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第二章 田舎娘とお猫様の初めての都会
田舎娘は、決意する
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サディさんとの恥ずかしいやり取りで身悶えることとなった日の翌日、お父さんから手紙の返事が届いた。
「もっと時間が掛かるかと思ってたけど、意外に早かったね」
お父さんに手紙を送ったのは、魔王城に滞在することが決定した次の日だ。しばらく帰ることができないだろうから心配させてはいけないと思って、ジャル様に頼んですぐに手紙を書いたのだ。
手紙の内容は、マロンについて詳しく調べなければいけなくなったからゲパルドに滞在することになったことと、ジャル様……手紙ではガルさんってことにしたけど、彼に専属シェフにならないかと誘われたこと、そしてその話を受けたいということも、きちんと書いた。
「ふう……返事を読むだけなのに、ちょっと緊張しちゃうな」
私は一度深呼吸をしてから手紙の封を切る。お城に届くものにしては安っぽい紙質の便箋には、お父さんの字でこう書かれていた。
『分かった。アイラがやりたいようにやればいい。お父さんのことは気にするな』
あまりにも簡素で短い文面に思わず笑みがこぼれる。
「お父さん、代筆頼まなかったんだ」
お世辞にも上手とは言えない文字を指でなぞり、私は呟いた。
この国の識字率はそこまで悪くないとはいえ、テスのような田舎では、ある程度不自由なく文字の読み書きができるのは私を含めて数人しかいない。だから手紙なんかは書ける人にお願いすることが多いのだけれど、お父さんは今回そうしなかった。
まるで私の決心を後押しするかのように。
「お父さんが応援してくれるなら、私も精一杯やらなくちゃ」
私は両頬を軽く叩き、よし! と気合いを入れる。
「頑張るぞ!」
「ニャーン!」
マロンも私の声に合わせて、元気に鳴いた。
やる気に満ち満ちている私だったけれど、このやる気を伝えるべき相手……つまり、ジャル様は今この場にいない。ううん、この熱をいかにして発散するべきか。
「そうだね……よし、マロン! 遊ぼっか!」
「ニャオ!」
私のかけ声にマロンは嬉しそうに返事をすると、部屋の隅に転がっていた毛糸玉をくわえて持って来た。
この毛糸玉は、私のお世話をしてくれているメイドさんが持って来てくれたものだ。メイドさんもマロンの可愛さに陥落した同士の一人で、おもちゃにできそうな大きな鳥の羽なんかも差し入れてくれた。だけど羽はマロンのお気に召さなかったようで、今では部屋の飾りに落ち着いている。
解けてバラバラにならないようにしている毛糸玉を、私は適当に転がす。するとマロンはお尻をフリフリと振って狙いを定め、獲物に見立てたそれに飛び掛かった。
毛糸玉に飛びついたマロンはしばらくあむあむと噛んで、後ろ足でペチッと弾いてからまたじゃれつくということを繰り返す。
うーん、見ていてとても可愛いけれど、この遊びに私必要なくない? 完全にマロンの一人遊びじゃん。
今この場に、写真が撮れる道具がないことが非常に残念だ。持っていたら遊んでいるマロンを連写する所存なんだけど。
毎日がシャッターチャンスな愛しい子を見つめていると、彼女が蹴り飛ばした毛糸玉が勢い良くこちらに飛んできた。そのことに気付くのが遅れた私の顔に、凶器となった毛糸玉が襲いかかる。
「へぶっ!」
見事顔面キャッチをすることになった私は、反射的に呻き声を上げた。毛糸玉をしっかりがっちり丸めていることが仇になったパターンである。
痛みで蹲っている私の横を、マロンは素通りする。そして転がっていた毛糸玉に再びじゃれついた。あ、これ、遊ぶ方が大事なパターンだ。飼い主が少しばかり怪我していようと全然気にしてないやつ。
マロンの素晴らしいお猫様ムーブを見て、私は小さく苦笑した。やっぱりにゃんこはこうでないと。甘えん坊なマロンも可愛いけれど、こういったフリーダムな猫らしい動きも最高だ。
未だに痛む顔面をすりすりと撫でていると、コンコン、とこの部屋をノックする音が聞こえてきた。いったい誰が来たのだろうと思いつつ顔を上げ、部屋に据え付けられている柱時計を見る。少し早いが、メイドさんがおやつを持って来てくれる時間だった。
「はーい、どうぞ」
顔が痛い程度でメイドさんを待たせるわけにはいかない。
そう思った私はすぐに返事をしたのだが、扉が開いて聞こえてきた声に慌てることになった。
「アイラさん、失礼しますね」
なんと、そこにいたのはジャル様だったのだ。ジャル様はこの時間に来たことがないから油断していた。
どうしよう、私の顔面にはたぶん毛糸玉がぶつかった痕が残っているはずだ。ジャル様は優しいから、きっと心配させてしまう。マロンが遊んでいた毛糸玉が飛んできてぶつかったなんていう、実にくだらない理由を知られるのは正直に言って恥ずかしい。
私は慌てて毛糸玉がぶつかった部分を両手で隠して顔を伏せる。だけどさすがにこの行動は怪しかったらしく、ジャル様は私の傍に立つと、大きな体を屈めて私の顔を覗き込んできた。
「どうしたのですか?」
じっ、と見つめられている気配がする。うう、これはこれで恥ずかしい。
毛糸玉で顔面を強打したことがバレないようにするのか、それとも穴が空くほど見つめられているということを甘受するのか。
その二択で悩み抜いた結果、私は観念して顔を上げることにした。そうしたらもちろん、顔面強打した痕が白日の下に晒されることになるので……。
「アイラさん、その顔の赤みは?」
ジャル様から指摘されるのも当然だろう。それほどまでにあの毛糸玉直撃は痛かった。
「えっと、その、実は……」
羞恥心はあるが、ジャル様にいらない心配をさせる方が胸が痛い。だから私は、こうなった一連の経緯を簡単に説明した。
「マロンが毛糸玉で遊んでたんですけど、蹴り飛ばしたものが私の顔に当たったんです」
この説明を聞いたジャル様は部屋の隅で件の毛糸玉にじゃれついているマロンを見て、ああ、と納得したように頷く。
「あれが当たるのは……確かに痛そうですね」
へにょ、と眉尻を下げながら言ったジャル様はゆっくりとマロンに近付くと、彼女の頭をそっと撫でてあげた。遊んでいる途中に触られるのはそれほど好きではないマロンだけど、ジャル様だけは別らしい。マロンは嬉しそうににゃあ、と鳴いた。
「マロンちゃん、玉遊びをするのはいいですが、アイラさんを怪我させないように気を付けてくださいね」
「ニャオン」
分かった、とでも言っているのだろうか。マロンは一鳴きしてからジャル様の大きな手のひらに頭を擦り付ける。その様子はとても可愛いのだが、どうにも最近は私よりもジャル様に懐いているような気がする。たぶん気のせいじゃない。
マロンに一言注意したジャル様は、今度は私の元にやって来る。そして向かいの椅子に座ると、そっと腕を伸ばしてきた。
「アイラさん、赤みが痕になるといけませんから、先に治してしまいましょう」
「え、ジャル様?」
私の疑問の声を聞かず、ジャル様は毛糸玉で強打した部分にそっと触れる。彼の指先から淡い光が漏れ出たかと思うと、温かい何かが痛みのある部分に染み渡っていくような感覚を覚えた。
もしかしてこれって、回復魔法?
ジンジンとした痛みがスッと引いていく。それこそあっという間に。
ジャル様が手を離してから、私は患部を撫でてみた。もう全然痛くない。
「どうですか?」
「えっと、痛みはなくなりました。ジャル様、ありがとうございます」
「それはよかった」
私の返事に満足したらしいジャル様はニコニコと笑っている。相変わらず優しい笑みだ。
なんだか恥ずかしいって思っていたことすら、ばかばかしく思えてきちゃったな。
私は心の中で自嘲気味に笑って、すぐに気持ちを切り替える。何せ、タイミング良くジャル様が来てくれたのだから。
緊張で少しだけうるさい心臓を落ち着けるために、一度短く呼吸をする。そして専属シェフになるという決心をしたことを伝えるため、私は目の前で微笑むジャル様をまっすぐと見つめて口を開こうとした。
だけど、そこから言葉が出てくることはなかった。なぜなら。
コンコン、と。
なんともタイミング悪く、再びこの部屋の扉がノックされる音が聞こえてきたからだ。
「お茶と甘味をお持ちしました」
「あ、は、はい! どうぞ!」
今度こそ本当におやつを持って来てくれたメイドさんらしい。彼女は控えめな音を立てて扉を開けると、美味しそうなおやつを載せたワゴンを押しながら入ってきた。
彼女はテキパキと準備を整えているのだが、ジャル様というイレギュラーがいても動揺するような素振りを見せないところはさすがプロ。むしろ彼の分の食器もどこからともなくさっと取り出して、優雅にお茶を注いでいる。
そんなメイドさんの足下に、いつの間にかマロンはいた。彼女はにゃあん、なんて可愛らしい鳴き声を上げながら、彼女の足に擦り寄っている。
「マロン様もおやつをご所望ですね。少々お待ちください」
メイドさんの妙に真面目な返答が面白くて、私とジャル様はお互いに顔を見合わせて小さく笑い声をこぼした。
「もっと時間が掛かるかと思ってたけど、意外に早かったね」
お父さんに手紙を送ったのは、魔王城に滞在することが決定した次の日だ。しばらく帰ることができないだろうから心配させてはいけないと思って、ジャル様に頼んですぐに手紙を書いたのだ。
手紙の内容は、マロンについて詳しく調べなければいけなくなったからゲパルドに滞在することになったことと、ジャル様……手紙ではガルさんってことにしたけど、彼に専属シェフにならないかと誘われたこと、そしてその話を受けたいということも、きちんと書いた。
「ふう……返事を読むだけなのに、ちょっと緊張しちゃうな」
私は一度深呼吸をしてから手紙の封を切る。お城に届くものにしては安っぽい紙質の便箋には、お父さんの字でこう書かれていた。
『分かった。アイラがやりたいようにやればいい。お父さんのことは気にするな』
あまりにも簡素で短い文面に思わず笑みがこぼれる。
「お父さん、代筆頼まなかったんだ」
お世辞にも上手とは言えない文字を指でなぞり、私は呟いた。
この国の識字率はそこまで悪くないとはいえ、テスのような田舎では、ある程度不自由なく文字の読み書きができるのは私を含めて数人しかいない。だから手紙なんかは書ける人にお願いすることが多いのだけれど、お父さんは今回そうしなかった。
まるで私の決心を後押しするかのように。
「お父さんが応援してくれるなら、私も精一杯やらなくちゃ」
私は両頬を軽く叩き、よし! と気合いを入れる。
「頑張るぞ!」
「ニャーン!」
マロンも私の声に合わせて、元気に鳴いた。
やる気に満ち満ちている私だったけれど、このやる気を伝えるべき相手……つまり、ジャル様は今この場にいない。ううん、この熱をいかにして発散するべきか。
「そうだね……よし、マロン! 遊ぼっか!」
「ニャオ!」
私のかけ声にマロンは嬉しそうに返事をすると、部屋の隅に転がっていた毛糸玉をくわえて持って来た。
この毛糸玉は、私のお世話をしてくれているメイドさんが持って来てくれたものだ。メイドさんもマロンの可愛さに陥落した同士の一人で、おもちゃにできそうな大きな鳥の羽なんかも差し入れてくれた。だけど羽はマロンのお気に召さなかったようで、今では部屋の飾りに落ち着いている。
解けてバラバラにならないようにしている毛糸玉を、私は適当に転がす。するとマロンはお尻をフリフリと振って狙いを定め、獲物に見立てたそれに飛び掛かった。
毛糸玉に飛びついたマロンはしばらくあむあむと噛んで、後ろ足でペチッと弾いてからまたじゃれつくということを繰り返す。
うーん、見ていてとても可愛いけれど、この遊びに私必要なくない? 完全にマロンの一人遊びじゃん。
今この場に、写真が撮れる道具がないことが非常に残念だ。持っていたら遊んでいるマロンを連写する所存なんだけど。
毎日がシャッターチャンスな愛しい子を見つめていると、彼女が蹴り飛ばした毛糸玉が勢い良くこちらに飛んできた。そのことに気付くのが遅れた私の顔に、凶器となった毛糸玉が襲いかかる。
「へぶっ!」
見事顔面キャッチをすることになった私は、反射的に呻き声を上げた。毛糸玉をしっかりがっちり丸めていることが仇になったパターンである。
痛みで蹲っている私の横を、マロンは素通りする。そして転がっていた毛糸玉に再びじゃれついた。あ、これ、遊ぶ方が大事なパターンだ。飼い主が少しばかり怪我していようと全然気にしてないやつ。
マロンの素晴らしいお猫様ムーブを見て、私は小さく苦笑した。やっぱりにゃんこはこうでないと。甘えん坊なマロンも可愛いけれど、こういったフリーダムな猫らしい動きも最高だ。
未だに痛む顔面をすりすりと撫でていると、コンコン、とこの部屋をノックする音が聞こえてきた。いったい誰が来たのだろうと思いつつ顔を上げ、部屋に据え付けられている柱時計を見る。少し早いが、メイドさんがおやつを持って来てくれる時間だった。
「はーい、どうぞ」
顔が痛い程度でメイドさんを待たせるわけにはいかない。
そう思った私はすぐに返事をしたのだが、扉が開いて聞こえてきた声に慌てることになった。
「アイラさん、失礼しますね」
なんと、そこにいたのはジャル様だったのだ。ジャル様はこの時間に来たことがないから油断していた。
どうしよう、私の顔面にはたぶん毛糸玉がぶつかった痕が残っているはずだ。ジャル様は優しいから、きっと心配させてしまう。マロンが遊んでいた毛糸玉が飛んできてぶつかったなんていう、実にくだらない理由を知られるのは正直に言って恥ずかしい。
私は慌てて毛糸玉がぶつかった部分を両手で隠して顔を伏せる。だけどさすがにこの行動は怪しかったらしく、ジャル様は私の傍に立つと、大きな体を屈めて私の顔を覗き込んできた。
「どうしたのですか?」
じっ、と見つめられている気配がする。うう、これはこれで恥ずかしい。
毛糸玉で顔面を強打したことがバレないようにするのか、それとも穴が空くほど見つめられているということを甘受するのか。
その二択で悩み抜いた結果、私は観念して顔を上げることにした。そうしたらもちろん、顔面強打した痕が白日の下に晒されることになるので……。
「アイラさん、その顔の赤みは?」
ジャル様から指摘されるのも当然だろう。それほどまでにあの毛糸玉直撃は痛かった。
「えっと、その、実は……」
羞恥心はあるが、ジャル様にいらない心配をさせる方が胸が痛い。だから私は、こうなった一連の経緯を簡単に説明した。
「マロンが毛糸玉で遊んでたんですけど、蹴り飛ばしたものが私の顔に当たったんです」
この説明を聞いたジャル様は部屋の隅で件の毛糸玉にじゃれついているマロンを見て、ああ、と納得したように頷く。
「あれが当たるのは……確かに痛そうですね」
へにょ、と眉尻を下げながら言ったジャル様はゆっくりとマロンに近付くと、彼女の頭をそっと撫でてあげた。遊んでいる途中に触られるのはそれほど好きではないマロンだけど、ジャル様だけは別らしい。マロンは嬉しそうににゃあ、と鳴いた。
「マロンちゃん、玉遊びをするのはいいですが、アイラさんを怪我させないように気を付けてくださいね」
「ニャオン」
分かった、とでも言っているのだろうか。マロンは一鳴きしてからジャル様の大きな手のひらに頭を擦り付ける。その様子はとても可愛いのだが、どうにも最近は私よりもジャル様に懐いているような気がする。たぶん気のせいじゃない。
マロンに一言注意したジャル様は、今度は私の元にやって来る。そして向かいの椅子に座ると、そっと腕を伸ばしてきた。
「アイラさん、赤みが痕になるといけませんから、先に治してしまいましょう」
「え、ジャル様?」
私の疑問の声を聞かず、ジャル様は毛糸玉で強打した部分にそっと触れる。彼の指先から淡い光が漏れ出たかと思うと、温かい何かが痛みのある部分に染み渡っていくような感覚を覚えた。
もしかしてこれって、回復魔法?
ジンジンとした痛みがスッと引いていく。それこそあっという間に。
ジャル様が手を離してから、私は患部を撫でてみた。もう全然痛くない。
「どうですか?」
「えっと、痛みはなくなりました。ジャル様、ありがとうございます」
「それはよかった」
私の返事に満足したらしいジャル様はニコニコと笑っている。相変わらず優しい笑みだ。
なんだか恥ずかしいって思っていたことすら、ばかばかしく思えてきちゃったな。
私は心の中で自嘲気味に笑って、すぐに気持ちを切り替える。何せ、タイミング良くジャル様が来てくれたのだから。
緊張で少しだけうるさい心臓を落ち着けるために、一度短く呼吸をする。そして専属シェフになるという決心をしたことを伝えるため、私は目の前で微笑むジャル様をまっすぐと見つめて口を開こうとした。
だけど、そこから言葉が出てくることはなかった。なぜなら。
コンコン、と。
なんともタイミング悪く、再びこの部屋の扉がノックされる音が聞こえてきたからだ。
「お茶と甘味をお持ちしました」
「あ、は、はい! どうぞ!」
今度こそ本当におやつを持って来てくれたメイドさんらしい。彼女は控えめな音を立てて扉を開けると、美味しそうなおやつを載せたワゴンを押しながら入ってきた。
彼女はテキパキと準備を整えているのだが、ジャル様というイレギュラーがいても動揺するような素振りを見せないところはさすがプロ。むしろ彼の分の食器もどこからともなくさっと取り出して、優雅にお茶を注いでいる。
そんなメイドさんの足下に、いつの間にかマロンはいた。彼女はにゃあん、なんて可愛らしい鳴き声を上げながら、彼女の足に擦り寄っている。
「マロン様もおやつをご所望ですね。少々お待ちください」
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