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第19話 空っぽの帝国と、最高のスタート
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「……ここが、新しい俺たちの城だ」
蓮が案内してくれたのは、都心から少し離れた、雑居ビルのワンフロアだった。
昨までの超高層ビルの最上階にある社長室とは比べものにならない。
壁紙は少し剥がれ、デスクも中古品が数台あるだけ。
けれど、そこには不思議な熱気が満ちていた。
「どうだ、美月。幻滅したか?」
「ううん。……なんだか、ワクワクする」
私は素直に答えた。
埃っぽい空気の中、窓を開けて換気をする。
ここには、堅苦しいルールも、陰湿な派閥争いも、家柄の壁もない。
あるのは、私たちの未来だけだ。
「よし。じゃあ、始めるか」
蓮はパイプ椅子に座り、自身のノートパソコンを開いた。
その指がキーボードを叩く音が、反撃のゴングだった。
同時刻。
一条グループ本社、会長室。
百合子は、優雅にモーニングティーを楽しみながら、窓の外を見下ろしていた。
「そろそろ、蓮から泣きの電話が入る頃かしら」
資産を凍結し、家を追い出し、職を奪った。
温室育ちの蓮が、無一文の生活に耐えられるはずがない。
美月という小娘も、金のない男にはすぐに愛想を尽かすだろう。
そうすれば、蓮は頭を下げて戻ってくる。私の操り人形として。
そう確信していた百合子の至福の時間は、秘書の悲鳴によって破られた。
「か、会長! 大変です!!」
「騒がしいわね。何事?」
「じ、辞表が……! 本社の主要な開発チーム、営業部のエース級、それに海外事業部の幹部たちが、一斉に辞表を提出しました!」
「はあ!?」
百合子はカップを取り落としそうになった。
「どういうこと? ストライキか何か?」
「違います! 彼らは全員、『蓮社長の新会社へ移籍する』と……!」
「なっ……」
秘書が差し出したタブレットには、SNSやニュースサイトの速報が踊っていた。
『一条グループ、人材流出止まらず』
『前社長・一条蓮氏、新会社設立を発表。精鋭部隊が合流へ』
画面の中には、あの雑居ビルの前で、蓮がかつての部下たちと握手を交わしている写真が掲載されていた。
誰もが生き生きとした顔をしている。
その中には、蓮が「へそくり」で雇っていた優秀な弁護士や、技術者たちの姿もあった。
「バカな……! あんな掘っ立て小屋のような会社に、キャリアを捨てて行くというの!?」
「彼らは口を揃えて言っています。『我々は一条グループに仕えていたのではない。一条蓮というカリスマについていたのだ』と……!」
百合子の顔色が土気色に変わる。
彼女は震える手で、蓮の携帯電話を鳴らした。
雑居ビルの一室。
蓮のスマホが鳴る。画面には『母上』の文字。
「……かかった」
蓮はニヤリと笑い、スピーカーフォンにして電話に出た。
私も固唾を飲んで見守る。
『蓮! 一体どういうつもり!?』
受話器の向こうから、ヒステリックな金切り声が響く。
「どういうつもりも何も、言っただろう? 『俺が抜ければ、グループは空っぽになる』と」
『ふざけないで! これは背任行為よ! 訴えてやるわ!』
「ご自由に。だが、彼らには『職業選択の自由』がある。それに、俺は彼らを勧誘なんてしていない。彼らが勝手に『今の経営陣(あんた)にはついていけない』と判断しただけだ」
蓮は冷ややかに言い放った。
「あんたは『家柄』や『伝統』ばかり守って、現場の社員を軽視してきただろう? そのツケが回ってきたんだ」
『ぐぬぅ……っ!』
「安心しろ。まだ倒産まではさせない。……俺たちが抜けた穴を、あんたの自慢の『血筋』とやらで埋めてみせればいい」
蓮は一方的に通話を切った。
静まり返るオフィス。
次の瞬間、集まっていた社員たちから「うおおおっ!」と歓声が上がった。
「やったぞ! 社長の勝ちだ!」
「ざまあみろ、あの女帝!」
社員たちが蓮を取り囲み、肩を叩き合う。
蓮もまた、今まで見たことがないほど無邪気な笑顔を見せていた。
「……美月」
喧騒の中、蓮が私を手招きした。
私が近づくと、彼は皆が見ている前で、私の腰を引き寄せた。
「この勝利の女神に、乾杯だ」
「ちょ、蓮……! みんな見てる!」
「構わん。……これからは、ここが俺たちの王国だ」
彼はコンビニで買ってきた缶コーヒーを開け、私に手渡した。
最高級のシャンパンよりも、ずっと温かくて、甘い香り。
「乾杯」
カチン、と缶が触れ合う音が、新しい物語の始まりを告げた。
空っぽになった巨大帝国と、熱気に満ちたボロアパート。
勝負の行方は、誰の目にも明らかだった。
しかし、追い詰められた女帝が、最後の最後でなりふり構わぬ「禁じ手」を使ってくることを、私たちはまだ知らなかった。
それは、蓮の弱点――つまり、「私」を直接狙う卑劣な罠だった。
蓮が案内してくれたのは、都心から少し離れた、雑居ビルのワンフロアだった。
昨までの超高層ビルの最上階にある社長室とは比べものにならない。
壁紙は少し剥がれ、デスクも中古品が数台あるだけ。
けれど、そこには不思議な熱気が満ちていた。
「どうだ、美月。幻滅したか?」
「ううん。……なんだか、ワクワクする」
私は素直に答えた。
埃っぽい空気の中、窓を開けて換気をする。
ここには、堅苦しいルールも、陰湿な派閥争いも、家柄の壁もない。
あるのは、私たちの未来だけだ。
「よし。じゃあ、始めるか」
蓮はパイプ椅子に座り、自身のノートパソコンを開いた。
その指がキーボードを叩く音が、反撃のゴングだった。
同時刻。
一条グループ本社、会長室。
百合子は、優雅にモーニングティーを楽しみながら、窓の外を見下ろしていた。
「そろそろ、蓮から泣きの電話が入る頃かしら」
資産を凍結し、家を追い出し、職を奪った。
温室育ちの蓮が、無一文の生活に耐えられるはずがない。
美月という小娘も、金のない男にはすぐに愛想を尽かすだろう。
そうすれば、蓮は頭を下げて戻ってくる。私の操り人形として。
そう確信していた百合子の至福の時間は、秘書の悲鳴によって破られた。
「か、会長! 大変です!!」
「騒がしいわね。何事?」
「じ、辞表が……! 本社の主要な開発チーム、営業部のエース級、それに海外事業部の幹部たちが、一斉に辞表を提出しました!」
「はあ!?」
百合子はカップを取り落としそうになった。
「どういうこと? ストライキか何か?」
「違います! 彼らは全員、『蓮社長の新会社へ移籍する』と……!」
「なっ……」
秘書が差し出したタブレットには、SNSやニュースサイトの速報が踊っていた。
『一条グループ、人材流出止まらず』
『前社長・一条蓮氏、新会社設立を発表。精鋭部隊が合流へ』
画面の中には、あの雑居ビルの前で、蓮がかつての部下たちと握手を交わしている写真が掲載されていた。
誰もが生き生きとした顔をしている。
その中には、蓮が「へそくり」で雇っていた優秀な弁護士や、技術者たちの姿もあった。
「バカな……! あんな掘っ立て小屋のような会社に、キャリアを捨てて行くというの!?」
「彼らは口を揃えて言っています。『我々は一条グループに仕えていたのではない。一条蓮というカリスマについていたのだ』と……!」
百合子の顔色が土気色に変わる。
彼女は震える手で、蓮の携帯電話を鳴らした。
雑居ビルの一室。
蓮のスマホが鳴る。画面には『母上』の文字。
「……かかった」
蓮はニヤリと笑い、スピーカーフォンにして電話に出た。
私も固唾を飲んで見守る。
『蓮! 一体どういうつもり!?』
受話器の向こうから、ヒステリックな金切り声が響く。
「どういうつもりも何も、言っただろう? 『俺が抜ければ、グループは空っぽになる』と」
『ふざけないで! これは背任行為よ! 訴えてやるわ!』
「ご自由に。だが、彼らには『職業選択の自由』がある。それに、俺は彼らを勧誘なんてしていない。彼らが勝手に『今の経営陣(あんた)にはついていけない』と判断しただけだ」
蓮は冷ややかに言い放った。
「あんたは『家柄』や『伝統』ばかり守って、現場の社員を軽視してきただろう? そのツケが回ってきたんだ」
『ぐぬぅ……っ!』
「安心しろ。まだ倒産まではさせない。……俺たちが抜けた穴を、あんたの自慢の『血筋』とやらで埋めてみせればいい」
蓮は一方的に通話を切った。
静まり返るオフィス。
次の瞬間、集まっていた社員たちから「うおおおっ!」と歓声が上がった。
「やったぞ! 社長の勝ちだ!」
「ざまあみろ、あの女帝!」
社員たちが蓮を取り囲み、肩を叩き合う。
蓮もまた、今まで見たことがないほど無邪気な笑顔を見せていた。
「……美月」
喧騒の中、蓮が私を手招きした。
私が近づくと、彼は皆が見ている前で、私の腰を引き寄せた。
「この勝利の女神に、乾杯だ」
「ちょ、蓮……! みんな見てる!」
「構わん。……これからは、ここが俺たちの王国だ」
彼はコンビニで買ってきた缶コーヒーを開け、私に手渡した。
最高級のシャンパンよりも、ずっと温かくて、甘い香り。
「乾杯」
カチン、と缶が触れ合う音が、新しい物語の始まりを告げた。
空っぽになった巨大帝国と、熱気に満ちたボロアパート。
勝負の行方は、誰の目にも明らかだった。
しかし、追い詰められた女帝が、最後の最後でなりふり構わぬ「禁じ手」を使ってくることを、私たちはまだ知らなかった。
それは、蓮の弱点――つまり、「私」を直接狙う卑劣な罠だった。
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