元アイドルは現役アイドルに愛される

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64.  屋上にて

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結局、颯真はその日僕の病室には来なかった。
スマホのメッセージも未読無視だ。


このままではいけないと思った奏多は、リオが夜ご飯を買いに行っていない隙に腹部の鈍い痛みをこらえながら、点滴スタンドを杖代わりにして静まり返った廊下を進んだ。

看護師の目を盗み、重い足取りで向かったのは、かつて僕が足の怪我で入院したとき颯真が「ここは落ち着く」とこぼしていた屋上だった。

​冬の終わりの冷たい風が、病衣の薄い生地をすり抜けて肌を刺す。もう日はほとんど沈んでいる。

屋上の隅、フェンスに背を預けて夜景を見下ろしながら、一筋の煙を吐き出している男の背中があった。

​「……僕にも一本、ちょうだい」

​静かな声が夜の闇に溶け込む。
颯真は、弾かれたように振り返った。指先に挟んだ火種が、驚きで激しく揺れる。

​「……奏多!? ……なんで、ここに……」
​「なんとなく、ここにいるかなって思って」

​奏多は顔色の悪いまま、けれど穏やかに微笑んで、颯真の指の間から半分ほど短くなった煙草をひょいと奪い取った。

​「おい、やめろ! お前、吸えないだろ。体調も……」

​颯真が慌てて制止しようとしたが、奏多は慣れた手つきでそれを唇に運び、深く吸い込んだ。肺の奥まで煙を入れ、ゆっくりと紫煙を吐き出す。その所作には、初心者とは思えない年季があった。

​「……前のグループが解散してから、KSRになるまで。結構、ヘビースモーカーだったんだよ、僕」
​「……は?」

​颯真は、今日一番の衝撃を受けたような顔で固まった。自分たちのエースは、いつだって清廉潔白で、不健康なものとは無縁だと思い込んでいたからだ。

​「吸い殻、いつもちゃんと片付けてたからね。……でも、KSRになって、颯真やリオくんと一緒にいるのが楽しくて。必要なくなったから止めてただけ」

​奏多はもう一度煙を吸い込もうとしたが、今度は颯真がその手首を掴んで奪い返した。

​「……だめだ。今の体に障る。……というか、お前、イメージ崩壊だぞ」
​「ふふ、いいよ。今はアイドルじゃない、ただの奏多だもん。……でも、体に悪いから止めるっていうなら、颯真もだめ。……でしょ?」

​奏多の真っ直ぐな瞳に見つめられ、颯真は力なく煙草を携帯灰皿に押し付けた。

沈黙が流れる。

遠くを走る車の走行音と、風の音だけが聞こえる。颯真は奏多の隣に並ぶことができず、半歩後ろに下がったまま、自分の足元を見つめていた。

​「……奏多。俺……お前に、なんて言えばいいか……」
​「颯真」

​奏多が短く名前を呼んだ。彼は痛む腹部を片手で押さえ、もう片方の手で冷たくなったフェンスを掴む。

​「……話を、しよう。隠しごとなしで。僕たちの、これからのこと」

​奏多のその声には、刺された被害者としての弱さなど微塵もなかった。あるのは、バラバラになりかけた絆を繋ぎ止めようとする、強い意志だけだった。
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