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第10話 「枕営業」というレッテル
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ブライダルサロンの自動ドアを抜けると、空気が冷たく張り詰めているのが分かった。
「……おはようございます」
私が挨拶をしても、返ってくるのはまばらな声だけ。
その代わり、背中に突き刺さるような視線と、ヒソヒソという囁き声が私の周りを取り囲む。
『見た? あの指輪……すごすぎない?』
『優斗さんたちを追い出したのって、結局アレでしょ? 社長に体使って取り入ったんじゃない?』
『うわぁ、怖……。真面目ぶってて、やることがエグいよね』
聞こえてくるのは、「枕営業」「魔性の女」という心ないレッテル。
優斗と梨花がいなくなった今、私は「被害者」ではなく、「社長をたぶらかして権力を振るう悪女」として認識されているのだ。
胃の奥がキリキリと痛む。
逃げ出したい。一条に泣きつけば、彼はまた権力で彼女たちを黙らせてくれるかもしれない。
でも、それでは本当に「枕営業」を認めることになる。
(……負けるもんか)
私は左手の指輪をギュッと握りしめ、背筋を伸ばした。
私はプロのウエディングプランナーだ。
社長の婚約者である前に、この仕事に誇りを持っている。
雑音は、仕事の結果で黙らせるしかない。
「相沢さん、次の佐々木様との打ち合わせ、資料できてますか?」
「はい、こちらです。見積もりの修正案と、装花の別パターンも用意してあります」
私は声をかけてきたチーフマネージャーに、完璧に整えられた資料を差し出した。
マネージャーは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに資料に目を通し、小さく頷いた。
「……さすがね。仕事が早いわ」
「ありがとうございます」
周囲の陰口など聞こえないフリをして、私は淡々と、しかし完璧に業務をこなしていった。
午後、サロンでも一番の難客と言われるVIP顧客、西園寺様との打ち合わせが入った。
新郎の母親が非常に厳格で、これまで何人もの担当者が泣かされてきた案件だ。
案の定、打ち合わせは難航した。
「相沢さん。このテーブルクロスの色、以前と言っていることが違うんじゃない? 私、もっと品のあるシャンパンゴールドがいいと申し上げたはずよ」
「申し訳ございません。ですが、お選びいただいたドレスのお色味を一番美しく見せるには、こちらのプラチナシルバーの方が、肌映りがよろしいかと存じます。実際に生地を合わせてみますか?」
私は焦ることなく、準備していた色見本と照明のシミュレーションを提示した。
ただ言いなりになるのではなく、プロとしての根拠ある提案。
それを聞いた西園寺様の表情が、ふと和らいだ。
「……あら。本当だわ。あなた、よく分かっているじゃない」
「恐縮です。当日の主役は花嫁様ですから、最高に輝くお手伝いをさせてください」
打ち合わせが終わる頃には、西園寺様はすっかり上機嫌になっていた。
帰り際、彼女は私の手を取り、笑顔を見せた。
「あなたにお願いしてよかったわ。……最初は『社長の婚約者』なんて噂を聞いて不安だったけれど、あなたは本物のプロね」
「……!」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
サロンに戻ると、周囲のスタッフたちの見る目が少し変わっているのを感じた。
完全な敵意から、戸惑いと、わずかな敬意へ。
まだ完全に認められたわけではないけれど、風向きは変えられる。
(よし……これなら、やっていける)
安堵のため息をつきながら、ロビーを歩いていた時だった。
「――あら? 蓮様じゃない」
鈴を転がすような、艶やかな声が響いた。
ハッとして顔を上げる。
ホテルの正面玄関に、黒塗りのリムジンが止まっていた。
そこから降りてきたのは、息を呑むような美女だった。
手入れされた長い黒髪、仕立ての良い着物を完璧に着こなしたすらりとした肢体。
彼女は、視察から戻ってきたばかりの一条に、親しげに駆け寄っていた。
「……え?」
私の足が止まる。
一条は、普段の冷徹な仮面を少しだけ緩め、その女性と言葉を交わしている。
私が近づけないような、高貴な空気が二人の間には流れていた。
「お久しぶりですわ、蓮様。お母様からお話は伺っておりますのよ?」
彼女は自然な動作で一条の腕に手を添えた。
その仕草があまりに堂々としていて、まるでそれが「当然の権利」であるかのようだった。
ズキン、と胸が痛む。
私は思わず、柱の陰に身を隠した。
あんな人、見たことない。
でも、明らかに私とは「住む世界」が違う。
「……相沢?」
不意に、一条がこちらを振り返った気がした。
私は慌てて背を向け、その場から逃げ出した。
仕事で自信を取り戻したばかりなのに。
私の心に、得体の知れない不安の種がぽつりと落ちた。
あの上品な美女は誰?
そして、「お母様から伺っている」という言葉の意味は?
最強のライバルと、最大の障害(家柄)が、すぐそこまで迫ってきていた。
「……おはようございます」
私が挨拶をしても、返ってくるのはまばらな声だけ。
その代わり、背中に突き刺さるような視線と、ヒソヒソという囁き声が私の周りを取り囲む。
『見た? あの指輪……すごすぎない?』
『優斗さんたちを追い出したのって、結局アレでしょ? 社長に体使って取り入ったんじゃない?』
『うわぁ、怖……。真面目ぶってて、やることがエグいよね』
聞こえてくるのは、「枕営業」「魔性の女」という心ないレッテル。
優斗と梨花がいなくなった今、私は「被害者」ではなく、「社長をたぶらかして権力を振るう悪女」として認識されているのだ。
胃の奥がキリキリと痛む。
逃げ出したい。一条に泣きつけば、彼はまた権力で彼女たちを黙らせてくれるかもしれない。
でも、それでは本当に「枕営業」を認めることになる。
(……負けるもんか)
私は左手の指輪をギュッと握りしめ、背筋を伸ばした。
私はプロのウエディングプランナーだ。
社長の婚約者である前に、この仕事に誇りを持っている。
雑音は、仕事の結果で黙らせるしかない。
「相沢さん、次の佐々木様との打ち合わせ、資料できてますか?」
「はい、こちらです。見積もりの修正案と、装花の別パターンも用意してあります」
私は声をかけてきたチーフマネージャーに、完璧に整えられた資料を差し出した。
マネージャーは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに資料に目を通し、小さく頷いた。
「……さすがね。仕事が早いわ」
「ありがとうございます」
周囲の陰口など聞こえないフリをして、私は淡々と、しかし完璧に業務をこなしていった。
午後、サロンでも一番の難客と言われるVIP顧客、西園寺様との打ち合わせが入った。
新郎の母親が非常に厳格で、これまで何人もの担当者が泣かされてきた案件だ。
案の定、打ち合わせは難航した。
「相沢さん。このテーブルクロスの色、以前と言っていることが違うんじゃない? 私、もっと品のあるシャンパンゴールドがいいと申し上げたはずよ」
「申し訳ございません。ですが、お選びいただいたドレスのお色味を一番美しく見せるには、こちらのプラチナシルバーの方が、肌映りがよろしいかと存じます。実際に生地を合わせてみますか?」
私は焦ることなく、準備していた色見本と照明のシミュレーションを提示した。
ただ言いなりになるのではなく、プロとしての根拠ある提案。
それを聞いた西園寺様の表情が、ふと和らいだ。
「……あら。本当だわ。あなた、よく分かっているじゃない」
「恐縮です。当日の主役は花嫁様ですから、最高に輝くお手伝いをさせてください」
打ち合わせが終わる頃には、西園寺様はすっかり上機嫌になっていた。
帰り際、彼女は私の手を取り、笑顔を見せた。
「あなたにお願いしてよかったわ。……最初は『社長の婚約者』なんて噂を聞いて不安だったけれど、あなたは本物のプロね」
「……!」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
サロンに戻ると、周囲のスタッフたちの見る目が少し変わっているのを感じた。
完全な敵意から、戸惑いと、わずかな敬意へ。
まだ完全に認められたわけではないけれど、風向きは変えられる。
(よし……これなら、やっていける)
安堵のため息をつきながら、ロビーを歩いていた時だった。
「――あら? 蓮様じゃない」
鈴を転がすような、艶やかな声が響いた。
ハッとして顔を上げる。
ホテルの正面玄関に、黒塗りのリムジンが止まっていた。
そこから降りてきたのは、息を呑むような美女だった。
手入れされた長い黒髪、仕立ての良い着物を完璧に着こなしたすらりとした肢体。
彼女は、視察から戻ってきたばかりの一条に、親しげに駆け寄っていた。
「……え?」
私の足が止まる。
一条は、普段の冷徹な仮面を少しだけ緩め、その女性と言葉を交わしている。
私が近づけないような、高貴な空気が二人の間には流れていた。
「お久しぶりですわ、蓮様。お母様からお話は伺っておりますのよ?」
彼女は自然な動作で一条の腕に手を添えた。
その仕草があまりに堂々としていて、まるでそれが「当然の権利」であるかのようだった。
ズキン、と胸が痛む。
私は思わず、柱の陰に身を隠した。
あんな人、見たことない。
でも、明らかに私とは「住む世界」が違う。
「……相沢?」
不意に、一条がこちらを振り返った気がした。
私は慌てて背を向け、その場から逃げ出した。
仕事で自信を取り戻したばかりなのに。
私の心に、得体の知れない不安の種がぽつりと落ちた。
あの上品な美女は誰?
そして、「お母様から伺っている」という言葉の意味は?
最強のライバルと、最大の障害(家柄)が、すぐそこまで迫ってきていた。
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