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60. 繰り返す
しおりを挟む最後の曲が終わり、会場を揺らすようなアンコールが鳴り止んでも、三人はしばらくステージの上で肩を寄せ合っていた。
暗転した会場。ペンライトの海が静かに波打つ中、奏多は深く、長く息を吐き出した。見上げた天井には、もう恐ろしい影はない。あるのは、自分たちを祝福するように降り注ぐ紙吹雪の残像だけだった。
「……終わったね」
奏多のその言葉は、ライブの終わりだけでなく、自分の中にあった数年越しの「呪縛」が解けた合図のようにも聞こえた。
「お疲れ様、奏多さん。……最高でしたね、今日の景色」
リオが奏多の肩を抱き寄せ、少しだけ誇らしげに笑う。その隣で、颯真もタオルで汗を拭いながら、どこか晴れ晴れとした表情で頷いた。
「ああ、過去最高にいいライブだった。……奏多、よく最後まで走り抜けたな」
「二人のおかげだよ。……本当に、ありがとう」
奏多が柔らかく微笑むと、舞台裏へ戻る足取りは驚くほど軽かった。
楽屋へ戻る廊下で、スタッフたちからも「お疲れ様!」「大成功だったね!」と次々に声がかかる。
ライブの熱狂がまだ耳の奥に残っていた。
※※※※※※※※※
スタッフたちの「お疲れ様」という声に送られながら、3人は冷めやらぬ高揚感とともに楽屋を後にした。
会場の表側では、名残を惜しむファンたちがまだ大勢残っている。
彼らの歓声や呼びかける声が遠くから地鳴りのように響いてくるのを背中で聞きながら、3人は警備上の理由で用意された暗い裏口の通路を選んだ。
「いやあ、今日の奏多のソロ、一段と声が伸びてたよな。俺、袖で聴いてて鳥肌立ったし」
「本当ですよ。僕も負けてられないなって、いい刺激になりました」
颯真が快活に笑い、リオがそれに熱っぽく応える。
少し前を歩く颯真と、その隣を歩くリオ。
二人は数歩先にある迎えの車を目指して、今夜の打ち上げで何を食べるか、どのワインを開けるかという話題で盛り上がっていた。
「奏多、お前……さっき肉がいいって言ってたけど、やっぱり焼肉にするか? それともガッツリ……」
颯真が答えを求めて、何気なく振り返った。
その隣でリオも、「奏多さん?」と名前を呼ぼうとした。
だが、そこにあるはずの「いつもの柔らかな微笑み」はなかった。
数歩後ろで、奏多が立ち止まっていた。
まるで時間がそこだけ止まってしまったかのように。
「……ねぇ」
奏多の声は、ひどく細く、頼りなげだった。
その不自然な立ち姿に、リオと颯真の心臓が嫌な跳ね方をする。
奏多の背後、コンクリートの壁が作る深い闇の中から、一人の女が音もなく這い出してきた。
女の手には、街灯の鈍い光を反射する、細長い刃物が握られていた。
「え……?」
リオが声を失った瞬間、奏多がふらりと、力なく膝をついた。
その白いシャツの腹部が、まるで赤いインクをぶちまけたかのように、見る間にどす黒く染まっていく。
夜の静寂の中に、ポタポタと、重い液体が地面を叩く音が響いた。
「奏多さん!!!」
リオが悲鳴のような叫びを上げ、駆け寄ろうとした。しかし、奏多を刺した女は、返り血を浴びた顔で、焦点の合わない瞳を颯真の方へ向けた。
「……やっと、会えた。颯真さん」
女は狂気を含んだ笑みを浮かべ、震える声で囁いた。
「あいつが……あいつがいなくなれば、また、前みたいに。……あの事故で、死んでくれればよかったのに。なんで、笑ってるの……? なんで、颯真さんの隣にいるの……?」
その言葉に、颯真の全身の血が凍りついた。
数年前、奏多を襲ったあの「事故」の犯人。
解雇され、消えたはずの、自分の狂信的なファンだった女。
「お前……、お前、まさか……!」
颯真の怒号と、リオの「奏多さん! しっかりしてください!」という必死の叫びが夜の裏通りに交錯する。
奏多は自分の腹部に手を当て、驚いたようにその掌を見つめていた。真っ赤に汚れた自分の手。
何が起きたのか、脳が痛みを認識するよりも先に、体から熱がどんどん奪われていく。
「……り、リオくん……。……やだ……たすけ…、」
奏多の視界が、ゆっくりと、けれど確実に、暗転していく。
さっきまであんなに眩しかったステージの光が、遠い過去の出来事のように霞んでいった。
「奏多さん! 目を開けて! 奏多さん!!」
崩れ落ちる奏多をリオが必死に抱きとめる。腕の中に伝わる奏多の体温は、あまりにも急速に冷たくなっていく。
颯真は、女の手から落ちたナイフの金属音を聞きながら、己の過去が引き起こした凄惨な現実に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
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