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第二章 田舎娘とお猫様の初めての都会
田舎娘は、騎士と思っていた男と話をする
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ガルさんにエスコートされて応接室に到着した私は今、ふかふかのソファに腰を下ろしている。このソファはポータルに設置されていたソファに勝るとも劣らない極上の座り心地で、私の肉体的・精神的疲労を癒やしてくれた。
マロンはまた袋に逆戻りしてもらった。もしもここで出したら、このソファを『人も座れる爪研ぎ』に変えてしまうかもしれないからだ。私の財力では弁償なんて当然無理なので、マロンには申し訳ないけれど、もうしばらく我慢してもらうほかない。
マロンに何度もごめんねと謝ってから、はふ、と一息つくと、私の向かいに座ったガルさんが微笑む。それからおもむろに「さて」と口を開いた。
「何からお話ししましょうか……そうですね、まずは私の正体からお伝えします」
ガルさんは居住まいを正すと、私をまっすぐに見つめてくる。その真摯な眼差しからは、彼の真面目な人柄がひしひしと伝わってきた。
私は少しだけ緩んでいた気を引き締めると、ガルさんの話を聞くために背筋を伸ばす。こうするだけで、これから聞かされるであろうとんでもない話を受け止める覚悟ができるというものだ。
私が話を聞く体勢を整えたことを確認したガルさんは、ゆっくりと話し始めた。
「サディが私のことを『魔王』と呼んだのを、アイラさんも聞かれたと思います。それは本当です」
ガルさんはそう言って一拍置くと目を閉じる。そしてすう、と短く息を吸って、静かな声で私に問いかけてきた。
「アイラさん、もしも私の本当の名前をご存知でしたら、ここで呼んではいただけませんか」
その質問に、私はぐっと息を詰まらせる。もちろん、名前を知らないからなんていう理由で息を詰めたわけじゃない。むしろこの国に住んでいて、魔王様の名前を知らない人なんてほぼいないだろう。
私が少し動揺した理由は、魔王様本人を目の前にして、そのお名前を呼ぶことが失礼なんじゃないかと思ってしまったからだ。でも、当の魔王様が名前を呼べって言ってるんだから、何も言わない方がもっと無礼か……?
しばらくうんうんと悩んでいたけれど、私は覚悟を決めてガルさんの……魔王様の、本当の名前を呼んだ。
「ジャルガ=ティルガ魔王陛下」
こうして口に出してみれば、彼が名乗った『ガル』という偽名も、なるほど頷ける。ジャ『ルガ』=ティ『ルガ』……逆読みにするっていう一捻りはあったけれど、どうしてこんな単純な偽名に気付かなかったんだろう。
ああでも、そもそもあんな田舎に魔王様が直々に来るなんて、誰も想像付かないから仕方がないかな。それに魔王様の人柄なんかも、国民想いの素晴らしい方だと行商のおじさんが言ってたなぁ、くらいの認識だったので、やっぱり気が付かない方が普通だよね。
そんなことを考えながら、私は目の前に座る魔王様を見た。
いつも通りの優しい笑顔だ。だけど、へにょんと眉尻を下げてなんだか少しだけ寂しそうな、ちょっとだけ不満そうな、そんな表情をしているようにも見えた。
私、何か失敗しちゃったかな。緊張と不安で冷や汗が背中を伝い、ドキドキと嫌な心音が耳につく。それらを紛らわせるように膝の上で両手をもぞもぞと動かした。全然気は紛れなかった。
ここからどうしたらいいんだろう。必死に頭を働かせてみても、いいアイディアなんて何一つ思い浮かばない。お願い助けてガルさん。いや、そのガルさんというか魔王様が私を大いに悩ませている張本人だった。
自分で認識できる範囲の思考回路は、もうすでに滅茶苦茶だ。そもそも、魔王様と面と向かってお話しするなんて、田舎娘には荷が重すぎるんだよ。いくら相手が優しいガルさんだからといっても。
そんなふうに一人で悶々としているところに、魔王様の私を呼ぶ声が届いた。
「アイラさん。今まで私が魔王であることを黙っていたから、貴女の態度がよそよそしくなってしまうのも仕方のないことだと分かっています。ですがやはり……私は貴女に、今まで通り接して欲しい。せっかく新しくできた……友人、を、このような形で失いたくないのです」
うっ、と一瞬呼吸が止まる。だって、魔王様の頭上にペソっと垂れた犬の耳が見えたような気がしたから。まったく、紳士的な男性のそういう顔は反則だって!
思わず魔王様の頭をわんこを撫で回すようにわしゃわしゃしたいという衝動に駆られたけど、さすがにそれは誰が相手でも失礼だから必死に我慢する。暴れるな、私の両手! 撫でたい欲は後でマロンで発散しなさい!
右手と左手をガッチリ組んで暴走しないようにしてから、私は魔王様と視線を合わせた。綺麗な赤い目が私の姿を映している。あれ、目線の高さが一緒だ。首が痛くない。
この事実に気が付いた私は、思わず小さな笑い声を漏らした。なんだ、やっぱり魔王様はガルさんだ。私が辛くないように、いつもおっきな体を屈めて話をしてくれる、優しい騎士様で、魔王様。
改めてガルさんが魔王様だって聞かされたからだろうけど、今まで見当違いの緊張をしてしまっていたな。そうだよ、彼は魔王様だったってだけで、紳士的で優しいことに変わりはないんだから。
私は覚悟を決めて、ゆっくりと口を開いた。
「私も、マロンの可愛さを知っているガルさんとお友達になれたら、とても嬉しいです」
「……なら、これからも私と気軽にお付き合いしていただけますか?」
「う、うーん。それはさすがに難しいかもしれません。ガルさんが魔王様だって分かってしまったから、魔王国民としてはやっぱり畏れ多いと思ってしまいますから」
「そうですか……」
私の素直な言葉に、魔王様はまたしてもしょんぼり顔をする。どうしてこの魔王様は、飼い主に構ってもらえない大型犬のような空気感を醸し出してしまうのだろう。反則じゃないか。
内心の動揺を誤魔化すように、私はわざとらしく咳払いをした。
「お、おほん! ……ええと、その、畏れ多いとは思いますけど、魔王様が仰るように今まで通りに接する努力をちゃんとしま、す」
と、ここまで言って、若干後悔した。そもそも、魔王様とはマロンの検査が終わったらお別れになるんじゃないかと思ったからだ。
あれ、でも、マロンの検査が終わったらゲパルドの観光案内をしてくれるって言っていたような気もする。魔王様のツアーガイドって、それ贅沢以外の何ものでもないのでは?
いろんな疑問が脳裏をよぎったせいで混乱し始めた私の耳に、魔王様の嬉しそうな声が届いた。
「アイラさん、ありがとうございます。それでは早速、一つお願いが。私のことは『魔王』ではなく名前で呼んでいただきたいのですが」
「ふぇ!? 名前でですか!?」
私は確かに努力はするとは言ったけれど、それにしたっていきなり難易度の高い要求をしてきたよこの魔王様!?
混乱のしすぎで口をパクパクさせることしかできない私に対し、魔王様は眩しすぎて直視できない笑みを向けてきた。
「サディも私のことを『ジャル』と呼んでいたでしょう。アイラさんも、ぜひそう呼んでください」
またしてもとんでもないことを魔王様は仰る。いきなり『ジャル』呼びだなんて、蚤の心臓しか持っていない田舎者にはとてもじゃないけどできないよ。
だけど、魔王様がものすごく期待を込めた目でこちらを見てくるから、私には『ジャル』呼びをしないという選択肢は残されていなかった。
「ジ……ジャル、様」
「ふふ、本当は『様』もいらないんですが……あまり無理を言うものではありませんからね。今はそれで満足しておきます」
魔王様……ジャル様は本当に嬉しいのだろう。今まで見てきた中で一番蕩けた笑みを浮かべている。マロンを撫でていた時や、私の料理を食べていた時もなかなかの蕩け具合だったけれど、それよりも上の笑顔を拝めるとは。
厳つい見た目をした男性の眩しい笑顔というものは、これはこれでなかなか眼福だ。だけど同時に心臓に悪い。ジャル様はもう少し、自分の顔立ちが整っていることを自覚するべきだと思う。
私がギリギリと痛む胸を押さえている時、ジャル様がまたも爆弾発言を投下した。
「実は、ずっと考えていたことがあるのです。アイラさん、私の専属シェフになってもらえませんか?」
彼の言葉の意味が理解できなくて、私は一瞬呆けてしまう。
せんぞくしぇふ、とは。
たっぷり三十秒ほど『せんぞくしぇふ』という言葉を脳内で反芻し、その意味を考え、追加で五十秒うんうん唸る時間を作って、ようやく理解した。
ジャル様は私の作った料理を気に入ったから、自分の専属の料理人として雇いたいのだ、と。
マロンはまた袋に逆戻りしてもらった。もしもここで出したら、このソファを『人も座れる爪研ぎ』に変えてしまうかもしれないからだ。私の財力では弁償なんて当然無理なので、マロンには申し訳ないけれど、もうしばらく我慢してもらうほかない。
マロンに何度もごめんねと謝ってから、はふ、と一息つくと、私の向かいに座ったガルさんが微笑む。それからおもむろに「さて」と口を開いた。
「何からお話ししましょうか……そうですね、まずは私の正体からお伝えします」
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私は少しだけ緩んでいた気を引き締めると、ガルさんの話を聞くために背筋を伸ばす。こうするだけで、これから聞かされるであろうとんでもない話を受け止める覚悟ができるというものだ。
私が話を聞く体勢を整えたことを確認したガルさんは、ゆっくりと話し始めた。
「サディが私のことを『魔王』と呼んだのを、アイラさんも聞かれたと思います。それは本当です」
ガルさんはそう言って一拍置くと目を閉じる。そしてすう、と短く息を吸って、静かな声で私に問いかけてきた。
「アイラさん、もしも私の本当の名前をご存知でしたら、ここで呼んではいただけませんか」
その質問に、私はぐっと息を詰まらせる。もちろん、名前を知らないからなんていう理由で息を詰めたわけじゃない。むしろこの国に住んでいて、魔王様の名前を知らない人なんてほぼいないだろう。
私が少し動揺した理由は、魔王様本人を目の前にして、そのお名前を呼ぶことが失礼なんじゃないかと思ってしまったからだ。でも、当の魔王様が名前を呼べって言ってるんだから、何も言わない方がもっと無礼か……?
しばらくうんうんと悩んでいたけれど、私は覚悟を決めてガルさんの……魔王様の、本当の名前を呼んだ。
「ジャルガ=ティルガ魔王陛下」
こうして口に出してみれば、彼が名乗った『ガル』という偽名も、なるほど頷ける。ジャ『ルガ』=ティ『ルガ』……逆読みにするっていう一捻りはあったけれど、どうしてこんな単純な偽名に気付かなかったんだろう。
ああでも、そもそもあんな田舎に魔王様が直々に来るなんて、誰も想像付かないから仕方がないかな。それに魔王様の人柄なんかも、国民想いの素晴らしい方だと行商のおじさんが言ってたなぁ、くらいの認識だったので、やっぱり気が付かない方が普通だよね。
そんなことを考えながら、私は目の前に座る魔王様を見た。
いつも通りの優しい笑顔だ。だけど、へにょんと眉尻を下げてなんだか少しだけ寂しそうな、ちょっとだけ不満そうな、そんな表情をしているようにも見えた。
私、何か失敗しちゃったかな。緊張と不安で冷や汗が背中を伝い、ドキドキと嫌な心音が耳につく。それらを紛らわせるように膝の上で両手をもぞもぞと動かした。全然気は紛れなかった。
ここからどうしたらいいんだろう。必死に頭を働かせてみても、いいアイディアなんて何一つ思い浮かばない。お願い助けてガルさん。いや、そのガルさんというか魔王様が私を大いに悩ませている張本人だった。
自分で認識できる範囲の思考回路は、もうすでに滅茶苦茶だ。そもそも、魔王様と面と向かってお話しするなんて、田舎娘には荷が重すぎるんだよ。いくら相手が優しいガルさんだからといっても。
そんなふうに一人で悶々としているところに、魔王様の私を呼ぶ声が届いた。
「アイラさん。今まで私が魔王であることを黙っていたから、貴女の態度がよそよそしくなってしまうのも仕方のないことだと分かっています。ですがやはり……私は貴女に、今まで通り接して欲しい。せっかく新しくできた……友人、を、このような形で失いたくないのです」
うっ、と一瞬呼吸が止まる。だって、魔王様の頭上にペソっと垂れた犬の耳が見えたような気がしたから。まったく、紳士的な男性のそういう顔は反則だって!
思わず魔王様の頭をわんこを撫で回すようにわしゃわしゃしたいという衝動に駆られたけど、さすがにそれは誰が相手でも失礼だから必死に我慢する。暴れるな、私の両手! 撫でたい欲は後でマロンで発散しなさい!
右手と左手をガッチリ組んで暴走しないようにしてから、私は魔王様と視線を合わせた。綺麗な赤い目が私の姿を映している。あれ、目線の高さが一緒だ。首が痛くない。
この事実に気が付いた私は、思わず小さな笑い声を漏らした。なんだ、やっぱり魔王様はガルさんだ。私が辛くないように、いつもおっきな体を屈めて話をしてくれる、優しい騎士様で、魔王様。
改めてガルさんが魔王様だって聞かされたからだろうけど、今まで見当違いの緊張をしてしまっていたな。そうだよ、彼は魔王様だったってだけで、紳士的で優しいことに変わりはないんだから。
私は覚悟を決めて、ゆっくりと口を開いた。
「私も、マロンの可愛さを知っているガルさんとお友達になれたら、とても嬉しいです」
「……なら、これからも私と気軽にお付き合いしていただけますか?」
「う、うーん。それはさすがに難しいかもしれません。ガルさんが魔王様だって分かってしまったから、魔王国民としてはやっぱり畏れ多いと思ってしまいますから」
「そうですか……」
私の素直な言葉に、魔王様はまたしてもしょんぼり顔をする。どうしてこの魔王様は、飼い主に構ってもらえない大型犬のような空気感を醸し出してしまうのだろう。反則じゃないか。
内心の動揺を誤魔化すように、私はわざとらしく咳払いをした。
「お、おほん! ……ええと、その、畏れ多いとは思いますけど、魔王様が仰るように今まで通りに接する努力をちゃんとしま、す」
と、ここまで言って、若干後悔した。そもそも、魔王様とはマロンの検査が終わったらお別れになるんじゃないかと思ったからだ。
あれ、でも、マロンの検査が終わったらゲパルドの観光案内をしてくれるって言っていたような気もする。魔王様のツアーガイドって、それ贅沢以外の何ものでもないのでは?
いろんな疑問が脳裏をよぎったせいで混乱し始めた私の耳に、魔王様の嬉しそうな声が届いた。
「アイラさん、ありがとうございます。それでは早速、一つお願いが。私のことは『魔王』ではなく名前で呼んでいただきたいのですが」
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私は確かに努力はするとは言ったけれど、それにしたっていきなり難易度の高い要求をしてきたよこの魔王様!?
混乱のしすぎで口をパクパクさせることしかできない私に対し、魔王様は眩しすぎて直視できない笑みを向けてきた。
「サディも私のことを『ジャル』と呼んでいたでしょう。アイラさんも、ぜひそう呼んでください」
またしてもとんでもないことを魔王様は仰る。いきなり『ジャル』呼びだなんて、蚤の心臓しか持っていない田舎者にはとてもじゃないけどできないよ。
だけど、魔王様がものすごく期待を込めた目でこちらを見てくるから、私には『ジャル』呼びをしないという選択肢は残されていなかった。
「ジ……ジャル、様」
「ふふ、本当は『様』もいらないんですが……あまり無理を言うものではありませんからね。今はそれで満足しておきます」
魔王様……ジャル様は本当に嬉しいのだろう。今まで見てきた中で一番蕩けた笑みを浮かべている。マロンを撫でていた時や、私の料理を食べていた時もなかなかの蕩け具合だったけれど、それよりも上の笑顔を拝めるとは。
厳つい見た目をした男性の眩しい笑顔というものは、これはこれでなかなか眼福だ。だけど同時に心臓に悪い。ジャル様はもう少し、自分の顔立ちが整っていることを自覚するべきだと思う。
私がギリギリと痛む胸を押さえている時、ジャル様がまたも爆弾発言を投下した。
「実は、ずっと考えていたことがあるのです。アイラさん、私の専属シェフになってもらえませんか?」
彼の言葉の意味が理解できなくて、私は一瞬呆けてしまう。
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