ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!

汐瀬うに

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11:推しのいる生活

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「しらちゃん!どうしよう!うわ!」

 スマホを見ながら着替えていたカナが騒ぎ出したのは、退勤時間のことだった。スマホを何度も見たり、抱きしめたりしながら、半泣き状態で大喜びしている。どうしたんですか?という質問待ちの顔が、こちらを何度も見ている。

「……どう、したんですか?」
「あっよくぞ聞いてくれました……!あのね、私大好きなバンドがあるんだけど、そのバンドのライブが決まったの!しかも、緊急告知ありだって!どうしよう!私……この告知開けないっ!」

 まだ着替えかけのセクシーな格好だというのに、カナは地面にへたり込んでスマホ画面を眺めていた。地面はすのこが敷かれているとはいえ、そのまま座り込んでいては寒くなる可能性しかない。

「先輩、お腹冷えちゃいますから。ほら、立ってください」
「しらちゃん~~!」

 32歳とはいえまだまだ現役の見た目の女性が、下着とパンスト1枚で、すのこに座り込んで良い訳がない。腰ほどまである黒髪は艶やかだし、あまり凹凸のない雫に比べるとスタイルもかなりいい。女子更衣室だからこその光景とはいえ、目のやり場に困るのは雫も一緒だった。

「先輩。早く服着ないと、私が告知見ちゃいますよ?」
「えっそれはやだ、だめ。」
「じゃあ早く着替えてくださいねっ!私、先出ちゃいますからねっ。お疲れ様でしたっ!」
「え~!待って待って!お願い!せめて表で一緒に見よう?新曲もアルバムも出てないし、ついに解散だったらそれこそ死んじゃう……あ~どうしよう……」

 死ぬといえてしまうほどにのめり込むものがあるカナが、雫は少し羨ましかった。学生の頃に打ち込んだピアノは家庭の事情で辞めてしまって、それ以来何かに熱中する意欲を失ってしまった。誰かのせいにするつもりはないけれど、あの時続けられていたらと思うことはいまだに良くある。もしかすると、案外未練がましい性格なのかもしれない。
 
 本当なら早く帰って凝った晩ごはんでも作ろうかと思っていたけれど、こういう時の先輩は手がつけられないし、付き合うしかない。更衣室は狭く、長く滞在するわけにもいかないので、表で待つと伝えて先に更衣室を後にした。

「おっまたせ!じゃあ行こっか!」
「えっ!?」
「こういう情報はアルコール入れないと見れないもん…しらちゃんも一人暮らしだし、問題ないでしょ?ね?」
「う、まぁいい、ですけどっ」
 
 カナは雫の腕をとって、渋谷交差点の方へ進んで行った。時刻はまだ20時だというのに、今日の渋谷はなんだか人が少ない。珍しいなと思いながら交差点に立つと、映像が切り替わった瞬間、たくさんの人がスマホを掲げた。

「なにこれ……?」

 スマホの向けられている先は、大画面広告だ。画面に表示されているロゴマークを見たカナは一瞬で勘づいたようで、画面に表示されている文字列をそのまま読み上げていく。

「「Essentials」」
「「緊急ライブ決定」」
「「5月15日(日)18:00」」
 
「「さらに……」」
「「アルバム同時リリース決定」」

「「チケットは……HPにて明日販売……?!」」

 画面を見ていた群衆からも「おぉ」「えっ」「やば」といった声が漏れる。隣に立っているはずのカナはというと、すぐに他の広告に切り替わった画面を今なお見続け、無理、無理、と呟いていた。

「先輩、まさかとは思いますけど、これ……ですかね?」
「……盛大なネタバレくらっちゃったよ、しらちゃん」

 立ちすくんでいたカナがようやくこちらを見たかと思うと、近くのベンチへ雫の手を掴んで移動し、横並びに座った。急に決心がついたのか、先ほどのSNSの緊急告知動画を開こうとしている。

「えっえっ!ここでいいんですか?」
「……だってもうネタバレされちゃったもん。せっかく、楽しみにしてたのに!」

 ぐすぐすと鼻を啜っているところを見ると、本当に楽しみにしていた分とてもショックだったんだろうなと同情してしまう。カチカチと何度か音量を調節したカナは、先ほどとは打って変わって勿体ぶることもなく、すんなりと画面の再生ボタンを押した。

「こんばんは、Essentialsリーダーのユウトです。今回、会場側のご好意で、1日限りではありますがワンマンライブが開催できることとなりました!」

 スマホを持っていたカナが、は?と一言発すると一度画面の電源を落とし、雫の方を向く。訳のわからない雫は、どうしました?と聞くほかなかった。

「待って。今までの告知動画は、本人の音声とか無かったの……なのに、なんかもうめちゃくちゃ喋ってて、需要と供給のバランスが……供給過多すぎる……ううぅ」
「えぇっあの、あ、どうしよう、えっと。落ち着いてください。ほら先輩、深呼吸して!深呼吸!」

 スマホ片手にボロボロと泣き出したカナは、横を通る人々から不思議そうな目で見られている。自分が泣かせたわけではないけれど、なんだか申し訳なくて、雫は背中をさすった。

「しらちゃん、カラオケ行かない?もう私が全部お金出すからついてきて欲しい……お願い」
「あ、はい、もうご飯一緒に食べると思ってたので……場所変わるのは、どこでも大丈夫です」
「あーもう、本当にいい後輩。大好き。この続きはカラオケで見ることにしよっと」
 
 まだ涙の残る目元をワシワシと拭いて、カナは一番近くのカラオケ店へと駆け込んだ。フリードリンクの飲み物とポテト、サラダ、食事などが揃ったところで、カナはスマホを画面に繋いで深呼吸した。カナの再生ボタンを押す手が震えている。

 本人曰く、今までほとんど音沙汰のなかった好きな人が、急に連絡をくれるくらいに嬉しいことなんだそう。少し前の自分の感覚に近いのかな?と思うと、なんとなく共感できる気がした。

「今までの動画はずっとナレーター音声だったのに、何の心境の変化だろう……?」
「単に雰囲気変えたかったとか、特別なお知らせだから間に合わなかったとか、そういうことじゃないんですか?」
「いや絶対意味あると思う。バンドマン追いかけてると、突然わかるようになるのよ。なんかこう、文字列を見て胸騒ぎがしたりね」
 
 カナはシャツの胸元をギュッと掴んで、悲劇のヒロインのようなポーズをとった。動画、見なくていいんですか?と聞くと、急かさないでよ~と言いながら、カナはSNSの告知動画を再生し始めた。

 スマホを繋いだことで、カラオケ用の大画面上にもさっきスマホで見たのと同じ映像が流れ始めた。Eの文字がくるくると画面上で回った後、ゆっくりと紫色の煙が流れるような動画に切り替わり、テロップが出る。

「こんばんは、Essentialsリーダーでドラムスのユウトです。今回、会場側のご好意で、1日限りではありますがワンマンライブが開催できることとなりました!」
「えーと、Essentials ギターのシンジです。突然のお知らせで驚かれている方もいるかと思いますが、この発表の翌日よりHPにてチケット販売開始いたします!」
「Essentialsベースのユウセイです。5月15日日曜日、ZIPP TOKYOで、お待ちしております!」
「Essentialsボーカルのリュウです。このライブと同日、全世界同時配信アルバムESSENCEを発売いたします。新曲18曲と定番曲12曲をまとめた、今の俺たちの渾身のアルバムです。」
「「「「ご予約、よろしくお願いします!」」」」

 画面に映った映像は1分ほどのもので、男性4人組のバンドらしい。映像をリピートしたまま、カナは雫の肩。ガクガクと揺らし始めた。
 
「えっやば……やばいよ、しらちゃん」
「えっ、やばいんですか?」

 いわゆる普通の告知動画だと思って見ていた雫には、そのやばいの意味が伝わらない。むしろ会場や新作の説明をしていて親切だなという、ふんわりとした感想しか抱いていなかった。
 
「メンバーの音声解禁ですら、ありがたすぎて意味わかんないのに……なんて言ったらいいんだろう。久しぶりに好きな人から連絡来たのに、10000人で俺を奪い合え!って言われてるみたいな感じなの。こんなの絶対当たんない……」
「えっそうなんですか?そんな傍若無人な感じには見えなかったですけど……」
「あの人達のファンクラブ、今500,000人以上いるのね」
「はい」
「ZIP TOKYOは最大でも2700席、着席なら1200席。これは単純に考えても185倍……さらに今回は一般販売だから、ファンクラブに入ってない人でも応募できちゃう……あーもう!絶っ対、無理!」
「なる……ほど?でもあの、配信がメインのバンドなら、ファンの方も東京在住とは限らないんじゃ?」
「だからやばいのよ。チケット当たったら意地でも来る人しか、応募しないもの……」

 信じられない、耐えられない、と呟いたり、時々そのバンドの曲のミュージックビデオを流して写真をとったり、カナは食事よりも推し活で忙しそうだ。

「ねぇしらちゃん。明日仕事だよね?」
「はい、シフト入ってます」
「10時販売開始なんだけど、トライするだけでもいいからアクセスしてくれない?」
「今それ、絶対言われるだろうなってと思ってました」
「だめ……?」
「うーん。休憩時間に操作方法教えてもらえるなら……やってみてもいいですけど」
「本当に?やった!もうなんでも教えるから聞いて聞いて!」
 
 持つべきものは後輩!と大喜びするカナは、早速雫にサイト登録を進めさせた。こういうファン的活動をしたことがないから、サイトがきちんとしすぎていてびっくりする。普通の通販サイトと何も変わらない。

「でね、これが配信曲の乗ってるサイトで、私のおすすめはこのSUPER SPECIALって曲。もう、まーじでエモいの。全世界の女子が100%好きになる声。家帰ったらぜひ聞いて」
「う、わかりました」

 カナの圧に負けて説明を受けていると、メッセージアプリに「そろそろ帰ってきた?」とメッセージが入る。無意識で微笑んでいたのか、カナからは「彼氏でしょ」とすぐに当てられてしまった。

「う、あ、はい……そろそろ帰ってきたか、って」
「えー!やだ。ほんとに彼氏だった」
「えっそんなこと言わないでくださいよ!」
「ヤダヤダ!彼氏いない先輩の前でそんな幸せオーラ出すのはやめていただけます?」
「う、ごめんなさい」
「よろしい。でもそろそろ帰ろっか。しらちゃんの彼氏も心配して出てくるといけないから」
「っふふ。確かに」

 渋谷のカラオケBOXにいますなんて伝えたら、隆介はタクシーに乗って飛んできそうだ。他の男に触れられてないか、変な目に遭ってないかと抱きしめてくるだろうなと思うと、それはそれで可愛い気がして心がくすぐったくなる。
 
「え、そういうタイプ?」
「どちらかというと、そういうタイプです」
「はーあっ!こんなに簡単に惚気ちゃって。前の彼氏の時よりだいぶ幸せそうで、私は何も言えない!」
「ふふっ。そう見えてるなら、嬉しいです」
「もう……何かあったら、いつでも相談しなさいね。しばらくは無さそうだけど」
「はい、もし何かあったら、相談させてください」

 1時間半ほどの推し活体験は、特に推しという感覚のない雫には新鮮で、こんなにも熱くなれることがある大人ってすごいなと真剣に思わされた。
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