃんだ。二人の見た目は亡くなった年齢のせいで、青年とおばあさんだが、同い年で友達なのだ。
「たかし坊ちゃん、おれたちだよ」
 カオルが小さな声で、たかし坊ちゃんの名を呼んだ。すると、ふわふわ、と柱時計から、青白い顔で目がくぼんだ、不健康そうな青年が現れた。細い体が透けて、向こう側が見えている。
『おや、君たちか。どうかしたのかい?』
「うん。たかし坊ちゃんに聞きたいことがあって。図書室の女の子って、聞いたことない?」
 たかし坊ちゃんなら……同じ七不思議なら、図書室の女の子について、なにか知らないかと思ったのだ。たかし坊ちゃんは、あごに手を当てて、記憶の引き出しを開けた。しかし、思い当たることは、なかった。
『すまない、わからないな。……さえこちゃん、なにか知ってる?』
 たかし坊ちゃんは、柱時計に向かって声をかけた。すると、さえこちゃんが、同じように、姿を現した。
『んー……知らないわねえ。ごめんね』
「ううん、ありがとう。ばいばい」
 三人は、次に理科室に行った。ここにも、七不思議のひとつ、放課後の荻野先生がいるからだ。
 放課後の荻野先生は、元々飛び回る実験道具、という七不思議だった。しかし、三人が協力したおかげで、怖がられていた幽霊の先生、荻野先生は今では人気者だ。三人は、荻野先生を呼ぶ、合言葉を言った。
「荻野先生、わからないことを教えてください」
 すると『はーい』と、優しそうな男性の声がした。すう、と三十代半ばで眼鏡をかけた幽霊、荻野先生が現れた。
『やあ、こんにちは。どうかしたのかい?わからない問題でも、あるのかな』
「たしかにカオルは、とくに算数を教えてもらったほうが、いいかもな」
「なんだよ、あすか。お前だって、英語苦手だろっ」
「カオルの算数のテストより、マシだっつーの」
 二人が「なんだと」や「なんだよ」と、にらみ合いを始めてしまった。レンは二人を放っておいて、荻野先生に尋ねた。仲裁役のレンだって、疲れるのだ。
「あの、七不思議の図書室の女の子って、聞いたことありませんか?先生、学校の中歩き回っていたから、なにか知らないかなって思って」
 荻野先生は、このあいだまで、傷ついた心を治すこともできずに、夜の学校を徘徊していた。その姿や笑い声は、ホラー映画よりも恐ろしかった。
『うーん……。ああ、そういえば図書室に女の子がいるの、見かけたことがあるよ』
「本当っ?」
『うん、ずっと前にね。といっても、人影だけだけどね。図書室の窓ガラスは、すりガラスだろう?だから、顔まではわからなかったけれどね』
「いつ現れるとかって、わかります?」
『そこまでは、ちょっと……。ごめんね』
「いえ。ありがとうございます」
 レンは、カオルとあすかの耳を引っ張った。二人は、取っ組みあっていた。
「行くぞ」
「いだっ!いだだだ」
「いってえよ、レン。痛いって!」
 レンは、二人の耳を引っ張ったまま、理科室を去った。その様子を見ていた荻野先生は、三人の相性のよさを微笑んで、見送っていた。

 その後、レンは荻野先生に聞いた話を、カオルとあすかに説明した。
「とりあえず、一度夜の図書室に行ってみようぜ」
 カオルが提案した。今は夏休みだ。普段は土日にしか、夜の学校に忍びこむことができないので、平日に忍びこむことにした。明後日、木曜日に決まった。今日のところは、寄り道せずに帰ることにした。
 その日の夜。あすかは、兄ムロマチの部屋を訪ねた。あすかの二人の兄、ムロマチとカマクラは県外の高校に通っている。普段は週末しか帰ってこないが、夏休みのあいだはずっと、帰ってきているのだ。カマクラは、友達の家に泊りに行っている。ノックをしてから、ドア越しに声をかけた。
「ムロ兄、今いい?」
「おう、どうした?あすか」
 ムロマチはドアを開け、あすかを中に入れた。今まで夜中に家を抜け出すときに、ムロマチに協力してもらった。今回も頼むつもりなのだ。
「なんだ、また抜け出すのか」
「うん。だから、またここから出させてくれよ」
「ああ、いいぜ」
 アスカはムロマチのベッドの上に、腰を下ろした。ムロマチは、読みかけだったゲーム雑誌を、再び読み始めた。机の上に、勉強道具は見当たらない。
「なあ、ムロ兄。ムロ兄のときに、図書室の女の子っていう、七不思議あった?」
 ムロマチもカマクラも、あすかと同じ小学校に通っていた。なので、図書室の女の子のことも、なにか知っているかもしれない、と思ったのだ。ゲーム雑誌のページをめくる、ムロマチの手がぴくり、と止まった。
「ああ。あったよ。どうした?」
「あのな、今度その図書室の女の子に、会おうって話になったんだ。けど、どうやったら会えるか、わからないんだ」
 ムロマチはくるり、とあすかのほうを向いた。
「だったら、いっしょに本を巡りましょう、って言ってみな」
 そう言うムロマチの顔に一瞬、懐かしさと悲しさが混じったような、表情が浮かんだような気がした。

 二日後。あすかはチョコレートと塩を持って、ムロマチの部屋に来た。この二つは二人の兄からいざというときのために、と持っていくように言われているのだ。今日は、カマクラもいる。
「あすか、気をつけるんだぞ。危ないと思ったら、すぐ逃げろよ」
「うん。クラ兄は心配性だなあ」
「あすか、頼みがあるんだ」
 ムロマチはそう言って、ミントグリーンの縁どりがしてある封筒を差し出した。
「これを、図書室の女の子に渡してくれないか?」
「いいけど……。なあ、ムロ兄。図書室の女の子と知り合いなのか?」
 あすかがそう尋ねると、ムロマチはあすかの頭を乱暴になでた。
「帰ってきたら、教えてやるよ。ほら、行ってこい」
 そう言って、ムロマチはあすかを送り出した。あすかは、なんとなくムロマチの態度が、いつもとちがうような気がした。
 
 今日は、あすかが一番に着いた。しん、となにも音が聞こえない。背後には、真っ暗な校舎。不気味で背筋がぞくり、とした。静かに恐怖と戦っていると、カオルとレンも来た。いつものように校門をよじ登り、忍びこんだ。図書室は、北校舎にある。女子トイレの、鍵が壊れた窓から校舎内に入る。カオルとレンは、足早に女子トイレから出た。
 夜の学校は、絵の具で塗りつぶしたかのように、暗い。ぼう、と非常出口の緑色の淡い光が、逆に気味が悪い。懐中電灯のはっきりした光が、心強く思える。三人は、図書室の前に来た。体をかがめてこっそり、と中の様子を探る。すりガラスのため、よくわからない。
「おい、あれ」
 あすかが小声で、指をさした。ぽう、ぽう、と図書室に小さく明りがついた。しかし、それは電気のような強い光ではなく、満月のような強いけれど優しいものだった。中でごそごそ、となにか動く気配がした。三人は互いに顔を見合わせて、うなずいた。鍵は開いている。図書委員がかけ忘れたのだろう。図書室に限らず、学校のドアは重い。音を立てずに開けるのは至難の業だ。なるべく静かに開けたが、ガタン、と音を立ててしまった。昼なら気にならないくらい小さな音だが、静かな室内には、大きすぎる音だった。人影がこちらを向いて、本棚の陰に隠れようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 カオルが慌てて、声をかけた。あすかはムロマチに教えられた合言葉を、思い出した。
「いっしょに本を巡りましょう」
「なんだ、それ?」
「ムロ兄に教えてもらったんだけど……」
 合言葉について二人に説明していると、本棚の陰から、女の子が顔を出した。
『なんで、その言葉を知っているの?』
 長い髪をゆるくツインテールに結っていて、大人しそうだ。目を丸くしている。カオルたちより、年下のようだ。
「もしかして、あんたが図書室の女の子か?」
 カオルの質問に図書室の女の子は、こくん、とうなずいた。三人に少しおびえているのが、わかる。
「おれ、カオル。こっちがレンで、この乱暴そうなのが、あすか」
「おい、なんでオレのときだけ乱暴そう、とかつくんだよ」
 女の子は不思議そうに、あすかを見た。
『男の子なの?』
「ちがう。オレは女子」
『女の子なのに、男の子の話しかたなの?』
「べつにいいじゃねえか」
 あすかはめんどくさそうに、答えた。図書室の女の子も、自己紹介をした。
『まい、です』
 図書室の女の子、まいはあすかに尋ねた。
『ねえ、なんでさっきの合言葉のこと知っていたの?』
「オレの兄ちゃんから、聞いたんだ」
『お兄ちゃん……。お兄ちゃんの名前、なんていうの?』
 なぜ、そこまで合言葉にこだわるのだろう。あすかは、疑問に思いながら答えた。
「え……源ムロマチっていうんだけど」
 ムロマチの名前を聞いた途端、まいの表情が怒りに変わった。窓が開いていないのにもかかわらず、ごう、と強い風が吹いた。三人はとっさに、目を閉じた。まるで、まいの心のようだ。
『ムロマチなんて、だいっきらい!ムロマチのこと知っている人も、だいっきらい!いなくなっちゃえ!』
 本棚から何冊もの本が落ちた。そして、宙に浮かび、一番背の高いレンよりも大きくなった。大きくなった本が開き、あすかを襲った。
「あすか!」
 あすかに近い場所にいたレンが、走った。一冊の本が二人を挟んで飲みこんだ。
「レン!あすか!」
 次の瞬間、カオルの目の前にも大きな本が襲ってきた。なんとか避けたが、別の本がカオルの後ろに回り込んでいた。気がついたときには、カオルは本に挟まれていた。声をあげる暇もなかった。
 風が止んだ。本も元の大きさにもどり、その場に落ちた。まいはその場でうずくまった。
『ムロマチのばか……。ずっと友達だって言ったくせに』
 まいの涙が、明りに反射して小さく光った。

「いっ……ててて。どこだ?ここ」
 カオルは背中から着地した。打ったところをさすりながら、起きた。見渡してみる。深緑のクッションに、木でできた二人席が左右にいくつもならんでいる。向き合って四人席になっているところもある。窓は席ごとにあり、ガタンゴトン、と揺れている。
「まさか電車の中、か?」
 カオルは窓を開けて外を眺めた。線路がある。目の前の流れる景色は、夜だった。いや、ちがう。まるで、宝石をちりばめたような、宇宙だった。
「……どこなんだ?ここ」
 カオルは窓を閉めた。とりあえず、この電車の中を探索してみることにした。しかし車両を移動しても人がいない。もうすぐ、最後尾だ。ドアをスライドさせると、ようやく人がいた。小学生の男の子二人だ。カオルは男の子たちに、声をかけてみることにした。
「こ、こんにちは」
 男の子たちは窓の外を見ていたが、ふり返ってカオルにあいさつをした。
「こんにちは」
「こんにちは。きみは、わしの停車場で乗ってきたの?」
「わしの停車場?どこだ、それ」
 聞いたことのない場所だ。カオルだけでなく、男の子たちも不思議に思っていた。一人の男の子が、自己紹介をした。
「ぼくは、カムパネルラ。彼はジョバンニ」
「おれは滝田カオル。となり、座っていいか?」
 二人はうなずいた。カオルはカムパネルラのとなりに、座った。
「タキタカオルって、珍しい名前だね」
 カムパネルラが言った。
「そうか?カムパネルラやジョバンニのほうが、珍しいと思うけど」
 カオルは話していて、なんとなく二人の名前を聞いたことがあるような気がしていた。けれど、あともう少し、というところで思い出せない。
「あの人どこへ行ったろう」
「あの人って、だれだ?」
 カオルがカムパネルラに尋ねた。鳥捕り、という人がさっきまでいたらしい。カムパネルラとジョバンニは、その鳥捕りに申し訳なく思っているようだった。話を聞いてみると、少し突き放すような言い方をしてしまったらしい。
「この、銀河鉄道の切符を見て驚いていたんだ」
 黒い唐草模様の中に、変わった十ばかりの字が印刷されている。しかし、カオルは切符よりもジョバンニの言葉に、はっ、とした。
 そうだ、宮沢賢治の銀河鉄道の夜だ。読んだことはないけれど、登場人物くらいは知っている。ジョバンニと、カムパネルラだ。つまり、カオルは今本の中にいることになる。どうすれば、ここから出ることができるのだろうか。そんなことを考えていると、ジョバンニが口を開いた。
「なんだかりんごの匂いがする」
「それから野ばらの匂いもする」
 カムパネルラも、うなずいた。けれどカオルにはりんごの匂いも、野ばらの匂いもわからなかった。すると、そこに男の子と女の子、それから二人の保護者であろう青年が立っていた。男の子をジョバンニのとなりに座らせた。カオルは、すっ、と立ち上がって、女の子に席をゆずった。女の子はなにも言わず座り、青年が代わりにお礼を言った。話を聞くと、男の子と女の子は姉弟で、この三人は沈没船に乗っていたらしい。そのときの悲惨な状況を、青年は淡々と語ってくれた。この二人の子どもを助けようとしたこと。けれど、ほかの子どもを押しのける勇気がなかったこと。別れのキスを送る母親や、悲しそうな父親のこと。カオルは、胸が苦しくなった。その話がショックだったのか、ジョバンニはうなだれていた。そして、気がついた。きっと、この三人は亡くなってしまったのだ、と。それでは、ジョバンニとカムパネルラはどうなのだろうか。カオルは、本を読んでいないことを、後悔した。姉弟は眠っていた。
 窓の外には、燐光の川が見えた。大小様々な三角の標識から、狼煙のようなものが上がっている。
「いかがですか」
 向こう席にいる男性が、りんごを抱えていた。黄金と紅が美しく彩られた、大きなりんごだ。男性は青年にりんごをあげた。そしてカオルたちにも、ひとつずつくれた。そして、そっ、と眠っている姉弟のひざの上にりんごを置いた。ジョバンニとカムパネルラはりんごを、大切そうにポケットに仕舞った。カオルは、りんごを一口かじってみた。ふつうのりんごと、同じ食感だ。けれど噛んでみると、味も感触もなかった。まるで空気を食べているみたいだ。カオルが、この物語の住人ではないからだろうか。カオルは、りんごを食べるのをやめた。窓から流れる景色を眺めながら、どうすれば元の世界にもどることができるのか、考えていた。しかし、出口になりそうなところはなさそうだ。
「どうしたの?カオル」
 ジョバンニが心配そうに、声をかけてきた。急に黙りだしたからだろう。
「いや、なんでもない」
 カオルはそう答えて、再び窓を見た。とりあえず、銀河鉄道の旅を楽しむことにした。よく考えれば、本の中の世界に入ることになど、めったにできないのだ。レンやあすかのことは心配だが、二人ならだいじょうぶだろう。レンもあすかも、カオルと同じくらい強いのだから。
 窓の外には、かささぎやクジャク、渡り鳥が自由に飛んでいた。露が宝石のように光る、とうもろこし畑に、さそりの火の話。すべて銀河鉄道の夜に出てくる場面だ。しかし、カオルは読んだことがないので、わかりにくいところもあった。
 三人はサウザンクロス、というところで降りるそうだ。そして、姉弟と青年との別れのときがきた。弟がまだ汽車に乗りたい、と駄々をこねた。サウザンクロスに着いた。汽車の中がざわつきはじめた。窓から青や橙色、赤など様々な光をちりばめた十字架が立っているのが、見えた。青白い雲が後光のようにかかっている。みんなが十字架、サウザンクロスに祈りはじめた。カオルも戸惑いながら、祈るまねをした。汽車が、サウザンクロスの真向かいに止まった。
「さあ、下りるんですよ」
 青年は弟の手をひいた。お姉ちゃんは三人に「さよなら」と、別れを告げた。ジョバンニは、泣きそうだった。半分以上の人がサウザンクロスで降りたため、車内はがらん、としている。ガタン、ゴトン、と走っていると、ぽつり、とジョバンニが言った。
「カムパネルラ、カオル。本当の幸せってなんだろうねえ」
「ぼく、わからない」
「おれだって、わかんないよ」
 カオルとカムパネルラは遠くを見つめながら、答えた。
「ぼくたちは、しっかりやろうねえ」
 しんみり、とした雰囲気になった。カムパネルラが「そらのあなだよ」と下を指さした。ジョバンニとカオルは、窓からのぞきこんだ。大きな、真っ暗な穴だ。ずっと見ていると、なんだか不安になってくる。カオルは目をそらした。しかし、ジョバンニはじっ、と穴を見ながら言った。
「ぼく、あんな暗闇だって怖くない。きっとみんな、本当の幸せを探しに行くんだ。カムパネルラ、カオル。どこまでも、どこまでも、
いっしょに行こう」
 二人は、首を縦に振った。カムパネルラが、遠くの野原を見て、叫んだ。
「あっ、あそこにいるの、ぼくのお母さんだよっ。お母さん!」
 カムパネルラは、窓に足をかけた。汽車が走っている最中に落ちてしまっては、大変だ。カオルは危なっかしいカムパネルラを、引き寄せようと、手を伸ばした。
「カムパネルラ!」
 しかし、一瞬遅かった。カムパネルラは軽やかに跳び、野原へと駆けて行った。まるで、羽根が生えているみたいだった。そして、野原を眺めていたジョバンニが、ふりかえったときには、カムパネルラの姿はなかった。
「カムパネルラ……?」
 ジョバンニは窓に乗り出し、叫んだ。
「カムパネルラー!」
 ジョバンニの肩が、泣いて震えていた。
        
                            続く
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