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本編
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しおりを挟む「シーク・ラストハートだ」
その言葉以降彼は特に話すこともなく、ただひたすらカレンが一人で話しているだけの初めての顔合わせの日。
正直、家のことがあるからといっても良い噂も無かっただろうこんな私と縁談を組もうとしているなんてよっぽどの理由があるのだろうと思った。
本当に誰でも良かった。アレクが居なくなって、誰でも良いから早く結婚して、嫌な思い出の詰まったあの家を出て、そして大嫌いな歳下の幼馴染みに幸せを取り繕って見せてやろうと思っていた。
ただ初めてがあれだったから、きっと縁談は流れるだろうと思っていたのだ。
そのまま話を進めることになったと父から聞いた時、きっと私は間抜けな顔をしていただろうと今でも思う。
一つだけ分かっていたのは、きっと私は人を愛せはしないのだということ。
アレクと二人で小さな世界に閉じこもっていた私は、もう誰かに心を開く方法なんて、知らなかったから。
***
「お互いたった一人の味方だと思っていたアレクが私のせいで縛られてあんな風になったこと、自分が許せませんでした。一方的に守られていたことにも気付かず、本当は私しかあの人を必要としていなかったのに」
今まで吐き出したことのなかった思いはまるで毒のように喉の奥を熱くさせた。
「私は旦那様が思うよりもずっと最低な人間です。ステューが悪いわけでないことは分かっていたのに、たった一人、親から愛情を注がれた彼が羨ましくて、妬ましくて、そうしてそんな一方的な思いをあんな風に返して」
ずっと後悔していた。けれど意地を張って謝ることも出来ず、彼は私が言った通り望んだ通りにあれから一度たりともこの目の前に姿を見せたことはない。
自分がしたことなのに、言ったことなのに、私は。
「貴方と結婚したことを、再会した彼に言った時、彼は本当に私が望んだ結婚なのかと聞きました。それに私はアレクのように自由になる為に必要なことだと、返しました」
政略的なものだと分かっていて、言葉を交わしてくれないのに恐ろしいほどに優しく私を抱いた夫の心を汲もうともせず。
「旦那様にどうして言葉を返してくれないのかと尋ねようとしたことはありました。けれど、私は卑怯者だから」
決してあの日のステューの顔を忘れたことはない。心ない言葉で罵った私に、彼の瞳が揺れて。
「万が一にでも傷付く言葉が返ってくることを恐れて、私は人を傷付けることになんの躊躇いも無かったのに、自分の保身ばかりを考えて」
ようやく抜け出したその先で幸せになれるとは思っていなかった。ただ、私のことを愛してくれる人がいなくとも、この狭い貴族という枠組みの中から出ることが出来るならば。
「貴方と愛し合ってなどいないと、アレクに言いました。この家で心休まることもないと言えば、彼は合鍵をくれました。私は、好きなことをして好きなものを集めて好きな場所に行って好きなものを食べる、そんなアレクが羨ましくて、いつか連れて行ってくれと懇願したら」
そうしたら彼は言ったのだ。なんでもないようにさらりと、当たり前のように。
「私が全てを捨てることが出来たら、一緒に行こうって」
家も、夫も、名前も、地位も、プライドも、何もかも。
「彼から土産話を聞くたびに見たことのない場所へ行く自分を想像しては、貴方を疎ましく思いました。貴方の帰りが遅い時、早く愛人と子供でも作ってくれないかと願いました」
目の前で静かに聞いていたシークは表情を少しも変えることなくこちらを見つめている。
「子供が、ゼノが生まれた時、ようやく解放されると思いました。後継を産んだからもう自分の人生を歩んで良いだろう、旦那様に離縁してもらって、アレクと二人で新しい人生を歩こうと。結局いつまで経っても私はこの人に依存して、頼ることしか出来ない。それでもこの人がそれを良しとしてくれたから、甘えて」
それがどんなに危険なことか分かっていた。アレクと誰よりも親しかった私が彼に会い続けることは、叔父に見つけてくれと言っているようなものだと分かっていて。
「私には彼以外に、居場所が無かったから。今更どうして、他の人を愛したら良いのか分からずに、今までずっと」
アレクのことを愛していたのだと思う。例えそれが執着に近いものでも、それが恋だ愛だの情と相違はなかっただろう。
「けれど、目が覚めたら貴方が泣きながら私の手を握っていて」
十月十日、腹の中の命を気持ち悪いとさえ思った。私のこれからのための道具だとすら認識していた。なのに、私の命を削ってまで生まれたそれのせいで、嫌でも認識せざるを得なくなった。
「息子を喜んでいる貴方に、初めてこんな私を愛していると言ってくれた貴方に、どうしても離縁なんて切り出せなかったんです」
それが今までの私の全てだ。きっと側から聞けば大したことない、ただ親に愛されなかった女の半生。それでもそれが私の人生で、私の全て。
「──初めから貴方のこともゼノのことも、全て自由になるための道具だとしか思っていなかった。この人への償いも未だに終わらせることが出来ない、そんな私を、貴方はそれでも愛していると仰って下さいますか」
きっと醜い笑顔だっただろう。涙で視界はぐちゃぐちゃだし、夫の顔だってよく見えない。
「俺が、愛していると言ったから、離縁を切り出せなかったんだろう。ほんの少しでもそれを壊したくないと思ってくれたんじゃないのか」
「旦那様」
「君がこの男を想う数万分の一でも、それを俺に向けてくれると言うのなら、都合良く使われたって君の側に居たいと願っている。心の底から愛している、君だけを、ずっと。だからいつか君が俺と結婚して良かったと思うことがたった一度でもあれば、それは俺にとって何よりも幸せなことだ」
だから側に居てくれないかと、そう抱き締めてくれた彼を、まさか振り解けるはずなど無かった。
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