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第五章(4)
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由季の長い話を、彰は静かに聞いていた。
「……熱海で会った同僚は、本当に同僚だったってことか」
「うん。新卒で入社した会社のね」
「辞めたのは、クソ野郎のせいか」
「……どうやって調べたのかは分からないんだけど、あの男に働いてる場所を嗅ぎつけられたの」
「その時も家に……あんな手紙が?」
由季はため息をこぼす。
「もっとひどい。会社に連日、連絡が入ったの。私の父親という名乗る男から、しつこく電話をかけて業務を妨害するって。どうなってるんだって上司には言われて。でも事情なんてうまく話せない……頭がパニックになって慌てて退職して、逃げるようにこっちに出て来たの」
「最悪だな」
「逃げるようにやめたから再就職もままならない。それに、また同じようなことが起きたらって思ったらすごく怖くなっちゃって……。いつでも逃げられるように、経験のない私でもどうにかやっていけることはって考えて。そんな時に大学時代の先輩の仕事を手伝ったことをきっかけにフリーランスのライターをはじめたの。もう十分、時間も空いたし、あいつも諦めたって思ったら……」
「このケータイ、俺に預からせてくれないか?」
「だめ! 彰はあの男がどれだけ異常か分からないでしょ! あんな奴とのことにあなたを巻き込んだら、あなただけじゃない。会社にだって何をされるか分からない……」
考えるだけで、胸が苦しくなってしまう。大好きな人が築きあげたものを、由季の父親と関わったために、評判に傷がつくようなことになったら悔やんでも悔やみきれない。
「じゃあ、何か良い考えでもあるのか?」
「今はまだないけど、どうにか考えて……」
「俺はいつまで赤の他人なんだ?」
「え……?」
彰がため息をつく。
「俺はお前と結婚する気だって言ったよな。俺は遊びで付き合ってない。だから巻き込むって考えはやめろ。頼れよ」
彰は語気を強め、由季の右手を握っている彼の手に力がこもる。
「俺の目を見ろ」
真剣な声に、由季はっとして言われた通り、彼の目を見る。
「お前は分からないだろうな。お前にフられた時に何も聞かずにそのまま見送ったことを、俺がどれだけ後悔したか。あの時どうしてお前を引き留めて事情を聞かなかったんだって、ずっとそれが心残りになってたんだ。だからもう二度と後悔したくない。俺に任せてくれ。お前も、お前の生活も、絶対に壊させない!」
「……警察に頼るの?」
「得策じゃないな。以前の会社でのことは業務妨害と言えるが、何年も前だし、証拠もない。さっきのあの文面は脅迫だが、あの程度じゃ実刑までもっていけるかは怪しい。初犯なら確実に執行猶予だ。そうしたらお前の父親は確実に、報復するだろう。それこそ、ずっとお前は父親の影に怯えて暮らすことになる。お前にそんな地獄を味あわせるわけにはいかない」
「じゃあ、どうするの?」
「それはこれから考える。少なくともうちには優秀な弁護士や、頼りになる社長もいるからな」
「社長って……草薙友哉さん?」
「そうだ。このことについてお袋さんに連絡は?」
「とった。今のところはお母さんのところにはいってないみだいだけど」
「お袋さんのところに行くつもりだったのか?」
「……ううん。お母さんは来ても大丈夫って言ってくれたけど、今はお母さん、知り合いのところで働いてるし、迷惑はかけられない。ひとまず貯金が続く限りはネカフェとかそういうところを点々と移動して、っていう風に考えたの。フリーランスだから、すぐにどうこうなるってことはないから……」
「無茶すぎるぞ……。ひとまず必要最低限の荷物をまとめて、うちに来い。セキュリティはバッチリだし、それに俺の目も届く」
「……ありがとう」
「俺たちの関係で礼なんて言うな。当たり前のことをしてるだけなんだから」
彰が本気で心配してくれているし、なにより、頼れと言ってくれたことで、心が軽くなっていた。まだ何ひとつとして問題は解決していないというのに。もちろん一方的に何かをしてもらうわけにはいかないから、家事でも何でも、できることをこなすつもりだ。
由季は早速、行動する。キャリーケースに数日分の着替え、それから打ち合わせに使うためのリクルートスーツや私服を詰めていく。悲しいことに避難するのはすっかり手慣れていて、あっという間に必要最低限の荷造りは終えられた。
「行こう」
タクシーで彼のマンションまで向かう。到着した頃には午前五時を回り、東の空はすっかり白みはじめ、日射しが高層マンション群を照らしだす。
色々ありすぎて数日は経ったんじゃないか思ったが、あの手紙を目にしてからまだ二十四時間と経っていないことに驚く。
「彰、これから仕事だよね。うちに来たせいでちゃんと眠れてないでしょ。大丈夫?」
「今日は休みだから気を遣わなくて良い」
「休みって、平日だよ。それに彰は役員で……」
「別に休みだからって全く何もしないわけじゃない。何か用事があればすぐに連絡を入れるようにも伝えてもある。心配するな。それに、由季。今お前が考えるべきことは自分のことだけだ」
「……分かった」
それはそうだ。今は精神的にも肉体的にも無理をしているのは由季だ。そんな自分が彰を心配するのはおかしい。彰としても困るだろう。
今由季がするべきことはこれ以上、彰を困らせないこと。
「風呂に入ってスッキリしてこい」
彰は由季の頬をくすぐるように指で撫でる。
くすぐったくて、由季は目を細める。彼との優しい触れあいが嬉しかった。
「俺は書斎にいるから何かあれば声をかけろ。それから、部屋にあるものは何でも好きに使ってくれて構わないからな」
由季は彰と別れ、脱衣所に入っていった。
「……熱海で会った同僚は、本当に同僚だったってことか」
「うん。新卒で入社した会社のね」
「辞めたのは、クソ野郎のせいか」
「……どうやって調べたのかは分からないんだけど、あの男に働いてる場所を嗅ぎつけられたの」
「その時も家に……あんな手紙が?」
由季はため息をこぼす。
「もっとひどい。会社に連日、連絡が入ったの。私の父親という名乗る男から、しつこく電話をかけて業務を妨害するって。どうなってるんだって上司には言われて。でも事情なんてうまく話せない……頭がパニックになって慌てて退職して、逃げるようにこっちに出て来たの」
「最悪だな」
「逃げるようにやめたから再就職もままならない。それに、また同じようなことが起きたらって思ったらすごく怖くなっちゃって……。いつでも逃げられるように、経験のない私でもどうにかやっていけることはって考えて。そんな時に大学時代の先輩の仕事を手伝ったことをきっかけにフリーランスのライターをはじめたの。もう十分、時間も空いたし、あいつも諦めたって思ったら……」
「このケータイ、俺に預からせてくれないか?」
「だめ! 彰はあの男がどれだけ異常か分からないでしょ! あんな奴とのことにあなたを巻き込んだら、あなただけじゃない。会社にだって何をされるか分からない……」
考えるだけで、胸が苦しくなってしまう。大好きな人が築きあげたものを、由季の父親と関わったために、評判に傷がつくようなことになったら悔やんでも悔やみきれない。
「じゃあ、何か良い考えでもあるのか?」
「今はまだないけど、どうにか考えて……」
「俺はいつまで赤の他人なんだ?」
「え……?」
彰がため息をつく。
「俺はお前と結婚する気だって言ったよな。俺は遊びで付き合ってない。だから巻き込むって考えはやめろ。頼れよ」
彰は語気を強め、由季の右手を握っている彼の手に力がこもる。
「俺の目を見ろ」
真剣な声に、由季はっとして言われた通り、彼の目を見る。
「お前は分からないだろうな。お前にフられた時に何も聞かずにそのまま見送ったことを、俺がどれだけ後悔したか。あの時どうしてお前を引き留めて事情を聞かなかったんだって、ずっとそれが心残りになってたんだ。だからもう二度と後悔したくない。俺に任せてくれ。お前も、お前の生活も、絶対に壊させない!」
「……警察に頼るの?」
「得策じゃないな。以前の会社でのことは業務妨害と言えるが、何年も前だし、証拠もない。さっきのあの文面は脅迫だが、あの程度じゃ実刑までもっていけるかは怪しい。初犯なら確実に執行猶予だ。そうしたらお前の父親は確実に、報復するだろう。それこそ、ずっとお前は父親の影に怯えて暮らすことになる。お前にそんな地獄を味あわせるわけにはいかない」
「じゃあ、どうするの?」
「それはこれから考える。少なくともうちには優秀な弁護士や、頼りになる社長もいるからな」
「社長って……草薙友哉さん?」
「そうだ。このことについてお袋さんに連絡は?」
「とった。今のところはお母さんのところにはいってないみだいだけど」
「お袋さんのところに行くつもりだったのか?」
「……ううん。お母さんは来ても大丈夫って言ってくれたけど、今はお母さん、知り合いのところで働いてるし、迷惑はかけられない。ひとまず貯金が続く限りはネカフェとかそういうところを点々と移動して、っていう風に考えたの。フリーランスだから、すぐにどうこうなるってことはないから……」
「無茶すぎるぞ……。ひとまず必要最低限の荷物をまとめて、うちに来い。セキュリティはバッチリだし、それに俺の目も届く」
「……ありがとう」
「俺たちの関係で礼なんて言うな。当たり前のことをしてるだけなんだから」
彰が本気で心配してくれているし、なにより、頼れと言ってくれたことで、心が軽くなっていた。まだ何ひとつとして問題は解決していないというのに。もちろん一方的に何かをしてもらうわけにはいかないから、家事でも何でも、できることをこなすつもりだ。
由季は早速、行動する。キャリーケースに数日分の着替え、それから打ち合わせに使うためのリクルートスーツや私服を詰めていく。悲しいことに避難するのはすっかり手慣れていて、あっという間に必要最低限の荷造りは終えられた。
「行こう」
タクシーで彼のマンションまで向かう。到着した頃には午前五時を回り、東の空はすっかり白みはじめ、日射しが高層マンション群を照らしだす。
色々ありすぎて数日は経ったんじゃないか思ったが、あの手紙を目にしてからまだ二十四時間と経っていないことに驚く。
「彰、これから仕事だよね。うちに来たせいでちゃんと眠れてないでしょ。大丈夫?」
「今日は休みだから気を遣わなくて良い」
「休みって、平日だよ。それに彰は役員で……」
「別に休みだからって全く何もしないわけじゃない。何か用事があればすぐに連絡を入れるようにも伝えてもある。心配するな。それに、由季。今お前が考えるべきことは自分のことだけだ」
「……分かった」
それはそうだ。今は精神的にも肉体的にも無理をしているのは由季だ。そんな自分が彰を心配するのはおかしい。彰としても困るだろう。
今由季がするべきことはこれ以上、彰を困らせないこと。
「風呂に入ってスッキリしてこい」
彰は由季の頬をくすぐるように指で撫でる。
くすぐったくて、由季は目を細める。彼との優しい触れあいが嬉しかった。
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由季は彰と別れ、脱衣所に入っていった。
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