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第11話 お願い
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実親が立川に引っ越してから一週間と二日が経った。
今は昼休みの時間だが、実親は昼食を摂らないので読書に興じていた。
場所は校舎の端にある比較的人気の少ないラウンジだ。離れた位置に三人の女子生徒の姿がある。
人気の少ない場所なので静寂に包まれているが、離れた場所から生徒の声が微かに聞こえて来る。
落ち着いた雰囲気で居心地がよく、自宅から持参した青春小説を黙々と読み耽るにはうってつけだった。
近寄り難さすらある姿にもかかわらず、自然と視線が吸い寄せられる色気と美しさがある。どこか浮世離れした空間にも感じられた。
本のページを捲る音が耳に残る。
実親は基本電子書籍は読まない。
電子でしか読めない作品の場合は電子書籍を利用するが、彼は紙媒体の書籍を好んでいる。
ページを捲る際に生じる音や匂いが充足感を与えてくれるからだ。
またコレクターの一面もあるので、本棚に並んでいるのを眺めるのも好きである。
「あ」
次のページを捲ろうとした時に耳に残る声を耳が捉えた。
声の在処が気になった実親は本から目を離し顔を上げる。
すると、顔を上げた先には先月から実親を悶々とさせ続けた元凶がいた。
向こうも実親の方を見ており、自ずと目が合う。
「久世……」
「うん。久世です」
声の主は映画研究部の部室で自慰に耽り、実親の脳裏に忘れられない情景を焼き付けた久世紫苑であった。
紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。ストローを咥えている口元が妙に色っぽい。
「ちょうど良いところに」
表情は変わらないが、一人勝手に頷いて納得している紫苑が歩み寄って来る。
「なんか用か……?」
怪訝な表情を浮かべる実親は本を閉じて精神的に身構えた。
ベンチに足を組んで座っていた実親の身体が僅かに強張る。
彼を散々悶々とさせ続けた元凶だ。緊張してしまうのは無理もない。
「うん」
紫苑は実親の隣の空いているスペースに腰を下ろす。
そして実親の顔を覗き込むようにして口を開いた。
「風の噂で聞いたんだけど、黛って一人暮らしなんだよね?」
「風の噂って……誰に聞いた?」
「部長」
「だろうな……」
どうやら紫苑は実親が一人暮らししていることを知っているようだ。
実親は彼女に教えた人物に心当たりがあり、確認したら案の定であった。
その事実に思わず溜息を吐く。
別に隠している訳ではないので構わないが、後で小言の一つでも言ってやろうと思った。
「それで、それがどうかしたのか?」
「うん」
一人暮らししていることを聞いてなんの意図があるのか疑問に思い問い掛ける。
すると、紫苑は表情を変えずに澄んだ瞳で言う。
「今日泊めてくれない?」
「は?」
紫苑が口にした予想だにしない台詞に思考が止まる。
「駄目?」
身長差の関係で必然的に上目遣いになる紫苑が首を傾げる姿は中々の破壊力があった。
「何故だ?」
彼女が口にした言葉の意味をなんとか咀嚼した実親は、平静を装いながら訳を尋ねる。
「家に帰りたくないんだよね」
紫苑は苦笑しながら自宅に帰りたくない訳を話してくれた。
彼女はシングルマザーの家庭であり、母が毎日のように男を自宅に連れ込んでいた。それも毎回別の男らしい。同じ男が来ることもあるそうだが。
母はいつも家で男とイチャつき、家中には紫苑の居場所がないそうだ。
家にいても母と男がよろしくやっている場面を目撃するか聞かされるだけで苦痛うしか感じない。
彼女がいないものとして扱われるだけならばまだマシなようで、酷い時は追い出されたり、ぞんざいな仕打ちを受けることもある。
暴力や暴言などはないが、母からの愛情を感じたことはないと言う。
「酷い時は連れて来た男に襲われそうになるし」
犯されそうになったことも屡。
その時はいつも冗談だと言って手を引き最終的には襲われないで済むが、決して気分の良いものではない。
しかも母は庇ってくれずに機嫌次第で、「私の男を誑かすな」、「彼を喜ばせたいから抱かせてあげて」、「安いもんだし楽しめば良いじゃん」、などと言い出す始末だ。
本気で犯されそうになったことはないので今のところ貞操は守られているが、次も安全な保障はない。いつ身に危険が迫ってもおかしくなかった。
そのような環境に身を置くしかなく、不安な日々を送っていたのだ。
「なんだそれ……」
「ね。ほんとになんだそれって感じだよね」
紫苑の家庭環境に同情しか湧かない実親は、安易に慰めを口にすることが出来ず言葉に詰まる。
ただただ不快感が募り、眉間に皺が寄っていく。
「勿論、中には良い人もいるけどね」
悪い人ばかりではないのが唯一の救いだ。
それでも気分の良いものではないが。
心地よかった静寂が、今は紫苑が抱えている事情を表しているかのように重く感じる。
「シングルマザーとは言え、父親はいるんだろ? 頼れないのか?」
実親の言う通り、シングルマザーとは言え父親はいるだろう。
父に助けを求めることは出来る筈だ。
尤も、父親が誰かわからない場合や、ろくでなしの場合、既に亡くなっている場合もあるので一概には言えないが。
「父さんは旭川にいるから無理かな」
「北海道か……」
「うん」
父のもとに身を寄せようと思っても、旭川だと気軽に足を運べない。
「そもそも父さんには母のこと伝えてないし」
「そうなのか?」
紫苑が頷く。
「父さんは再婚して家庭を持ってるから迷惑掛けたくないんだよね」
紫苑の父は旭川が地元だそうだ。
離婚した後に地元に戻り、別の女性と再婚して新たに家庭を築き幸せに暮らしている。なので紫苑は幸せに水を差すようなことはしたくなった。
「伝えたらまだ小さい子供もいるのに家族も仕事も放って飛んで来るだろうし」
紫苑は父の姿を想像して苦笑する。
慌てて駆け付けて来る父の姿が容易に想像出来たからだ。
今は昼休みの時間だが、実親は昼食を摂らないので読書に興じていた。
場所は校舎の端にある比較的人気の少ないラウンジだ。離れた位置に三人の女子生徒の姿がある。
人気の少ない場所なので静寂に包まれているが、離れた場所から生徒の声が微かに聞こえて来る。
落ち着いた雰囲気で居心地がよく、自宅から持参した青春小説を黙々と読み耽るにはうってつけだった。
近寄り難さすらある姿にもかかわらず、自然と視線が吸い寄せられる色気と美しさがある。どこか浮世離れした空間にも感じられた。
本のページを捲る音が耳に残る。
実親は基本電子書籍は読まない。
電子でしか読めない作品の場合は電子書籍を利用するが、彼は紙媒体の書籍を好んでいる。
ページを捲る際に生じる音や匂いが充足感を与えてくれるからだ。
またコレクターの一面もあるので、本棚に並んでいるのを眺めるのも好きである。
「あ」
次のページを捲ろうとした時に耳に残る声を耳が捉えた。
声の在処が気になった実親は本から目を離し顔を上げる。
すると、顔を上げた先には先月から実親を悶々とさせ続けた元凶がいた。
向こうも実親の方を見ており、自ずと目が合う。
「久世……」
「うん。久世です」
声の主は映画研究部の部室で自慰に耽り、実親の脳裏に忘れられない情景を焼き付けた久世紫苑であった。
紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。ストローを咥えている口元が妙に色っぽい。
「ちょうど良いところに」
表情は変わらないが、一人勝手に頷いて納得している紫苑が歩み寄って来る。
「なんか用か……?」
怪訝な表情を浮かべる実親は本を閉じて精神的に身構えた。
ベンチに足を組んで座っていた実親の身体が僅かに強張る。
彼を散々悶々とさせ続けた元凶だ。緊張してしまうのは無理もない。
「うん」
紫苑は実親の隣の空いているスペースに腰を下ろす。
そして実親の顔を覗き込むようにして口を開いた。
「風の噂で聞いたんだけど、黛って一人暮らしなんだよね?」
「風の噂って……誰に聞いた?」
「部長」
「だろうな……」
どうやら紫苑は実親が一人暮らししていることを知っているようだ。
実親は彼女に教えた人物に心当たりがあり、確認したら案の定であった。
その事実に思わず溜息を吐く。
別に隠している訳ではないので構わないが、後で小言の一つでも言ってやろうと思った。
「それで、それがどうかしたのか?」
「うん」
一人暮らししていることを聞いてなんの意図があるのか疑問に思い問い掛ける。
すると、紫苑は表情を変えずに澄んだ瞳で言う。
「今日泊めてくれない?」
「は?」
紫苑が口にした予想だにしない台詞に思考が止まる。
「駄目?」
身長差の関係で必然的に上目遣いになる紫苑が首を傾げる姿は中々の破壊力があった。
「何故だ?」
彼女が口にした言葉の意味をなんとか咀嚼した実親は、平静を装いながら訳を尋ねる。
「家に帰りたくないんだよね」
紫苑は苦笑しながら自宅に帰りたくない訳を話してくれた。
彼女はシングルマザーの家庭であり、母が毎日のように男を自宅に連れ込んでいた。それも毎回別の男らしい。同じ男が来ることもあるそうだが。
母はいつも家で男とイチャつき、家中には紫苑の居場所がないそうだ。
家にいても母と男がよろしくやっている場面を目撃するか聞かされるだけで苦痛うしか感じない。
彼女がいないものとして扱われるだけならばまだマシなようで、酷い時は追い出されたり、ぞんざいな仕打ちを受けることもある。
暴力や暴言などはないが、母からの愛情を感じたことはないと言う。
「酷い時は連れて来た男に襲われそうになるし」
犯されそうになったことも屡。
その時はいつも冗談だと言って手を引き最終的には襲われないで済むが、決して気分の良いものではない。
しかも母は庇ってくれずに機嫌次第で、「私の男を誑かすな」、「彼を喜ばせたいから抱かせてあげて」、「安いもんだし楽しめば良いじゃん」、などと言い出す始末だ。
本気で犯されそうになったことはないので今のところ貞操は守られているが、次も安全な保障はない。いつ身に危険が迫ってもおかしくなかった。
そのような環境に身を置くしかなく、不安な日々を送っていたのだ。
「なんだそれ……」
「ね。ほんとになんだそれって感じだよね」
紫苑の家庭環境に同情しか湧かない実親は、安易に慰めを口にすることが出来ず言葉に詰まる。
ただただ不快感が募り、眉間に皺が寄っていく。
「勿論、中には良い人もいるけどね」
悪い人ばかりではないのが唯一の救いだ。
それでも気分の良いものではないが。
心地よかった静寂が、今は紫苑が抱えている事情を表しているかのように重く感じる。
「シングルマザーとは言え、父親はいるんだろ? 頼れないのか?」
実親の言う通り、シングルマザーとは言え父親はいるだろう。
父に助けを求めることは出来る筈だ。
尤も、父親が誰かわからない場合や、ろくでなしの場合、既に亡くなっている場合もあるので一概には言えないが。
「父さんは旭川にいるから無理かな」
「北海道か……」
「うん」
父のもとに身を寄せようと思っても、旭川だと気軽に足を運べない。
「そもそも父さんには母のこと伝えてないし」
「そうなのか?」
紫苑が頷く。
「父さんは再婚して家庭を持ってるから迷惑掛けたくないんだよね」
紫苑の父は旭川が地元だそうだ。
離婚した後に地元に戻り、別の女性と再婚して新たに家庭を築き幸せに暮らしている。なので紫苑は幸せに水を差すようなことはしたくなった。
「伝えたらまだ小さい子供もいるのに家族も仕事も放って飛んで来るだろうし」
紫苑は父の姿を想像して苦笑する。
慌てて駆け付けて来る父の姿が容易に想像出来たからだ。
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