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本編~2ヶ月目~
第17話~回顧~
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~新宿・大久保~
~メゾン・リープ 203号室~
金曜日。働き始めて最初の一ヶ月と同様、僕はこの日が休みになっている。
部屋着のジャージ姿で、ベッドに横たわったまま、空中に指を滑らせてみる僕。勿論、光が走ることもなければ、風が吹くこともない。
『……ルークス、灯よ点れ』
ぽつりと、魔法の灯りを点す魔法の詠唱文句を唱えてみる。反応は、ない。
腕を力なく下ろした僕は、ごろりと寝返りを打った。飾りも何もない真っ白な壁。いつも目にするそれが、何だかひどく殺風景に見える。
シンプルなのは嫌いではない。あんまり物に執着する方ではないし、荷物が多いのは旅には不便だ。それでも、今日はなんだかこの空間が寂しい。
「冒険者ギルドの皆はどうしているだろう……連絡がつかなくなって困っていないだろうか」
そう、僕達はヴァリッサ洞窟での依頼の最中に、こちらの世界に転移してきた。当然、依頼の顛末も魔獣の強さも、ギルドに報告できていない。
こちらのスマートフォンがいかに便利で多機能とはいえ、世界を跨いで通信することは無理だろう。
僕が所持していた魔法板《タブレット》も、魔力のないこちらの世界ではただの石板でしかない。転移してきてすぐの頃に触ってみたが、起動すらしなかった。
冒険者ギルドに所属するパーティーが音信不通になるケースは、無いわけではない。依頼放棄による脱走、全滅、強制転移による長距離移動などだ。
その場合、調査隊が派遣された後に処遇が決まる。そしてその処遇は、大概がギルドからの除名だ。
除名された者はギルドから登録を抹消され、無所属となる。そうするとギルドから仕事を回してもらえなくなる上、身分証明証となるメンバーカードも没収となるため、身の証を立てるのが困難になるのだ。
勿論、全滅の末に死亡などしてしまった際には、身の証を立てるも何もあったわけではないが。
僕はベッドから起き上がり、部屋に備え付けの机の引き出しを開ける。その中には魔法板《タブレット》と一緒に、国立冒険者ギルドのメンバーカードを保管していた。
今、僕が会社で使っている、リンクス株式会社の社員証のように丈夫な素材で作られているわけではない。木製のカードは文字がところどころ欠け、四隅が丸く摩耗している。
それでも僕にとって、このカードは唯一の拠り所と言ってもいいものだった。
「父さんと母さん、姉貴……あっちにいた頃は、二度と会うもんかって思っていたけど、いざ会えなくなると、やっぱり寂しいな」
もう何年も顔を見ていない両親と姉の姿を思い浮かべながら、僕は一人呟いた。
僕はシュマル王国の南部地方にある、小さな農村の出身だ。
父は石工、母と姉は村の酒場で給仕と料理の仕事をして暮らしていた。
そのまま育っていたら、僕は父の跡を継いで石工になっていたことだろうし、事実近隣の町にある職業訓練校に通い始めるまではそうなると思っていた。
だが僕は、職業訓練校で触れた魔法の魅力に、すっかり憑りつかれてしまったのだ。
職業訓練校ではそれぞれの職業に沿った技術の習得の他に、基礎的な魔法の授業も行われていた。才能の有無や向き不向きこそあれど、魔法は生活にも深く根ざしたものだからだ。
石工を目指す僕も、硬い鉱石を加工しやすくする魔法や道具を強化する魔法を勉強していたわけだが、ある時「大地に根差した戦闘用の魔法がある」という事実に思い至る。
そこから僕はどんどん魔法に傾倒していった。石工としての技術が伸びない僕を見て、父はさぞイライラしたことだろう。
そして職業訓練校の卒業を間近に控えたある日、僕は将来の進路を巡って父と大喧嘩を繰り広げた。
いつもは僕の味方に回る母にさえも、「魔法使いとして冒険者になる」と告げた時には全力で止められたものだ。危険な仕事で、命を落とすこともあるのだからと。
何度話し合いを重ねても父と分かり合えなかった僕は、ある日家を飛び出し、村を飛び出し、長い一人旅と冒険の末に王都の冒険者ギルドに辿り着いたのだ。
家を飛び出して以来、故郷の村には一度も返っていないし、両親や姉と顔を合わせてはいない。
パーティーを組むようになって、それなりに収入や名声も得るようになって、それこそ胸を張って故郷に凱旋することも出来たはずなのに、どこかで意固地になっていたのだろう。
そんな意固地になった末のこれである。
「この世界の人達はいいよな……どれだけ距離が離れていても、それぞれ別々の国にいたって、すぐに連絡を取り合うことが出来るんだもんな」
スマートフォンをいじっていて、この世界には日本以外にもたくさんの国があって、それぞれの国にたくさんの人が住んでいることを知った。
そしてそれらの人々が、遠くの地に住む親類と電話を通じて連絡を取り合ったり、インターネットを通じて知り合ったり友達になったり、あるいは夫婦になったりしているのだそうだ。
僕も興味本位で「ついったー」や「いんすたぐらむ」に登録して、思うままに投稿しつつ知り合った人と交友を重ねている。
ちなみに意外と「異世界から転移してきた人」で「ついったー」に登録している人は多かった。この日本には特に多くやってきているらしい。
僕の元いた世界では、遠方の人間と連絡を取る手段は手紙か魔法板《タブレット》による魔導通信しかなかった。
そして手紙を送っても相手の手元にすぐ届かないし、魔法板《タブレット》は一般に流通している物ではない上に、魔法文字の知識が無いと扱えない。
だから遠方の人間とリアルタイムに繋がれるこの世界が、どことなく羨ましくもあった。
「あー……どうしよう」
何となしにスマートフォンを手に取り、「いんすたぐらむ」を起動させる。フォローしている友人が、興味を引くような写真をアップしてはいないだろうか。あるいはいいお店の情報でもいい。
そうやってタイムラインを眺めていると、一件の投稿が目に留まった。
「お?このお店……ここからそんなに遠くない、よな」
それは同じ新宿区、大久保から北側にある高田馬場にある、一軒の居酒屋についての投稿だった。
どうやら日本酒に力を入れている居酒屋らしく、様々なラベルが貼られたボトルが見て取れる。
「いいな……日本酒の勉強も兼ねて、行ってみようかな」
やはり、日本酒の勉強は実際に味わってみるのに限る。高いレベルで提供してくれるのなら尚更だ。
僕はスマートフォンを机の上に置くと、クローゼットを開けた。さすがに部屋着のジャージのままで出かけるわけにはいかない。
ついでに駅前でちょっと遊んでいこうか。そんなことを考える僕は、もうすっかりこちらの世界に馴染んでいた。
~第18話へ~
~メゾン・リープ 203号室~
金曜日。働き始めて最初の一ヶ月と同様、僕はこの日が休みになっている。
部屋着のジャージ姿で、ベッドに横たわったまま、空中に指を滑らせてみる僕。勿論、光が走ることもなければ、風が吹くこともない。
『……ルークス、灯よ点れ』
ぽつりと、魔法の灯りを点す魔法の詠唱文句を唱えてみる。反応は、ない。
腕を力なく下ろした僕は、ごろりと寝返りを打った。飾りも何もない真っ白な壁。いつも目にするそれが、何だかひどく殺風景に見える。
シンプルなのは嫌いではない。あんまり物に執着する方ではないし、荷物が多いのは旅には不便だ。それでも、今日はなんだかこの空間が寂しい。
「冒険者ギルドの皆はどうしているだろう……連絡がつかなくなって困っていないだろうか」
そう、僕達はヴァリッサ洞窟での依頼の最中に、こちらの世界に転移してきた。当然、依頼の顛末も魔獣の強さも、ギルドに報告できていない。
こちらのスマートフォンがいかに便利で多機能とはいえ、世界を跨いで通信することは無理だろう。
僕が所持していた魔法板《タブレット》も、魔力のないこちらの世界ではただの石板でしかない。転移してきてすぐの頃に触ってみたが、起動すらしなかった。
冒険者ギルドに所属するパーティーが音信不通になるケースは、無いわけではない。依頼放棄による脱走、全滅、強制転移による長距離移動などだ。
その場合、調査隊が派遣された後に処遇が決まる。そしてその処遇は、大概がギルドからの除名だ。
除名された者はギルドから登録を抹消され、無所属となる。そうするとギルドから仕事を回してもらえなくなる上、身分証明証となるメンバーカードも没収となるため、身の証を立てるのが困難になるのだ。
勿論、全滅の末に死亡などしてしまった際には、身の証を立てるも何もあったわけではないが。
僕はベッドから起き上がり、部屋に備え付けの机の引き出しを開ける。その中には魔法板《タブレット》と一緒に、国立冒険者ギルドのメンバーカードを保管していた。
今、僕が会社で使っている、リンクス株式会社の社員証のように丈夫な素材で作られているわけではない。木製のカードは文字がところどころ欠け、四隅が丸く摩耗している。
それでも僕にとって、このカードは唯一の拠り所と言ってもいいものだった。
「父さんと母さん、姉貴……あっちにいた頃は、二度と会うもんかって思っていたけど、いざ会えなくなると、やっぱり寂しいな」
もう何年も顔を見ていない両親と姉の姿を思い浮かべながら、僕は一人呟いた。
僕はシュマル王国の南部地方にある、小さな農村の出身だ。
父は石工、母と姉は村の酒場で給仕と料理の仕事をして暮らしていた。
そのまま育っていたら、僕は父の跡を継いで石工になっていたことだろうし、事実近隣の町にある職業訓練校に通い始めるまではそうなると思っていた。
だが僕は、職業訓練校で触れた魔法の魅力に、すっかり憑りつかれてしまったのだ。
職業訓練校ではそれぞれの職業に沿った技術の習得の他に、基礎的な魔法の授業も行われていた。才能の有無や向き不向きこそあれど、魔法は生活にも深く根ざしたものだからだ。
石工を目指す僕も、硬い鉱石を加工しやすくする魔法や道具を強化する魔法を勉強していたわけだが、ある時「大地に根差した戦闘用の魔法がある」という事実に思い至る。
そこから僕はどんどん魔法に傾倒していった。石工としての技術が伸びない僕を見て、父はさぞイライラしたことだろう。
そして職業訓練校の卒業を間近に控えたある日、僕は将来の進路を巡って父と大喧嘩を繰り広げた。
いつもは僕の味方に回る母にさえも、「魔法使いとして冒険者になる」と告げた時には全力で止められたものだ。危険な仕事で、命を落とすこともあるのだからと。
何度話し合いを重ねても父と分かり合えなかった僕は、ある日家を飛び出し、村を飛び出し、長い一人旅と冒険の末に王都の冒険者ギルドに辿り着いたのだ。
家を飛び出して以来、故郷の村には一度も返っていないし、両親や姉と顔を合わせてはいない。
パーティーを組むようになって、それなりに収入や名声も得るようになって、それこそ胸を張って故郷に凱旋することも出来たはずなのに、どこかで意固地になっていたのだろう。
そんな意固地になった末のこれである。
「この世界の人達はいいよな……どれだけ距離が離れていても、それぞれ別々の国にいたって、すぐに連絡を取り合うことが出来るんだもんな」
スマートフォンをいじっていて、この世界には日本以外にもたくさんの国があって、それぞれの国にたくさんの人が住んでいることを知った。
そしてそれらの人々が、遠くの地に住む親類と電話を通じて連絡を取り合ったり、インターネットを通じて知り合ったり友達になったり、あるいは夫婦になったりしているのだそうだ。
僕も興味本位で「ついったー」や「いんすたぐらむ」に登録して、思うままに投稿しつつ知り合った人と交友を重ねている。
ちなみに意外と「異世界から転移してきた人」で「ついったー」に登録している人は多かった。この日本には特に多くやってきているらしい。
僕の元いた世界では、遠方の人間と連絡を取る手段は手紙か魔法板《タブレット》による魔導通信しかなかった。
そして手紙を送っても相手の手元にすぐ届かないし、魔法板《タブレット》は一般に流通している物ではない上に、魔法文字の知識が無いと扱えない。
だから遠方の人間とリアルタイムに繋がれるこの世界が、どことなく羨ましくもあった。
「あー……どうしよう」
何となしにスマートフォンを手に取り、「いんすたぐらむ」を起動させる。フォローしている友人が、興味を引くような写真をアップしてはいないだろうか。あるいはいいお店の情報でもいい。
そうやってタイムラインを眺めていると、一件の投稿が目に留まった。
「お?このお店……ここからそんなに遠くない、よな」
それは同じ新宿区、大久保から北側にある高田馬場にある、一軒の居酒屋についての投稿だった。
どうやら日本酒に力を入れている居酒屋らしく、様々なラベルが貼られたボトルが見て取れる。
「いいな……日本酒の勉強も兼ねて、行ってみようかな」
やはり、日本酒の勉強は実際に味わってみるのに限る。高いレベルで提供してくれるのなら尚更だ。
僕はスマートフォンを机の上に置くと、クローゼットを開けた。さすがに部屋着のジャージのままで出かけるわけにはいかない。
ついでに駅前でちょっと遊んでいこうか。そんなことを考える僕は、もうすっかりこちらの世界に馴染んでいた。
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