夫に離縁が切り出せません

えんどう

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本編

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「奥様、お手紙が届いております」
 そう言って渡された無地の封筒に私は困惑していた。アレクから旅に出るなんて話はこの間会った時にも聞いていないし、何かあったのだろうかと不安になりながらそれを受け取る。
「…ありがとう」
 出来るだけいつもと同じよう冷静に手に取り、私は何でもないように部屋へ戻ろうとした時だ。
「あ、奥様!こちらも奥様宛のお手紙でございます!」
 受け取る様子を見ていたらしいメイドが慌てて駆けてくる。その手に持たれたのは、見覚えのある深い青色の封筒。
「……」
 どうしよう、受け取りたくない。瞬時にそう思ってしまったけれど、そんなこと言えるはずがない。
「ありがとう」
 少しばかり硬い表情で受け取ったその手紙の重さったらない。差出人を見て、真っ先に思い付いたのは父への罵倒の言葉だった。
「奥様?」
 様子がおかしいことに気付いたのだろう、微動だにしない私に心配そうな視線を送ってくれるメイドに笑って首を振る。
「何でもないわよ。少し部屋にいるから、何かあったら呼びに来てちょうだい」
「承知致しました」
 早々に部屋へ戻った私は、まず無地の封筒を開けた。その中に入っていたものは──。
「…なにも、入っていない…」
 ドクンドクンと心臓がうるさいほどに鳴る。息が詰まりそうな感覚に何とか耐えながら、私は青い封筒の封を開ける。分厚い紙の、重みのあるそれ。
「っあぁ、もう、本当に…!」
 パッと見て中にこんなものが入っていたなんて、全く分からなかった。出てきた、これもやはり見覚えのある鍵。
 それは紛れもなくアレクの家の鍵だった。親鍵と、普段彼が旅に出る際に私に送られてくる合鍵。
 中に一枚だけ入った便箋には、私の嫌いな香水の香りも混じっていた。
「…『お前のおかげで見つけられたことには感謝しよう。だが、二度と息子に会うな』…?…はっ、馬鹿じゃないの…!?」
 いつしか見た、青い便箋。それは紛れもなく、アレクの実父であるおじ様からのものだった。


 いつか、アレクが笑いながら言ったことがある。
「俺が親父殿に捕まったらどうする?」
 いつもなら私も適当に流したのだろうけれど、彼があまりに真剣な顔をしたのと、家を出てから初めて出た『親父殿』というワードに私は驚きを隠せず、本心を隠すこともせず答えてしまった。
「貴方を助けるわ。万事、貴方の望むままに」
 恥ずかしいセリフだったと思う。けれど彼は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
「俺に何かあればきっとお前にも迷惑をかけるだろうな」
「そんなこと」
「昨日考えていたんだ。俺がお前のために残せるもの」
「…ねぇ、縁起でもないことを言わないで」
「ずっと未来さきことだ。親父殿に引き戻されることもあるかもしれない、旅先で不慮の事故で死ぬかもしれない、寿命で死んでも俺はきっとお前より先に死ぬ」
「アレク」
「恐い顔をするなよ。まぁ、俺は考えていたわけだ。それで考え付いたわけ、この部屋を丸ごとお前にあげようって」
 実家にいた頃彼から奪われた大切な宝物が沢山詰まった部屋。ガラクタのように見えて、彼からすれば一つ一つが宝物だった。
「だから俺に何かあれば、どういう形でもお前にこの部屋の鍵を送る。その時はお前がこの部屋を好きにしていい。物を捨てても、壊しても、何をしても。万事、お前の望みのままに」
 先ほどの私の言葉を返した彼はきっと悟っていた。いつか父親が自分の居場所を突き止めることを。
「──なら、貴方がここへ戻りたい時はどうするの?無理やり、誰かにここから離されたとして」
「そうだなぁ。その時はお前に助けてもらおうか」
「なら昔のように恥ずかしがっていないで私に声をかけるべきよ。もう、勝手にいなくなるなんて許さないわ」
 あの日のように突然と彼が消えた、あんな苦しみは二度と味わいたくはない。アレクは私にとって、大切な人で、兄のような人で、優しい人で、面白い人で、弱い人で、けれども強がる人。そして私にとって、誰よりも家族でいてくれて、私のことを大切にしてくれていた人。
 私を大切にするあまりに自分を傷付けるのは、もう、やめて欲しかった。
「お前に迷惑がかかるかもしれないぞ」
「女は時に、守られるよりも守りたい時だってあるわ」
「…強いなぁ、なかなか、思ってたより」
「もう子供じゃないもの」
 そうだな、と返した彼は、俯いたまま笑った声を出した。
 けれどそれは、彼が泣いている時の仕草だ。昔から涙を悟らせないように顔を伏せ、無理に笑い声を作る。
「アレク」
「そうだな、じゃあ、お前に助けて欲しい時、俺はお前に言おう」
「…そうして頂戴」
「最も、お前に届くか分からんが」
「そんなのその自慢の頭をお使いなさい」
「手厳しい。そうだな……じゃあ、いつも通りの封筒を空っぽで届けるよ。けど、お前に迷惑をかけたいわけじゃないからな。面倒なことだったら無視しろ、俺はお前を…」
「はいはい、分かったわよ」


 脅しのために勘当を見せかけて、実際に家を出たら怒りに狂って私を散々罵倒して、そのくせ手紙には息子だなんて。
 遠い日の記憶を思い返して私は青い手紙をぐしゃりと握った。
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