4 / 5
4「酒と泪と男と女」とおじさん、の巻
しおりを挟むバルダンの街のスナック『ライラ』。
店名は初代の女主人(ママ)の名に由来するという。
現在、店を受け継いでいるのは初代ママの娘で元チーママのメーテレさん(32歳)。
奇しくもわたしの初恋の人と一字違いの名前だが、そのことは話したことはない。
スナック『ライラ』の奥のソファ席で、わたしは『リュート』というギターに似た楽器を爪弾きながら、アメリカのロックバンドの曲を歌っている。わたしが学生時代に、友人達とよく演奏しながら歌った曲だ。
ギターと違ってリュートの弾き方は知らないので演奏はデタラメだが、スナックのママも店にいる他の客達も黙って耳を傾けてくれていた。
最後のサビを歌い終わったところで、聞いてくれていたみんなはパチパチと拍手をくれた。
「…不思議な歌ね」
ソファに座り目を閉じたままで、ママは今しがたわたしが歌い弾いた曲の余韻に浸っている様子だ。
「…聞いたことねえけど、なんかいい歌だよ。意味も分かんねえし、明るいのか暗いのかも分かんねえけど。何回も出てくる『ハヴュエヴァシーンザレイン』ってどういう意味の言葉?」
この店の飲み仲間で石工のブランがわたしに聞いてきた。
「…『雨を見ましたか?』って意味だと思うよ、多分」
わたしは水割りを飲みながらブランに答える。この店で水割りを飲むのは、わたしだけだ。
「?なんで、雨を見ましたか、って何回も聞いてくるの?今からお出かけしたい、ってこと?」
この店の飲み仲間で服職人のロジェッタがわたしに聞いてきた。まだ32歳の彼女はママと同い年の幼なじみらしい。
「…つまりは、この歌に出てくる『雨』ってのは、人々の上に降る悲しい雨、つまり『戦争』ってことだと思うんだよ。でも、どんなに悲しく冷たい雨でも、遠く離れたところに降る『雨』は自分達の上に降ってくる訳じゃない。…そのうち、世界のどこかで『雨』が降っていることさえ忘れてしまうかもしれない。そんな大切なことを忘れてしまってる人達に向けて『あなたは雨を見ましたか?』って問いかけている歌、…なんだと思うよ」
ほんとの歌の意味は、もしかしたら違うかもしれない。しかし、わたしはそう解釈している。
歌についてのわたしの長い説明を、みんなは黙ったまま口を挟まずに聞いてくれた。
「……いぃーい歌だ。…泣けてきたよ、オリャ…」
それまで黙っていた靴職人のメリドンが、わたしの説明を聞いて鼻の下を擦り、しゃくり上げながら言った。大きな体に似合わず、この男は異様に泣き上戸なのだ。
「…そんな泣く?まあいい歌じゃあるけどさ。オレには、結局意味は分かんねえ…」
石工のブランは、そう言いながら生のまま琥珀色の酒を飲む。この男は酒豪で竹を割ったような性格で、少し雑なところがある。
「要するに、戦争はダメ、ってことなんじゃないの?」
服職人のロジェッタがブランに説明する。「それを遠くの雨に例えてるんじゃないの?」
「…それだったらよ『放っといたらおまえの近くでも雨降っちまうかもしんねえぞ』って教えてやった方が早かねえか?」
雑なブランは納得いかないようにロジェッタに言った。ブランの言葉になんと返していいか分からず、説明したロジェッタの方が何度も首をひねる。
「いや、なんでだよ!この歌はこのままで良いんだよ!『遠くで今雨に打たれてる人がいますよ、なんとも思わないんですか?』って言いたいところを、直接言わずに『雨を見たかい?』って表現するところに、この歌のなんとも言えない奥ゆかしさがあるじゃないか!」
わたしにも負けないくらいに長い説明をするメリドン。わたしがこの男と一緒に飲むようになってまだ半年かそこらだが、メリドンの感情移入能力には相変わらず舌を巻く。
「……かつて悲しい雨に打たれた経験のある人に向かって、『もしかして、あなたは雨に打たれたことがあるのではありませんか?』、『今も打たれ続けているのでは、ありませんか?』っていうことを直接は言わずに、遠回しな表現で被害者の心に寄り添う歌。
……なのかもしれないわ」
黙ってみんなの話に耳を傾けていたこの店のママが、静かな声で言った。
それを聞いたみんなが(わたしですらが)、ハッ…とした表情を浮かべる。
「…『そんなとこいねえで一緒飲もうぜ』…でいいのに」
ブツブツ言いながらもブランも渋々納得したようだ。多少雑なところのあるこの男も、この店のママには逆らわない。
「……そんなこと、考えたこともなかったよ」
わたしがママに言った。この歌をわたしが歌い続けて40年にもなるがそんな解釈はしたことがなかった。
やはり歌はいい。聞く者が理解しようとさえすれば歌は世界の壁を超えられる。たとえ、それが異世界であったとしても。
それにしても、別の世界でも自分が好きな歌の意味について仲間と語り合い、しかも、こんな感動を共有できるだなんて…
靴職人の大男メリドンがママの言葉を聞いて、とうとう本格的に泣き出した。
「…ママ、それ泣いちゃう…」
本当に泣き上戸だ。ママと服職人のロジェッタが、メリドンの大きな背中に手を添えて擦る。
……これじゃどちらが年上だか分かりゃしない。
「…もう一曲、お願いできるかしら」
メリドンの背中を手で擦りながら、ママがわたしに言った。
「いいよ、ちょうど今にピッタリな曲がある…」
そう言って笑い、わたしはリュートのネックを掴んで手の中で一回、クルッ、と回した後で歌い弾き始めた。
曲は、『酒と泪と男と女』。
この歌の歌詞は分かりやすくてブランも気に入ったらしい。2番のサビのところを一緒に歌ってくれた。泣いているメリドンも泣きながら歌ってくれている。ママとロジェッタも歌ってくれていた。
…こうして、わたしにとっての『異世界』の夜は更けていく。元の世界にいた頃と別に何も変わらずに。
続く…
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる