うちの猫が強すぎる!

シンカワ ジュン

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第二章 田舎娘とお猫様の初めての都会

田舎娘は、衝撃の事実を知る

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 研究施設の中では、私の想像以上にたくさんの人が働いていた。

 白衣を着た魔族の女性と人族の男性が、ペンとノートを手に何やら議論を重ねていたり、かと思えば、まったく身形を気にしていないらしい魔族の男性が、人族の女性に首根っこを掴まれてどこかに引きずられて行っていたり。

 そこには種族の上下などはなく、対等に過ごせる世界が広がっていた。

 わぁ、と感嘆の声が自然に漏れ出てしまう。私がこんな素晴らしい世界で働くことなんて一生ないだろうけれど、こっそりと憧れを抱くくらいは許されるはずだ。
 いいなぁ、私も一度くらいはキラキラな職場で働いてみたいなぁ、前世も面白味のない一般的な仕事だったしなぁ。

 ……なんて取り留めのないことを考えている時だった。

「魔王? 突然来るなんて、いったいどうしたんだい? もしや先日提出した書類に不備があったとか?」

 そんな、理解し難い言葉が聞こえてきたのは。

「え、まおう……?」

 まおう、というのはきっと、おそらく、ほぼ間違いなく、十中八九『魔王』だろう。この国で一番偉い人の肩書きだ。その肩書きが聞こえてきたということはつまり、今この場に『魔王』がいるのだ。

 でも、それならいったい、どこにいるの?

 魔王、と声を掛けてきたのは、糊の利いている真っ白な白衣を着ている魔族の男の人だった。

 身長百七十半ばくらいのスラリと手足が長くスタイルの良いその人は、女性にも見えるような中性的な顔立ちで、一見して真面目そうに見える。切れ長で涼やかな目元、整った容姿も相まって、怜悧な印象を抱かせた。長い髪も一つに括っていて、とても清潔感がある。

 そんな魔族の男の人が『魔王』と声を掛けた相手は、きっと彼の視線の先にいるだろう。私はほとんど何も考えないまま、魔族の男の人の視線を追った。
 その先に待っていたのは、私の隣に立つとても大柄な男性。

 ……そう、ガルさんだった。

 あんなにマロンを可愛がって、私のご飯を美味しいと言って食べてくれたガルさんは、魔王様だったの?

 私は思わず「本当に魔王様なんですか?」と尋ねてしまいそうになったけど、それよりも先に口を開いたのはガルさんの方だった。

「サディ、私何度も連絡を入れましたよね? 客人を連れて来るので、その人に私の正体を気取られぬようにと」
「へ? なんのことだい?」
「あなたも『了解』と返事をしていたではないですか! それに私は念には念を入れて総務の方にも書面と使い魔で連絡を入れているんですよ。あなたそれにも『了解』って応えていたではありませんか!」
「うーん? えー? そんな連絡あったっけかな。なんか十年前くらいに聞いたような気がしないでもないけども」
「私は一週間前から毎日連絡を入れてたんですが!?」

 サディと呼ばれた人がいい加減な返事をしたからか、ガルさんは今まで聞いたことのない大声を上げる。そして頭も抱えて、盛大な溜め息をついた。

「やはりサディにここの所長を任せるのは百年早かったようですね。早急に配置換えをしましょう」

 静かに言い放ったガルさんの目は据わっている。これはいわゆる真剣マジの目だ。どことなく怒りも滲んでいるようだが、今まで彼の穏やかな表情しか見ていなかった私には少し衝撃的だった。
 このガルさんの怒りを真正面から受けたサディさんの顔からは血の気が引いている。なんだか気の毒に思えてくるほどにあからさまに狼狽えていた。

「ええっ!? それだけはやめておくれよ、ジャル!」
「黙りなさい。今まではあなたの能力の高さに免じて多少のことは大目に見ていました。ですが、あなたのように連絡一つまともに取れない怠惰な者が所長であっては、部下に示しがつきません」
「そんな、ひどいよ!」
「ひどくて結構。これでも私は、あなたの仕事や研究に対する意欲と熱意、研究員や職員の管理能力は買っているのですよ。ただこれらの長所も、報告・連絡・相談がまったくと言っていいほどできないという欠点で、ほぼ帳消しとなっていますが」
「それについては身に覚えがありすぎるなー!」
「開き直らないで反省して改善しなさい」

 私の頭上でポンポンと交わされる会話は軽快で、魔王と研究所の所長という関係性から考えてみたら驚くほどに気安く思える。そのせいか、ガルさんは本当に『魔王様』なのか、私は分からなくなってきた。
 二人が言い合うたびに、私はガルさんとサディさんの顔に交互に視線を移す。二人とも身長が高いから、だんだん首が痛くなってきた。

 ガルさんたちに声を掛けるタイミングを失ってしまった私は、どうしていいのか分からなくて途方に暮れてしまう。ガルさんが魔王様なのかもしれないっていう情報も出ていたのに、それを確認する勇気も元気も出てこなかった。

 うう、どうしよう。

 心の中で呻いていると、私が抱いている大きな袋……の中身が、もぞもぞと動いて顔を出した。

「ニャアン!」

 久々のお外だ! という感じで、マロンが明るい声を上げる。彼女は私の顔を見上げると、もう一度にゃあ、と鳴いた。
 この鳴き声に反応したサディさんが、バッ! とこちらを見る。そんなサディさんと目が合ったらしいマロンが「しょうがない、サービスだ」と言わんばかりに、またまたにゃん! と可愛らしい声で鳴いた。
 サディさんはマロンの姿を目に留めると、ポカンと呆けた様子で口をパクパクさせる。そして何度もマロンと私、ガルさんと視線を行き来させては「え、え」と言葉にならない声を漏らしていた。

 こう言っては失礼かもしれないが、イケメンが間抜けな表情をしているのは少し滑稽で面白い。こんな思いを抱くのも半分は現実逃避なんだろうけど、『ガルさん魔王説』が出てきてからは体中に力が入りっぱなしだったので、緊張が解れるという意味でも今の私にはありがたかった。

「にゃにしょのいきもにょ」

 驚きのあまり口が回っていないサディさんは、まるで小さな子供がするような発音でマロンのことを尋ねてくる。この質問には答えた方がいいのだろうか。助けを求めるようにガルさんを見上げたら、彼は困ったような笑みを浮かべながら私を見ていた。

 ガルさんは私に対して小さく「すみません」と一言謝罪してから、未だに混乱しているサディさんに目を向ける。そして一度短く息を吐き、おもむろに口を開いた。

「サディ、あなたは今すぐ所長室に戻り、私が送っているはずの文書と資料を確認してきなさい。その間、私たちは応接室に待機しています」
「え、あ、はい」

 どことなく厳格なガルさんの声が耳に届いたことで正気に戻ったのか、サディさんはこくこくと頷くと、そのまま回れ右をして施設の奥へと消えていく。ガルさんに言われた通り、所長室とやらに戻ったのだろう。
 サディさんの後ろ姿を見送っていた私に、隣に立つガルさんが申し訳なさそうに声を掛けてきた。

「アイラさん、すみません。貴女を騙すつもりはなかったんです」
「……ガル、さん」
「ここで立ち話もあれですから、応接室へ行きましょう。そこで、私のことについて説明します」

 ガルさんは紳士らしくスッ、と手を差し出してくる。彼が本当に魔王様だというのなら、田舎村の娘でしかない私が彼の手を取ることも、そして取らないことも、どちらも失礼でしかないような気がして、動くことができなかった。

 いつまでもガルさんを待たせることも、また失礼に当たる。だから早く何かしら行動しなきゃ、と思うんだけど、どうしてもまごついてしまう。うう、自分が情けない。

「ニャッ」

 私が自己嫌悪に陥っていると、腕の中のマロンが短く鳴いて、可愛いお手々をガルさんの手にぽふんと乗せた。

「おや、私がエスコートする相手がマロンちゃんになってしまいましたね」

 ふふ、と穏やかに笑ってマロンの手をふにふにと揉むガルさんの姿は、彼と出会ってここに来るまでの間にずっと見ていたものだ。

 ああ、なんだ。ガルさんは魔王様かもしれないけれど、紳士的で穏やかで、そして優しいことに変わりはないんだ。

 そう思ったら、なんだか胸のつかえが取れたような気がした。
 私はガルさんに弄ばれているマロンの手をそっと退ける。そして今度は自分がガルさんの手を取って、彼に悪い印象を与えないように笑顔を向けた。

「ガルさん、こんな田舎娘がエスコート相手で申し訳ないですけど、よろしくお願いします」
「……そんなことありませんよ、アイラさん。こちらこそ、アイラさんのような若いお嬢さんのエスコート相手が、こんなおじさんですみません」

 いつかの森の中でしたように、またしても謝罪とお辞儀合戦が始まってしまう。

 そんな私たちを笑うかのようにマロンが大あくびを一つして、なーお、と気の抜けるような声を漏らした。
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