夫に離縁が切り出せません

えんどう

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本編

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「おはようカレン、今日も愛しているよ」

「仕事に行ってくるよ。君と一分一秒でも離れる時間が惜しいな」

「ただいま。君の姿が目に入った途端疲れなんてすぐに飛んでいってしまったよ」


 ──一体これはいつまで続くのかしら、なんて顔にも声にも出せるはずもなく。


「お帰りなさいませ旦那様。お仕事お疲れ様です」
 にこりと笑ってそう返せばパッと表情を明るくした彼が私の頰に手を添え、使用人の目も憚らずに口づけを落とす。
 もう慣れてしまったのかさして驚いた様子も見せないメイドたちに気まずい思いを抱いているのは私だけだ。
「ゼノはまだ起きているか?」
 今年一歳になった息子の名前を呼ぶ彼に心が曇る。
 私は息子と昼は同じ部屋にこそ居るけれど、とても可愛いとは思えず、そもそもあんなに小さな命を抱きかかえるのも怖くて滅多に触っていない。
 大抵の世話はメイドや乳母がしてくれるし問題はないけれど、その様子を見るたびに自分の冷たさが露わになるようで心苦しかった。
「もうお眠りになったとお聞きしました」
 隅に控えていた侍女の声に彼は少しだけ目を瞬かせ、それからすぐに笑う。
「なら顔を見るだけにしよう。今夜はカレンとゆっくり過ごす時間をくれたようだな」
「…そう、ですわね」
 今夜はもなにも、貴方ほとんど毎晩私の寝所に潜り込んでは明け方までこの身体を貪っていくでしょう。
 先月に行われた誕生祭はそれは凄まじいものだった。たかが一歳の子供のために自宅でパーティーを開き、そこには王子殿下や高位貴族までもが何十人と押しかけたのだからもう泡を吹いて倒れるかと思った。
 はいはいをすればこの子は成長が早いと喜び、つかまり立ちをすればこの子は天使だと絶賛し、初めて「パパ」と呼んだ日には泣きながら天才だ叫んでいた。
(…まぁ、あんなにも毎日この子を抱き上げて「パパ」と連呼していれば嫌でも覚えるわよね)
 私は一度も何かで呼ばれたことはない。教え込もうと思ったこともない。ただ、昼に同じ空間で暮らす間にジッとこちらを見るその目があまりにも綺麗で、つい魅入ってしまう。
「俺は幸せ者だな。今度、宰相の補佐官として出むくように言われた」
「それは…おめでとうございます」
 宰相の補佐官ということは、少なくとも次の宰相候補として考えられているのは私にも理解が出来た。彼ほどの若さでそうなるのは異例なことだろう。
「家には愛する妻と息子がこうして俺の帰りを待っている。領地も今のところ安泰以外の何者でもない」
 いえ、貴方の帰りを待ったことはありません。
(というより愛人とは別れたのかしら…?)
 この子が生まれてからは殆ど毎日帰宅しているし、休みの日は領地の管理の仕事が終わった後はずっと家でゼノと遊んでいる。
「あの、旦那様」
「なんだ?」
 それは幸せそうにこちらを振り返る夫に、やはり離縁なんて言葉は出せそうになかった。もしかすると彼女と別れてしまい状況が変わったのかもしれない。
 もしそうだとしても偽りの愛などが囁かず正直に言ってくれたらある程度の協力はするというのに。
「…いえ。何でもありません」
 あの引き出しにしまった離縁届を使う日は、まだ来そうにない。
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