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本編~2ヶ月目~

第37話~社長の呼出し~

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~飯田橋・新小川町~
~リンクス株式会社・本社~


 アンバス・バンフィとその家族がメゾン・リープから引っ越していった翌週の月曜日、8月27日。
 僕はリンクス株式会社の本社最上階、社長室に呼ばれていた。
 社長室なのだから、当然として社長である原田 政親はいるわけである。僕の目の前のソファーに座って。

「朝早くからすまないね、マウロ君。どうしても君に話しておかなければならないことがあったんだ」

 両手を組んでソファーの背にもたれながら、政親はそう切り出した。
 その言葉に、僕の背筋が自然とピンと伸びる。わざわざ政親が社長室にまで僕を呼び出したのだ。絶対重要な案件に決まっている。
 そう、身構えていた僕が喉をごくりと鳴らした時に、政親が口を開くと。

「アンバス君の妻子がこっちの世界に来たんだってね?」

 切り出した話題はなんとも、世間話のような他愛もない話だった。
 僕の身体が僅かに傾ぐ。
 肩からずり落ちそうになった夏用のジャケットを直しながら、僕は頷いた。

「は、はい。先週の水曜日……もう、先週中に入植の手続きも済んでいます」
「そうか……いやぁ、よかった。こちらに君達が来た時に、アンバス君に妻子がいると聞いた時から気がかりだったのでね」

 そう言って社長はにこやかな笑みを浮かべた。
 確かにそうだ、アンバスがミラセルマやラウラと再会できたこと、それそのものは非常に喜ばしい。
 だが何故か、政親の笑顔と発言に引っかかるものを感じて、小さく首を傾げる僕だ。

「社長?」
「……そう、よかったことだ。だがすまない、僕はそれと同時に、非常に安堵・・してしまっているんだ」

 僕が問いかけると、途端に俯き加減になって沈んだ表情を浮かべる政親。
 そのままぽつりぽつりと、独白のように言葉を紡ぎ始めた。

陽羽南ひばなをオープンしてからおよそ二ヶ月、マウロ君達の営業努力には本当に目を見張っている。
 入植者の雇用機会も増えた。既に二号店のオープンも間近だ。売り上げも他の基幹店舗を追随するところまで来ている。
 正直、手慰みのつもりだったんだ。君達が異世界に帰るまでの間の受け皿として、までといかずとも、当座の生活資金を賃金として支払うくらいの力添えが出来ればいいと。
 それがどうだ、もう我が社の中で陽羽南ひばなの存在がここまで大きくなってしまった」
「社長……」

 まるでシスターに懺悔する咎人のように、視線を落としたままで話し続ける政親に、思わず僕も前のめりになる。
 政親の独白は止まらない。

「いつか、君達が元の世界に帰る日が来ればいいなと、心底からそう思う。
 そう思うが、それと同時に、君達を手放したくない、我が社の社員として陽羽南ひばなの営業に力を尽くしてもらいたい、とも、心底から思っている。
 僕は卑怯者だ。君達を支援しながら、君達をこちらの世界に縛り付けようとしているんだ」
「社長……卑怯者だなんて、そんな」

 独白に自嘲が混ざり始めた政親に、思わず僕は発する声を大きくした。
 ソファーとソファーの間にローテーブルが置かれていなかったら、席を立って政親の両手を包んでいたことだろう。
 すると政親は僕の方を見て、小さく目を細めるとゆるりと頭を振った。

「ありがとう。だが、卑怯者なのは事実だ。ちょっと待っていてくれ」

 そう言うと政親はソファーを立ち上がり、執務机の方へと向かった。パソコンを操作し、部屋のプリンターから何枚かの資料を印刷している。
 その資料を手に戻ってくると、ローテーブルの上に放り出すようにして僕に開示して見せた。

「今日、君に渡すつもりでいたものだ。よく読んでくれ」

 政親が投げてよこした資料の一枚を拾い上げ、内容に目を通した僕は、文字通り目を丸くした。

「店長……!?」

 驚愕が口を突いて出る。資料の向こうで政親はゆっくりと頷いた。
 渡された資料に書かれた内容としては。



 ― 辞令

  マウロ・カマンサック 殿

  2018年9月1日付で、貴殿を 居酒屋「陽羽南ひばな」歌舞伎町店 の 店長 に任命する。

  リンクス株式会社 代表取締役社長 原田 政親 ―



 そう、書かれていた。

「勤務態度も、お客さんからの評判も良い。結果も出しているし、澄乃君からの推薦もある。勤続年数こそまだ3ヶ月だが、そこは大した問題じゃない」
「いや、だとしても、僕が店長って……てんちょ、じゃない、澄乃さんはどうなるんです!?」

 手に持った辞令をローテーブルに押し付けるようにしながら僕が両手を机につく。すると政親は僕の手の下、二枚目の資料を指さした。

「澄乃君には、来月1日に西新宿2丁目にオープンする、居酒屋「陽羽南」新宿西口店の店長として働いてもらうことになっている。
 本当は、アンバス君もそちらで働いてもらおうかと考えていたんだが、君達と一緒に働くのがいい、と、固辞されてね」

 僕はローテーブルから手を離すと、辞令の下に敷かれた資料を手に取った。
 確かに、「新宿で話題沸騰の異世界居酒屋、2号店が9/1(土)に西新宿にオープン!」と大きく書かれたチラシの下の方、店長としてしっかり「雁木 澄乃」の名前が載っている。
 店長からの一言メッセージ、なるコメントも載っていた。
 チラシを食い入るように見つめながら、手が細かく震えだす僕の耳へと、追い打ちのように政親の声が飛び込んできた。

「それと、澄乃君の穴を埋める形で、「こでまり」神楽坂店に勤務しているサレオス・ディノウ君に「陽羽南ひばな」歌舞伎町店に異動してもらうことも決まった」
「へっ!?」

 思わずチラシから顔を上げた僕に対して、政親は口角を片方持ち上げながら左手をひらりと振った。

「本人たっての希望でね。君に「こでまり」にサポートに行ってもらった後の二週間、それまでと見違えるように業務成績が良くなった。
 この働きぶりを継続できるなら、マウロさんの傍がいい、と言っていたものでね」
「そんな……それって……」

 茫然と政親の顔を見つめる僕の視線と、僕を見つめる政親の視線がぶつかり合う。
 左手を額に当てながら、僕の顔をじっと見つめながら、政親は続けた。

「……サレオス君の出自と、彼が魔力供給を必要としていることは、彼から聞いているのだろう?
 彼は悪魔だ。それも世界にその名が知れ渡る大悪魔だ。不幸な事故によってあんなことになってはいるが、ね。
 元は僕が、魔術的な逸話のある品々を探し出して、給与と一緒に渡していたんだが、最近はそれらの入手にも苦労していてね。
 マウロ君の世界の魔力・・が流用できて、君が彼に魔力供給を行えるというのなら、君の傍に居た方が彼にとってもいいだろう」

 そこまで言って、政親は額に当てていた左手をひらりと僕の方へと向けた。再び、自嘲するようにその口角が持ち上がる。

「どうだ、卑怯者だろう?
 店長という立場、サレオス君の存在、一気に二つの枷を君に嵌めてしまったわけなのだから。罵るなら、存分に僕を罵ってくれていいさ」
「社長……」

 いつの間にかチラシを手に持ったままの手を膝の上まで落としていた僕は。
 チラシをぎゅっと握りしめながら、俯いて、俯いて。

 僕が何も言えないまま、社長室を静けさが支配する。

 やがて、ぽつりと僕が口を開いた。

「……社長」
「うん?」

 いつの間にか政親も両手を自身の膝の上に置いていた。静かに僕の、次の言葉を待っている。
 意を決して、僕は顔を上げた。

「僕は、あちらの世界で冒険者でした。
 あちらでは文字通り、毎日が生きるか死ぬかの連続でした。事実、こちらの世界に転移してくる直前も、死ぬ数歩手前まで来ていました。
 あちらでは、僕の名前が相応に知られているくらいの実力者ではありましたけど……それでも、死ぬ時は死ぬ。それが日常でした」
「……うん」

 僕は胸が締め付けられるような思いがして、息が詰まるような思いがして、胸元のシャツをぐっと握りしめた。
 そのまま、想いのままに、言葉を続ける。

「それが、こちらの世界に転移してきて、死ぬどころか怪我をすることすらほとんど無くて。
 世界には魔物なんていなくて、戦争している国もあるけれど、日本は概ね平和で、街の人が楽しそうに生きていて……
 食べ物は美味しくて新鮮で、海から離れた町にも海の幸が、山から離れた町にも山の幸が届いて、食文化がものすごく発達していて。
 すごく、驚きでした。驚くと同時に、なんて居心地のいい世界だと、そう思ったんです。

 僕、帰りたくないと言ったら嘘になりますけれど、こっちの世界の日常もすごく、好きです。大好きです。
 だから、店長の仕事、お受けします。頑張ります。頑張りますので……その……」
「……そうか……ありがとう。本当にありがとう、マウロ君」

 僕の決意に、大きく何度も頷いた政親は、ローテーブルから身を乗り出して膝の上に置かれた僕の左手を、両手でぎゅっと握った。

 そのまま、もう何度目かも分からないくらいに頭を下げて来た政親に。
 僕もまた、頭を垂れて応えるのだった。


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