夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 子供のように泣いて眠りについた後、目が覚めた私はぼうっとした頭でふらりと部屋を出た。
「奥様!お目覚めになられたのですね、ご気分は」
「大丈夫よ、それより旦那様は…」
 声をかけてきたメイドに尋ねるとやや困ったような顔をしてから彼女は目を伏せて答えた。
「少しお出かけになると仰って、まだ帰宅なさっておりません。客室にはあの御仁がもうお目覚めになられたとかで、もし奥様が起きられたら伝えるようにと言付かっております」
「…そう。ありがとう」
 頭は妙に冴えてきたのにぐわんと殴られたような痛みを感じて眉を寄せる。
「奥様、本当に大丈夫ですか?」
 心配そうなメイドの瞳が揺れている。この家に嫁いでから何度か意識を失うことはあったけれど、きっとその度に迷惑と心配をかけていただろうことに今まで全く気付かなかった。
「…本当に大丈夫よ。ありがとう」
 自分の実家である屋敷にも、自分を案じてくれる人はいた。それにまともに目を向けなかったのは彼らが使用人と主と線引きしていると思い込んでいたからだ。本当に線引きしていたのは自分の方だというのに。
 もしあの頃の自分がアレク以外の他人に甘えることが出来たら今頃なにか違ったのだろうか。
 そんな考えても仕方のないことを、ふと思った。



「貴方は本当に人を驚かせることも心配させることも得意ね」
 客間の扉をノックもせずに開けば、包帯をぐるぐる巻かれたアレクは呑気にベッドの上で本を読んでいた。
「よう。倒れたって聞いたから心配したぜ、元気そうで何より」
「その割には私の様子も見にこなかったようだけれど」
 至って普通に話せている。そんな当たり前のことにホッとするのは、あの顔色を失って倒れていた彼を見たせいだろう。息も浅かったのか全く耳に届かなくて、目の前が真っ暗になったのを感じた。
「遠慮したんだって。ほら、あの旦那、お前のことすげぇ好きみたいだし。寝顔とか見られたくないんだろうなーってこれでも気遣ったんだぜ?」
 むしろ褒めてくれよと口を尖らせるアレクの頬に触れる。細やかな切り傷は瘡蓋になっているけれど見ていて痛ましい。
「…何があったの?どうして、こんな傷をこさえて」
 かつて生傷の絶えなかった彼の身体を見て見ぬふりしたことが未だに悔やまれてならない。心のどこかで自分にはどうしようもないことだと言い聞かせて、けれど本当は面倒ごとから逃げていただけ。
 へらりと笑ったアレクが揺れた瞳をこちらに向ける。
「お前に迷惑だけはかけないって決めてたのに、結局、行くところなんてお前のところ以外に無かった。…迷惑かけて悪かった」
「そんな言葉が聞きたいんじゃないわ、私が知りたいのはその傷を誰に付けられたか…」
「お前はそれを聞いたら罪悪感から俺を守ろうとまた躍起になるんだろ?」
 困ったように眉尻を下げた彼はゆっくりと息を吐きながら、まるで台本でも読むようにスラスラと口にした。
「俺は大丈夫だ。少し怪我が多かったから面倒をかけたが、歩けるようになったらすぐにここを出て二度と目の前に現れない。お前が過去のことをあの旦那に話したってことはそれなりに信用してるんだろう、お前が幸せそうで良かったよ。俺もこれで安心して国を離れることが出来る」
「──うそつき」
 子供のように短く返したその言葉に彼は眉を寄せてこちらを見る。
「なにが嘘だって言うんだ」
「そんなこと思っていないくせに。貴方は昔から嘘をつくとき、一度大きなため息をつくのよ」
「…そんなこと」
「そうして嘘をつくときは必ず、私の為を思ったときだわ」
「カレン」
「けれど覚えておいて、ずっと言いたくても言えなかったこと。貴方が私の為を思ってくれるのは嬉しいわ、私にとって貴方は」
 幼馴染で、従兄で、生まれた時から近くにいた元婚約者。けれどそれ以前にもっと大きくて、世俗的な存在。
「たった一人の、家族だと思っているのよ」
 絶対的に不可侵な、覆ることのない存在。
 父親はいる。けれど家族だなんて今更思えないし、過去に一度も思ったことはない。血の繋がりがあるのは分かる。けれどそれだけで家族だなんて、どうして言えるだろう。
「貴方が思っているより私は強いし、貴方がそうして優しさを見せるたびに私は自分が弱いと思い知るの。貴方が私の為を思ったからって、それが本当に私の為になるかどうか分かる?」
 知らない間に守られて、絶対的に必要としたのは私ばかり。
「私だって貴方に必要とされたいの、貴方を大切だから、貴方のことを守りたいの!!」
 どうして分かってくれないのだなんて、そんなのは愚問だろう。口にしたこともなかった。口にしなくて良いほど、私にとっては当たり前のことだったから。
「少しは、私を頼ってくれてもいいじゃない…!」
 親に愛されず、お互いだけを見て育った、家族。
 そんな人が苦しんで傷付いたとき、一度は見て見ぬ振りをした私と、それを容認したこの人。
「もう見て見ぬ振りは嫌なのよ!貴方が、傷つくのは、もう」
 嫌なのよ、と。掠れた声が喉で詰まって涙がこぼれ落ちる。私が泣いて許される理由なんてない。分かっていても涙が止まらなかった。
「──お前を泣かせたいわけじゃない、…ごめん、でも、俺はお前のことをずっと頼ってただろ」
「どこがよ!!」
「頼ったから、ここまで来た。お前に迷惑をかけるのを分かっていてここに来たのに、これのどこが頼ってないと思うんだよ。俺だってお前のことは大切だ。だから他所で幸せになってくれるなら、それほどいいことは無かった。お前から離れて、全部俺だけが我慢すればどうにかなるって思ったのに」
 なのに、と彼が仕方なさそうに笑って私の頭を撫でる。
「お前の旦那がうちの屋敷に来たおかげで警備も手薄になって逃げれたんだぜ?十分助けてもらってるんだよ、俺は」
 だからそんな顔をするなと笑みを浮かべて小首を傾げた彼の表情は、作ったものでない、いつかのように、綺麗な笑顔だった。
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