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第16話 記憶の味と、優しすぎる嘘
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鷹司彩華による「ブローチ狂言事件」の翌日。
私は、晴れてブライダルサロンのプランナーとして復帰した。
「美月先輩! お帰りなさい!」
「相沢さん、昨日の件聞きましたよ。大変でしたね……」
サロンに戻ると、スタッフたちが温かく迎えてくれた。
私が清掃員として泥にまみれながらも、毅然と仕事をこなしたこと。そして、あの蓮様が公然と私を守り、令嬢を断罪したこと。
その事実は、社内の空気を一変させていた。
「枕営業」なんて陰口を叩く者はもういない。
誰もが、私を「社長が本気で惚れ込んだ、芯の強い女性」として認めてくれていた。
「……ただいま戻りました」
私はデスクを撫で、小さく息を吐いた。
勝ったのだ。
自分の場所を、自分の手で取り戻した。
その日の退社間際。
蓮からメッセージが入った。
『明日は空けておけ。デートだ』
***
翌朝。
私は蓮の助手席で、流れる景色を眺めながら首を傾げていた。
「……ねえ、蓮。どこに向かってるの?」
デートと言うから、てっきり都内の高級レストランか、あるいは彼が所有するクルーザーでも出てくるのかと身構えていた。
けれど、車は都心から離れ、私たちが通っていた高校のある私鉄沿線の街へと向かっている。
「昔、よく通った店があるんだ。久しぶりに行きたくなってな」
「へえ、蓮にもそんな庶民的な思い出があるんだ」
「俺をなんだと思ってる」
車が止まったのは、古びた洋食屋の前だった。
『キッチン・メモリー』。
高校時代、部活帰りの学生たちで賑わっていた、地元では有名なお店だ。
「懐かしい……! 私もここ、大好きだったな」
「知ってる」
「え?」
「……いや、有名だからな」
蓮は少しバツが悪そうに視線を逸らし、私を店内へと促した。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
店内は昔と変わらず、バターとデミグラスソースの幸せな香りで満ちていた。
「いらっしゃい。……おや?」
白髪の店主が、私たちを見て目を丸くした。
「あんた……もしかして、あの時の『鉄仮面』の坊主か?」
「……ご無沙汰してます、マスター」
「鉄仮面?」
私が吹き出すと、蓮は苦虫を噛み潰したような顔をした。
高校時代の彼は、常に成績トップで人を寄せ付けないオーラを放っていたから、あだ名としては言い得て妙だ。
「懐かしいねぇ。あんた、高校の三年間、毎週金曜日に必ず来てただろう。……いつも、店の隅の席で」
「注文いいですか。いつものオムライスを二つ」
蓮はマスターの話を遮るように注文した。
「……美月、お前もオムライスでいいな?」
「うん、ここのオムライス絶品だもんね。でも、よく分かったね? 私がいつも頼んでたメニュー」
私はメニュー表も見ずに頷いた。
高校時代、私は自分へのご褒美として、ここのオムライスを食べるのが唯一の楽しみだった。
でも、そんなこと誰にも話したことはないはずだ。
「……勘だ」
蓮は短く答え、水を飲んだ。
やがて運ばれてきたオムライスは、記憶の中の味そのものだった。
ふわふわの卵に、濃厚なデミグラスソース。
一口食べた瞬間、当時の辛かったことや、頑張っていた記憶が蘇り、胸が熱くなった。
「おいしい……」
「そうか」
蓮は、食べる私を愛おしそうに見つめていた。
自分は一口も食べず、ただ私が幸せそうに頬張る姿を、満ち足りた顔で眺めている。
「……おじさん、嬉しくてサービスしちゃうよ」
マスターが、食後のデザートにプリンを二つ持ってきてくれた。
そして、去り際に私にこっそり耳打ちした。
「お嬢ちゃん、幸せもんだねぇ。……この坊主、昔からずっとあんたを見てたんだよ」
「え?」
「毎週金曜日。あんたが友達とこの店に来て、奥の席で笑ってるのを……こいつは一番離れた席から、ずっと眩しそうに見てたんだ」
ドキン、と心臓が跳ねた。
スプーンを持つ手が止まる。
高校時代の私。
地味で、勉強と生徒会に追われていて、学年一位の一条蓮を勝手にライバル視していた私。
彼は、そんな私を見ていた?
ずっと?
「……蓮」
「なんだ」
「あなた……高校の時、私のこと……」
私が問いかけようとした時、蓮のスマホが鳴った。
無機質な着信音。
画面を見た蓮の表情が、一瞬で「鉄仮面」に戻る。
「……会社からだ。緊急のトラブルらしい」
彼は舌打ちをして、スマホを耳に当てた。
短い会話の後、彼は申し訳なさそうに私を見た。
「すまん、美月。急いで戻らないといけない」
「う、うん。大丈夫だよ」
問いかけは、宙に消えた。
けれど、帰りの車の中で、私は彼の横顔を直視できなかった。
もし、マスターの言葉が本当なら。
「君はいらない」と捨てられた私を、「ちょうどいい」と拾った彼の言葉は……全部、嘘だったことになる。
彼は、私が捨てられるのを待っていたの?
それとも、10年前からずっと、私を捕まえる機会を狙っていたの?
(だとしたら……この人の執着、深すぎて怖いかも)
甘いオムライスの味と、少しの戦慄。
私はまだ知らない。
彼が隠している「10年越しの真実」が、単なる片思いなんて可愛いレベルではなく、もっと重くて、切実な「献身」の物語であることを。
そして、会社に戻った私たちを待っていたのは、最後の敵・百合子会長からの「最終通告」だった。
私は、晴れてブライダルサロンのプランナーとして復帰した。
「美月先輩! お帰りなさい!」
「相沢さん、昨日の件聞きましたよ。大変でしたね……」
サロンに戻ると、スタッフたちが温かく迎えてくれた。
私が清掃員として泥にまみれながらも、毅然と仕事をこなしたこと。そして、あの蓮様が公然と私を守り、令嬢を断罪したこと。
その事実は、社内の空気を一変させていた。
「枕営業」なんて陰口を叩く者はもういない。
誰もが、私を「社長が本気で惚れ込んだ、芯の強い女性」として認めてくれていた。
「……ただいま戻りました」
私はデスクを撫で、小さく息を吐いた。
勝ったのだ。
自分の場所を、自分の手で取り戻した。
その日の退社間際。
蓮からメッセージが入った。
『明日は空けておけ。デートだ』
***
翌朝。
私は蓮の助手席で、流れる景色を眺めながら首を傾げていた。
「……ねえ、蓮。どこに向かってるの?」
デートと言うから、てっきり都内の高級レストランか、あるいは彼が所有するクルーザーでも出てくるのかと身構えていた。
けれど、車は都心から離れ、私たちが通っていた高校のある私鉄沿線の街へと向かっている。
「昔、よく通った店があるんだ。久しぶりに行きたくなってな」
「へえ、蓮にもそんな庶民的な思い出があるんだ」
「俺をなんだと思ってる」
車が止まったのは、古びた洋食屋の前だった。
『キッチン・メモリー』。
高校時代、部活帰りの学生たちで賑わっていた、地元では有名なお店だ。
「懐かしい……! 私もここ、大好きだったな」
「知ってる」
「え?」
「……いや、有名だからな」
蓮は少しバツが悪そうに視線を逸らし、私を店内へと促した。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
店内は昔と変わらず、バターとデミグラスソースの幸せな香りで満ちていた。
「いらっしゃい。……おや?」
白髪の店主が、私たちを見て目を丸くした。
「あんた……もしかして、あの時の『鉄仮面』の坊主か?」
「……ご無沙汰してます、マスター」
「鉄仮面?」
私が吹き出すと、蓮は苦虫を噛み潰したような顔をした。
高校時代の彼は、常に成績トップで人を寄せ付けないオーラを放っていたから、あだ名としては言い得て妙だ。
「懐かしいねぇ。あんた、高校の三年間、毎週金曜日に必ず来てただろう。……いつも、店の隅の席で」
「注文いいですか。いつものオムライスを二つ」
蓮はマスターの話を遮るように注文した。
「……美月、お前もオムライスでいいな?」
「うん、ここのオムライス絶品だもんね。でも、よく分かったね? 私がいつも頼んでたメニュー」
私はメニュー表も見ずに頷いた。
高校時代、私は自分へのご褒美として、ここのオムライスを食べるのが唯一の楽しみだった。
でも、そんなこと誰にも話したことはないはずだ。
「……勘だ」
蓮は短く答え、水を飲んだ。
やがて運ばれてきたオムライスは、記憶の中の味そのものだった。
ふわふわの卵に、濃厚なデミグラスソース。
一口食べた瞬間、当時の辛かったことや、頑張っていた記憶が蘇り、胸が熱くなった。
「おいしい……」
「そうか」
蓮は、食べる私を愛おしそうに見つめていた。
自分は一口も食べず、ただ私が幸せそうに頬張る姿を、満ち足りた顔で眺めている。
「……おじさん、嬉しくてサービスしちゃうよ」
マスターが、食後のデザートにプリンを二つ持ってきてくれた。
そして、去り際に私にこっそり耳打ちした。
「お嬢ちゃん、幸せもんだねぇ。……この坊主、昔からずっとあんたを見てたんだよ」
「え?」
「毎週金曜日。あんたが友達とこの店に来て、奥の席で笑ってるのを……こいつは一番離れた席から、ずっと眩しそうに見てたんだ」
ドキン、と心臓が跳ねた。
スプーンを持つ手が止まる。
高校時代の私。
地味で、勉強と生徒会に追われていて、学年一位の一条蓮を勝手にライバル視していた私。
彼は、そんな私を見ていた?
ずっと?
「……蓮」
「なんだ」
「あなた……高校の時、私のこと……」
私が問いかけようとした時、蓮のスマホが鳴った。
無機質な着信音。
画面を見た蓮の表情が、一瞬で「鉄仮面」に戻る。
「……会社からだ。緊急のトラブルらしい」
彼は舌打ちをして、スマホを耳に当てた。
短い会話の後、彼は申し訳なさそうに私を見た。
「すまん、美月。急いで戻らないといけない」
「う、うん。大丈夫だよ」
問いかけは、宙に消えた。
けれど、帰りの車の中で、私は彼の横顔を直視できなかった。
もし、マスターの言葉が本当なら。
「君はいらない」と捨てられた私を、「ちょうどいい」と拾った彼の言葉は……全部、嘘だったことになる。
彼は、私が捨てられるのを待っていたの?
それとも、10年前からずっと、私を捕まえる機会を狙っていたの?
(だとしたら……この人の執着、深すぎて怖いかも)
甘いオムライスの味と、少しの戦慄。
私はまだ知らない。
彼が隠している「10年越しの真実」が、単なる片思いなんて可愛いレベルではなく、もっと重くて、切実な「献身」の物語であることを。
そして、会社に戻った私たちを待っていたのは、最後の敵・百合子会長からの「最終通告」だった。
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