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第3話 そして戦慄の夜が訪れる①

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「聞きました? ミス・ペルツェ―リウスのその後の話」
「ご実家に帰られたのでは無くて?」
「ワタクシも聞きましたわその噂。旧知の騎士の方と駆け落ちされたとか……」
「ええっ、では殿下のことは?」
「元よりお家の決めた婚約。その身分違いの騎士とは涙ながらに別れられたのよ」
「では今回のことを機に、二人はまた結ばれて? きゃー、女の浪漫ですわぁ」
「『婚約を破棄されたのならもう遠慮することは無い』って言われたんですって!」
「キャー! キャーッ!」



「くそくそくそっ! バカ女どもが!」

 昼間に学院内で耳にした噂を思い出し、スヴェンは一人で勝手に腹を立てた。

「少しはアンを見習えっ! 下らない噂ばかり流しやがって!」

 あれ以来スヴェンを始めとした『アン女王一派』は学院での立場が無い――陰でそんな不名誉なあだ名を付けられるぐらいには。
 アンは人の恋人を寝取った悪女扱いだし、スヴェン達男連中は『アン女王』の色香に惑わされた愚かな情夫扱い。
 そしてヨハンナは好きでも無い男に嫁がされそうになった挙句、馬鹿王子の遊びで捨てられた可哀そうなヒロインである。

「何もかも嘘っぱちじゃないか!」

 学院内では気丈に振舞い、自分たちの前でだけ涙を見せたいじらしいアンを思い起こせばスヴェンには怒りの感情しか湧いてこなかった。

「すぐに外に男を作るなんて、淫蕩はアイツの方じゃないか! いや、もっと前から浮気してたのか! 何て破廉恥な女なんだッ!」

 何より許せないのは、噂で自分が馬鹿王子扱いされていることだ。

 男爵令嬢程度の女に手玉に取られたその他大勢の一人。
 それだけでなく、婚約者の心が自分の元に無いことも知らず、勝手に「嫉妬だ」何だと得意顔でイジメぬいた男。

 ――まるで道化では無いか。

を怒らせたらどうなるか、覚悟しておけよっ!」

 怒りをぶつける者もいないのに、スヴェンは虚空に向かって吠えた。
 これがこの男の正体である。
 父王やその他大人たちの前ではの振る舞いをするが、一皮むけば年に不釣り合いな子供の癇癪を見せる。
 それも今回の一件で周囲に露呈し始め、評価を下げる一端だった。

「王子、外までお声が聞こえています」
「うるさいっ! それをどうにかするのがお前たちの仕事だろう!」

 部屋に忠告にやって来たメイドのベリトにスヴェンはツボを投げつけたながら罵声を浴びせかけた。
 ベリトはそれを見もしないで最小限の身のこなしだけでひょいとよける。
 もう慣れたものだ。

 ベリトは本来王宮に仕えるメイドだが、今はこうして学院の寮に用意されたスヴェンの自室付きのメイドとして仕事をしている。

 学院では学生間の様々なトラブルを避ける為、通常身分を理由とした特別扱いはしない。
 ただスヴェンは「高貴な身分の正当な権利」としてその特別扱いを欲した。
 他の生徒たちより広い部屋、豪奢な調度品、専用のメイドもその一つである。

「ああ、またこのように部屋を散らかして……」

 ベリトはため息を隠そうともしない。
 スヴェンがこうして癇癪を起して物に当たるのはいつものことで、それを厭うて他のメイドはスヴェンの世話を嫌がる。

「うるさい! 首にするぞ!」

 そう言われても、実際はいくら辞表を出してもベリト以外にこの仕事が務まる者がいないというのが実情だった。

「大体、お前だって夜中うるさいじゃないか! 仕事だってちゃんとしないし!」
「……何のことです?」
「し、しらばっくれるのか!」

 自身の仕事をけなされたベリトはすっと目を細めた。
 しかしスヴェンはよほど自分の主張に自信があるのか、怯みつつも言を翻したりはしなかった。

「隣の部屋から壁を引っかいたり、廊下でクスクス笑ったり!」

 そう言ってスヴェンは壁の方を指さす。
 ベリトはただ首を捻った。

「王子、そちらの壁の向こうは物置ですよ」
「……何?」
「夜も警備の者が廊下を巡回しています。忍び笑いをする妙な女など居るわけが……」
「ぼ、僕が嘘をついてると言うのかっ!?」
「ありえないことだと申し上げているのです。そう言えば昨日は他にも妙なことでお怒りでしたね?」

 そうベリトに促されて、スヴェンはこの部屋で起きた思いつく限りの『妙な事』を上げていった。

 いつの間にかベッドが濡れていた、誰もいない部屋に入ると手鞠が向こうから転がってきた、夜食のパイから大量の女の髪が出てきた……。

 そうしてひとしきり聞いた後、ベリトは神妙な面持ちになっていた。

「……ヨハンナ嬢とのご婚約、やはりなさるべきだったのではありませんか?」

 返ってきたのはそんなどこかズレた答え。

「貴様、何だ女中の分際で! 僭越だぞ!」
「しかし御身に降りかかった凶事を考えますと……」
「何で僕の部屋で起きたことで婚約の話になるんだよ!」
「陛下からお聞きになっておられないのですか?」

 ベリトは心底驚いたように大きく目を見開いた。

「……何だ、その反応。さてはお前何か知っているのかっ!」
「ワタクシの口からは何とも」

 そしてそれっきり口を閉ざす。
 スヴェンがその後幾ら怒鳴りつけ、脅しつけても無駄だった。
 「王の口からきくように」――ベリトはその一点張りで押し通すと、ベッドメイクを手早く済ませてさっさと部屋を出て行ってしまう。

「何だっていうんだ。一体……」

 得体の知れない寒気に、スヴェンはブルリと身を振るわせた。
 こういう時はさっさとシャワーを浴びて寝てしまうに限る。

 向かう先は部屋に併設してある浴室。

「まったく、仮にも高貴な王族にこのようなみすぼらしい部屋を割り当てるとは学院もどうかしてるよ」

 他の生徒の自室の5倍はある浴室でスヴェンは服を脱ぎながら愚痴を吐き続けた。

 そしてコックを捻ると、温い水が出てくる。

「くそっ、何だ壊れてるじゃないか! シャワーまで僕の事をバカにするのか!」

 そしてガンガンとコックを殴ると、更に温かみを増した液体がドロリと垂れ堕ちてきた。

「うわぁッ!」

 思わずスヴェンがシャワーから飛びのくと、その液体は十秒ほど床を穢してから漏れ出るのを止めた。
 一体何なのかも分からない。
 虹色に鈍く輝くタールのようなもので、ヌチャリと粘着質な音を立てて壁から垂れ堕ちている。
 そしてほんのりと生臭い。
 魚と錆びた金物を混ぜ合わせて放置したような匂いだ。
 何だか分からないが、碌なものではあるまい。

「く、くそ! もう寝るっ!」

 逃げるように裸のままスヴェンは駆け出した。
 
 ――だが目指す先のベッドにも、異変。

 中央がこんもりと盛りあがっているのである。
 先ほどベリトがベッドメイクをしたばかりであるはずなのに。
 誰かが部屋に入った音などしなかったのに。

「だ、誰かいるのか?」

 問うても答えは無い。
 それがかえって不気味だった。
 
 ややあって、スヴェンは意を決してショーツの端に手を掛ける。
 恐れが消えたのではない。
 ただなぜかそうせずには、中を確かめずには居られなかったのだ。

「――ッッッ!!」

 そして中にあるものと



 全裸で床に眠るスヴェンが発見されたのは、次の日の昼のことだった。 
 授業に出てこないスヴェンを心配して担任が訪ねてきたのだ。
 その時の様子を、彼は後にこう語る。

「まるで地獄から命からがら逃げだしてきたみたいだったよ」

 スヴェンの髪は所々無残に抜け落ち、その頬は死人のように青白くこけていたという。
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