夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 ふわふわと身体の浮くような感覚に少しずつ意識が引き戻される。
「こんなところで寝て、風邪を引くぞ」
 耳に届いた声にぼんやりと、あぁまた迷惑をかけてしまった、と思った。
 私の身体を持ち上げて、それから柔らかい寝台の上へと置かれる。掛けられた布の感覚に少しばかり目を開けば、その人はもう部屋を出ようとした。
 その様子がいつかの彼と被って、私は咄嗟に声を上げる。
「アレク、行かないで」
 大きな温かい手が、おもむろに私のまぶたの上へと置かれた。私はまた、意識が離れていくのを感じた。



 夫がブラックリード伯爵邸へ行くと言っていた日、私は気が気でなかった。
 そわそわと待ち続けていた私にゼノの乳母が訝しんで声をかけてくる。
「奥様、何か御用がありましたら何なりと」
「…旦那様はまだお帰りにならないのよね?」
「今夜は遅くなると仰っておられましたが」
 今朝の食事の席で言っていたその言葉はカレンも聞いていた。
 会う約束を取り付ける際に随分と嫌な顔をされたと苦笑していたけれど、一体どうなっただろうか。
 そんなことを考えているとメイドが部屋へ駆けてきた。
「奥様、今──」
「すぐに行くわ」
「えっ」
 メイドの姿に、勝手に夫が帰ってきたのだと言葉を遮った私は部屋を出て、早足に玄関へと向かった。
 出来れば何度か屋敷に出入り出来るようになるのがベストだけれど、どちらにせよ話を聞かねば分からない。
「奥様!」
 玄関へ来た私はいつもと違う騒がしさに目を細め──それから息を飲んだ。
「…どうして…アレクが…」
「奥様、お知り合いにございますか?こちらの方が押しかけるなり玄関で倒れられて」
 どういたしますか、と指示を待つメイドも戸惑った顔を浮かべている。だって、そこに転がる彼は、沢山怪我をしていたから。
「アレク、しっかりして!」
 身体を揺すればダラリと垂れてきた彼の血が私の手にベッタリとついた。気がおかしくなりそうだと思ったカレンを止めたのは、なんとシークだった。
 今しがた帰ってきた彼は屋敷の惨状に顔を引きつらせたが、屋敷の主人として己の取るべき行動をすぐに取った。
「揺するな。倒れた時に頭を打っているかもしれない、それに出血が多い。すぐに医者を呼べ!」
 はい、と頭を下げた執事が廊下を駆けていく。
 迷わず応急処置を施したシークに、カレンは涙で視界が滲んでよく見えなかった。

 アレクの身体は二ヶ所の骨折、十数ヶ所の打撲、そして何かで斬られたような深い切り傷が数本。切り傷があまりにも酷く、化膿すれば熱に苦しむことになるだろうというのが医師の見立てだった。

「今日、この男をブラックリード伯爵邸で見かけた」
「…旦那様」
「もういい加減に話してくれないか。この男は、君のなんなんだ」
 何を思ってこの屋敷に足を踏み入れた、なんて。
 そんなこと分かったら、こんな気持ちになることなんてありはしないのに。
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