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番外編 逃がさないけどね ~一ノ瀬君side~ その6

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彼女が臆病だなんて事は百も承知だ。
だからこそ、俺は今まで焦らず、一定の距離を保って見守ってきた。これからもそうしていくつもりだった。
けれど、こんなふうにあちこちから伏兵が現れたら、そんな余裕なんてなくなってしまう。彼女を何処かに閉じ込めて、誰の目にも触れさせないよう隠したくなってしまう。
元々、彼女の事に関してだけは、余裕なんてこれっぽっちもないのだから。

早く俺を受け入れてくれ!そう強く願うばかりに、勝手に言葉が口から溢れ出た。自分で発した言葉なのに、まるで他人が発した言葉のように感じた。


彼女は顔を歪めて、意を決したように口を開いた。

「…確かに私、一ノ瀬君の事が好きだよ。一ノ瀬君はいつもちゃんと気持ちを伝えてくれるから。私はすごく愛されてるんだなって安心するの。きっと人生の中で、今が一番幸せなんだと思う。けど…けどね。一ノ瀬君が抱いてるのは、きっと恋愛感情なんかじゃないのよ。飽くまでも刷り込みのようなものであって、思い違いだって気付く日がきっと…」

……刷り込みって何だ?インプリンティングの事か?俺はヒヨコじゃないぞ?
反射的にその言葉の意味を尋ねると、彼女は押し黙り、深呼吸を繰り返した。

「卵から孵った雛が最初に見たものを親だと思い込むのと一緒。一ノ瀬君は、社会人になりたてで不安だった時に、親身になってくれた相手を好きだと思い込んでしまっているのよ。『親愛の情』と『恋愛感情』を混同してるの。いつかそれに気付く時が来るわ。その時が来たら、私は貴方を解放してあげなければならないから…だから…」


そんなふうに思われていたのかと酷く腹が立った。
付き合っている事を秘密にして欲しいと言い出した時も、彼女は同じような事を言っていた。俺はそれが不満で仕方がなかった。だが、俺が気持ちを伝え続ければ、そのうち乗り越えてくれると思っていた。それなのに…。
 
俺が新入社員だった頃、彼女が俺の教育係トレーナーがだったのは事実だ。その事実を今更変える事など出来ない。
だが、後ひと月もすれば、俺が入社して丸三年が経つ。彼女が言うところの『社会人として一人前』になるのだ。三年経てば、彼女に一人前の男として認めて貰える。そう信じて今まで我武者羅に頑張ってきた。それなのに。結局、俺はいつまでたっても一人前だと認めてもらえないという事なのか?


臆病で寂しがり屋の彼女が不安にならないよう。俺は今まで出来得る限り、自分の愛情おもいを伝えてきたつもりだった。
それなのに、いつまでたっても彼女は不安なまま。俺の気持ちを信用してはくれない。

俺の努力が足りなかった?信用するに値しなかった?
例えば彼女が言うように、俺の想いに別の感情が混ざっていたとして、それの何が悪いのか。

彼女の言葉はどれも、俺の想いや努力を否定するものばかりで、これ以上聞きたくはなかった。
だから俺は、敢えて被せるように否定の言葉を口にして、虚無感を打ち消すように彼女を強く抱き締めた。


暫くそうしていると、自分の肩が湿り気を帯び始めた。力を緩めて覗きこむと、彼女は静かに泣いていた。

「……一ノ瀬君には、私なんかよりももっと相応しい子がいるわ。こんなに格好良くて、優しくて、将来有望なんだもの。私みたいな何の取り柄もない年増なんかじゃなくて。もっと若くて可愛い子と一緒になった方がきっと幸せになれる。……これ以上、一ノ瀬君の事を好きになってから別れを切り出されたら。私は二度と立ち直れない気がするの。だから…今のうちに別れて?」

彼女はとても苦し気に、薄い肩を震わせ、泣いていた。その儚い様が彼女の苦悩を鮮明に映し出しているようで、俺の胸を締め付けた。


少し急ぎ過ぎたのかも知れない。俺の余裕のなさが彼女をここまで追い詰めたのだと自らを省みた。俺なりに彼女のペースに合わせてきたつもりでいたけれど、きっとそれでも彼女には早過ぎたのだ。
彼女の負った心の傷が瘡蓋《かさぶた》となって自然に剝がれ落ちるまで、決して急かす事なく、黙って見守り続ける事ができる心の余裕と胆力が俺には必要だったというのに。


「……分かりました。それが貴女の望みならば、少し距離をあけましょう」

今の俺ではダメだ。もっと成長しないとダメだ。俺は胸に渦巻く感情を全て押し殺し、彼女と距離をあける覚悟をした。
俺の言葉を聞いた彼女は、何故か顔をクシャリと歪ませた。そして、急いで荷物を拾い上げ、そのまま走り去ろうとした。だが俺は反射的に彼女の腕を掴んで引き留めた。

「もう12時回ってますし、女性が一人で出歩くには危険過ぎます。嫌かも知れませんが、今夜はこのまま俺の部屋に泊まっていってください。俺が出て行きます」

このまま俺がここにいたら、きっと彼女は意地でも帰ろうとするだろう。だが、こんな時間に独りで帰らせるわけにはいかない。だから俺は、そう言って自分の上着を掴み、部屋を後にしたのだ。

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