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2「人生いろいろ」とおじさん、の巻

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 職場を後にしたわたしは、行きつけの居酒屋(この世界では『酒場』と呼ばれることが多いが、わたしは断固だんことして『居酒屋』と呼ぶ)に向かった。若い上司達に勧めた新規オープンの居酒屋ではなく、この世界にわたしが来て初めて入った居酒屋だ。おそらくどんなおじさんでも異世界に来て最初に必ずやることの一つに、『行きつけの居酒屋を作る』というのが入るのではなかろうか。
 わたしにとっては町外れの小さな居酒屋『レイジング・ブル』が、そういう店にあたる。

「ヘイらっしゃ…ああヘイゾーさんか。おつかれ」
 居酒屋の扉をくぐったわたしに、巨躯きょくの居酒屋店長が親しげに声をかける。わたしがこの店の常連になって半年だが、もう10年も昔からの馴染なじみの店のようだ。

「…おつかれ、晩飯がてらちょっと飲みに来たよ」
 居酒屋の主人、ジャービット・ロイドこと愛称『ヤミーちゃん』にわたしも笑顔で返した。
 この居酒屋『レイジング・ブル』の主人、ヤミーちゃん(42歳)は、日本人…というより地球人の感覚として『少し変わった』外見をしている。
 見るからに硬そうな髪は栗色のクルクルパーマ。体が大きくてずんぐりむっくりしていて、体重は軽く100キロは超えているだろう。もしかしたら、120キロくらいはあるのかもしれない。腕も脚も胸板も腹も、体のどこもかしこも分厚くて太くて大きい。髪と同色の栗色の髭に覆われた顔は少し強面で左頬に『鋭くて細い棒』状のものが刺さった痕のような、古い傷痕きずあとがある。
 そして、最大の特徴は両耳の上に生えている『黒い二本のつの』だ。

………

 …わたしはこの店に初めて入ったとき、この『角の生えた大男』を見て不覚にも、うわっ!と声を上げてしまった。
 そんなわたしを見て、フッ…と口元だけで笑った後でヤミーちゃんは頬の古傷を指先できながら、
「…すいやせん。昔、戦場でね」
 と言った。頭に生えた『つの』のことは、初対面の人間に説明したくはないらしい。

「た大変申し訳無い!驚いてしまって…軽率けいそつでした……」
 そう言って、わたしは角のある居酒屋店長に深く陳謝した。わたしは人の見た目を揶揄やゆするのが大嫌いである。自分のバーコード頭を他人から揶揄されたくないのと同じくらい、人の見た目も揶揄したくはない。わたしは店の入口で45度の角度で頭を下げ、本気で店長に謝罪した。
 そんなわたしに、フッ…と笑いかけ(今度は普通の笑い方だった)て、店長は店内の空いているカウンター席をわたしに勧めた。椅子が並んだ細長いカウンター席の他には、壁際に小さな二つのテーブル席があるだけの狭い店内には、わたしの他に客はいなかった。

「ま、気にしていませんや。それより注文なさったらどうです」
 わたしは、お詫びのつもりでこの店で一番高い酒を注文した。店長にその理由を聞かれたわたしは、

「…就職が決まったからお祝いの酒だ」
と、苦しい言い訳をすると、

「…お祝いなら一杯奢らせてもらいやす」
と言って店長はこの店で一番高いボトルの酒を棚から出してくれた。

「いやいやいや店長、流石にそれは…」
と、わたしが固辞こじしようとすると、

「…今はしがねえ居酒屋の主じゃあるが、一応『ジャービット・ロイド』という名前がありやす。『ヤミー』で結構です」
 ヤミーちゃんはそう言って、大きなどんぐり眼に笑みを浮かべて、わたしの前のカウンターの上にグラスに入った琥珀こはく色の酒を置いてくれた。まさか、わたしの無礼を許してくれた上に、就職祝いの酒まで奢ってくれるだなんて。

 この出来事で、この大男の居酒屋の主にすっかり惚れ込んだわたしは、以来3日と開けずにこの店に入り浸るようになったのである。

………

「…そんでさ、ウチの上司が言うわけよ『まだ定時まで時間あるし、オレ手伝いましょうか?』って。ジョーダンじゃないよ、こっちゃなんのために気ぃ遣ってると思ってんの、って」
 今日起こったことを語るわたしのバカ話をカウンターの向こうで串焼きを焼くヤミーちゃんは、クックックッ…と笑いながら聞いてくれた。

「…そいつぁ気の利かねえやろうですな。たぶん『顔はわりとハンサムで、そのくせ女にゃからきし』ってやつでしょう?」
 串焼きをひっくり返しながらヤミーちゃんが当て推量を話す。

「そうそうハンサムで真面目なのよ。でもモテないのよ。『貴重な資源のムダ使い』だね、アレはもはや」
 わたしの軽いジョークに串焼きを焼きながらヤミーちゃんはわっはっはと大声で笑ってくれた。
 この世界では所謂『オヤジギャグ』と呼ばれるような区分はない。言った人がオヤジだろうと、ギャルだろうと面白ければ笑うし面白くなければ自分も話に入ってきて一緒に話を盛り上げようとしてくれる人の方がこの世界には多いようだ。
 もちろん話に加わらずに黙っていたい人もいるので、そういう人には誰もわざわざ話しかけない。黙りたいときに黙っているのもその人の『自由』だからだ。

「『ハンサム』、『真面目』、『高身長』、『仕事も早い』。なのに、自分が女の子に誘われたついでにたまたま目の前にいるおじさんも誘っちゃおうなんて…。女の子側とおじさん側の両方の気持ち考えたことあるのかねヤツは」
 指折り数えながらわたしが言う。

「ヘイゾーさん、もうホンット勘弁してくれよ、もう手が震えて串が持てませんや…」
 ヤミーちゃんは、わたしの軽口にずっとクスクス笑っている。

 この店は、値段は安いし、串焼きの味は間違いないし、酒の種類も豊富だ。しかし、町の中心部から少し離れているせいか、それとも別の理由のせいか、いつも客は少ない。
 わたしのバカ話に付き合ってくれるヤミーちゃんの笑い上戸には、そういうことも関係しているのかもしれない。

「そいつ、いっぺん店に連れてきてくだせえよ。顔が見てみてえや」
 目の端に浮いた涙を指先で拭いクスクス笑いながら、ヤミーちゃんが言う。

「いいよ。若い女の子も連れて三人で来たら若い二人がうまく行ったお祝いだと思って。でも、男二人で来たら、…何も言わずそっとしといてあげて」
 出来上がった串焼きの皿をわたしの前のカウンターに置いた後、とうとうヤミーちゃんは堪えきれずに、くの字に体を折り曲げて腹を押さえて笑った。



 続く…
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