夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 は親に愛されなかった。けれど、それは仕方のないもの。恵まれた環境、恵まれた生活。それらを与えてもらう代わりに引き換えたのだといつか家庭教師が言っていた。
 愛情がどうしても欲しくば、婚姻相手に求めれば良いとも言っていた。
 けれど私は要らなかった。だって、私には、家族や恋人や友人なんかよりも私のことを愛して慈しんでくれるアレクがいたから。

「ねぇアレク、貴方だけはずっと私の側にいてね」

 お稽古事で褒められて、けれど父はこちらを見向きもしなかった日。結局先生以外に褒めてくれたのはアレクだけで、私はあの時彼にそう言った。

 それが、彼をどれほど縛り、苦しめることになるかなんて露ほどにも思わずに。


***


「…で、ゼノの家庭教師はその者に任せようと思うのだが」
「……家庭教師ですか」
 相談があると言うから何かと思えば、どうやらゼノの今後についての話らしい。
「俺もその者から色んなことを教わってな。勿論、君が誰か考えているのならそちらを優先させても良いと思う」
 考えている、どころか考えたことなどかけらもなかった。
「…まだゼノは二歳になるばかりなのに、何もそんなお急ぎにならなくても宜しいのでは?」
「何を言っている、俺は二歳の時から付けられていた。君も似たようなものだろう?」
 そう言われて思い返してみるが、記憶の遥か彼方にあるのは私の家庭教師ではない。
 アレクに付けられた家庭教師の元へ散々入り浸っていた。彼らは嫌な顔一つせず、私に色んなことを教えてくれた。
 アレクが家を出た際に色々と手助けしていたことがバレてしまい身包み剥がれて追い出されたと聞いたけれど、今頃どこで何をしていらっしゃるのか。
「それに十になれば学園に通うのだ、それまでに公爵家にあるべき教養を早いうちから身に付けないとな」
「…そうですか」
 貴族の子息子女が家庭教師を付けるのは当たり前の話だし、何もおかしい事はない。ただこんなに胸がざわざわするのはどうしてだろう、なんて。そんなことは考えなくとも分かっている。
「将来この家を継ぐのだからな」
 何でもないように当たり前に放たれた言葉。そんなことは初めから分かりきったことだ。生まれる前からあの子が男であれ女であれこの家を継ぐかもしれない、それを分かった上で、離縁をするために私は産んだのではないか。
 まるで、道具のように。
 まるで、私の父のように。
 自らの子供を自らの益のための道具にしようとしたのだ。
 だから間違っている。私が口を出すことも、あの子の未来を案じることも。それでも。
「あの子が、家を継ぎたくないと言ったら、旦那様はどうなさるんですか」
 何を馬鹿なことをと罵られる覚悟で言ったけれど、彼はパチパチと瞬きをした後に笑った。
「それは仕方のないことだろう、俺だって可愛い息子にこんな重荷を強要したくはない。それに兄弟が継ぐのも無い話ではないだろう」
「…兄弟?」
「あぁ、すまない。俺はやっぱり君との子が可愛くてな、今度は君にそっくりな娘が居たらどんなに幸せだろうと考えていたんだ、勿論無理強いはしない。以前命の危険に晒されたし、俺としても君をそんな危険には晒したくないから、夢物語だろうが」
 愛する妻と沢山の子供と食卓を囲むのが夢だったんだ、なんて笑うこの人に、私はまたうるさいほどに胸が鳴っていて。
「ではゼノが、公爵家を継がずに商人をやりたいと言い出せばどうなさるのです」
「勿論応援するさ、それなりのリスクを話し合った上でな」
「では貴族でない女性を正妻にすると言ったら?」
「それも応援する、愛する人が家にいる幸せを俺は知っているからな」
「では結婚はしないし公爵家も継がないと言ったら、」
「それも応援する。俺は息子をこの家の駒にする気は一切ない」
「世間がそれを許しはしませんわ」
「そのための親だろう?」
 当たり前のように平然と言ってのけた彼が、彼のような人が、私やアレクの父親だったなら。
「…おかしな人」
 あぁもう、おかしい。色んな感情が胸を騒がせるけれど、今はもうどうでもよくなって、笑ってしまった。
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