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第二章 田舎娘とお猫様の初めての都会
田舎娘は、赤面する
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マロンは毎度サディさんをボコボコにするけれど、初めの頃よりは同じ空間に居ることを許してくれるようになっていた。まあ、部屋の隅で不機嫌そうに尻尾をベシベシしてるけど。
「うーん、あれはあれで可愛い」
幾分か落ち着いたらしいサディさんは、頬杖をついてニヤニヤとマロンを見つめている。マロンはそんな彼の姿を極力視界に入れないようにしているのか、目を細めてそっぽを向いていた。
サディさんはマロンを観察しながら、おもむろに紙とペンを取り出す。そしてサラサラと何かを書き始めた。
用紙の半分を占めるのはマロンのスケッチだ。
「本当は直接触って確認するのが一番いいんだけどねぇ」
マロンはサディさんに、自分の体を指一本も触らせない。だから彼は、マロンの骨格を想像しながら描いていた。研究者としての知識があるからだろう、ちらりと見た限り、よっぽど的外れでもない印象を受ける。そして、やたらと絵が上手い。
しかしその反面、文字は非常に読みにくかった。下手というより個性的というか、癖が強いというか。その文字は前世でいうところのおじいちゃん先生の解読できない手書きカルテのようだ。
サディさんが黙々とマロンのスケッチをしているので、私は邪魔にならない位置に移動して本を読むことにした。
この本は魔王城にある図書館の蔵書で、タイトルを『魔人の契り』といい、五十年ほど前に魔族の子供たちの間で流行した魔族と人族の友情を描いた児童小説だ。
しっかりとした装丁、読みやすい大きめの文字、難しすぎない言い回しなど、私でもスラスラと読むことのできる面白い本だけど、これを選んでくれたのはなんとジャル様だった。
マロンのお世話をするためにあまり部屋の外に出ない私が退屈しないために、ジャル様は本を見繕って時々持って来てくれる。ジャル様が直々に訪ねてくることに未だに慣れないけれど、私を気遣ってくれていることは素直に嬉しい。
そういえばジャル様、私が平均以上に文字の読み書きができることを知ったからか、せっかくならきちんとした教育を受けてみないか、って提案をしてくるようになった。
うーん、勉強かぁ。興味がないと言えば嘘になるけど、でも今更勉強するのもなぁ……と思ってしまう。ああでも、欲を言えばもう少し難しい読み書きができるようになりたいとか、料理のことを学びたいという気持ちもある。
「やっぱり勉強した方がいいかな」
小さく呟きながら、私はゆっくりと本を開いた。
本も半ば、主人公である二人の少年が魔族の男性と出会う場面に差し掛かった時、不意に私の足にマロンがスリスリと体を擦り付けてきた。
「どうしたの、マロン」
声を掛けるとマロンはひょいと膝に飛び乗ってきて、本を持っている私の手に頭突きをして邪魔してくる。おっと、これは「本なんか読んでないで自分を構え」という意思表示だ。
「もう、しょうがないなぁ」
私は本をサイドテーブルに置いて、甘えてくるマロンの頭を撫でてあげる。目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす様子は本当に可愛い。顎下や耳の付け根なんかもくすぐってやれば、私の膝の上でごろんとお腹を見せた。
「あ~、気持ちいいのねぇ~!」
愛くるしいマロンを見てテンションが上がった私は、普段よりも高い声を出してしまう。これは猫飼いというかペットの飼い主あるあるだと思う。この迸る愛情を表現する手段の一つに、高い声があるのだ。
うりうりとお腹を撫でてついでに吸っていると、ふくくっ、という笑い声が聞こえてきた。その瞬間、この部屋にはサディさんもいることを思い出してバッと顔を上げる。案の定、サディさんがこちらを見て笑いを堪えていた。
ヤバい。ちょっと人様にお見せするのは憚られる痴態を、よりにもよってイケメン代表みたいな顔をしたサディさんに見られてしまった。
あまりの恥ずかしさに、顔面どころか体全体に熱が集まるのを自覚する。脂汗まで出てきた。
「えっと、これはその、あのですね……!」
私は目を泳がせまくりながら必死に言い訳を考える。考えるけれど、猫飼いの生態の一部をしっかりばっちり見せてしまったのは紛れもない事実なので、どれだけ上手い言い回しができたとしても名誉挽回には至らないだろう。挽回するほどの名誉はそもそもないけれど。
混乱状態に陥っている私は、思考がとっ散らかってまとまらない。だから少しでも落ち着きたいとマロンを抱き上げるも、彼女は「そんなもの知ったことか」と言わんばかりに液体になって逃げ出してしまった。飼い主悲しい。
トコトコ歩いて行くマロンの姿を目で追っていると、サディさんがとうとう声を上げて笑った。
「あはは! なるほどなるほど、そういうことかぁ」
「え、サディさん、何がなるほどでそういうことなんですか!?」
「んー? 教えなーい。いやでも、いいもの見せてもらったよ。マロンの体の柔らかさが分かる動きとか、あと、からかう材料が増えたところとか」
マロンの体の柔らかさというのはいつもの『猫は液体』ということだとして、『からかう材料』というのはつまり、私は今後ことあるごとにサディさんのおもちゃにされるという未来が待ち受けているということ……?
「さ、さっきの見苦しい姿は忘れてくださいぃ!」
完全に泣き言だけど、声を上げずにはいられなかった。テンション高めに猫吸いしていたところを延々からかわれるようになったら、正直に言って心が折れる。
私が必死に懇願すると、サディさんは一瞬きょとんとしたものの、すぐに慌てて首を横に振った。
「アイラ、たぶんキミ勘違いしてるよ。ボクがからかう相手はキミじゃないから」
からかう相手が私じゃないというのはどういう意味だろう。
サディさんの言っていることの意味が分からなくて、私は脳内に疑問符を浮かべた。
私の反応を見たサディさんはにんまりと口元に弧を描くと、やたらと綺麗な笑顔を浮かべる。その笑顔は、面食いの人を三人くらいは楽に殺せそうな破壊力を持っていた。
これはいけないと直感した私は、すぐに両手で目を覆い隠す。さすがにこの反応はサディさんに対して失礼だということは分かっているけれど、こうでもしないと自分の寿命が縮んでしまいそうなので許して欲しい。
「笑顔が眩しい!」
「あっはっは! そう言ってもらえると嬉しいよ」
どうやら速攻で許されたらしい。私の言葉にサディさんは至極軽い調子で返事をした。
指の隙間からサディさんの様子を確認してから、私は両手をゆっくりと元の位置に戻す。視界が広くなった私の視線の先で、サディさんは長い足を組み直してふうむと唸った。そして何を思ったのか、目を細めて私を見つめてくる。
「サディさん?」
顔の良い人にじっと見つめられるのは、さすがに恥ずかしいのですが。……はっ! も、もしかして、私の顔面、マロンの毛まみれだったりする!?
慌てて顔をパタパタ払っていると、サディさんは不思議なものを見るようにこてんと首を傾げた。あれ、私の考えていたことは見当外れだったのかな。いやでも、手のひらにマロンの毛は付いているから払って正解だった。
これたぶん服にも毛が付いているだろうから、文明の利器コロコロが欲しいな。なんて思考を飛ばしていた私の耳に、サディさんの柔らかな声が届いた。
「アイラの笑顔も蕩けてて可愛いよ」
「……ふぇ?」
「キミ、マロンを構ってる時の自分の表情知らないでしょ? ボクから見ても、デロデロに溶けてて可愛いなぁって思うよ」
サディさんは頬杖を付きながらとんでもないことを仰った。というか、私の笑顔が可愛いとか何それ意味分かんない。
突如投下された爆弾発言で頭も体もフリーズしている私のことなど気にした様子もなく、サディさんは更に言葉を続けた。
「その顔、不特定多数の連中に見せないようにね。キミに悪い虫が付くといけないからさ」
「わ、私に悪い虫って、いったいどういう意味ですか?」
「そのままの意味さ」
私の質問を受けたサディさんはそれだけ言うと、にこり、と世のご婦人達を虜にする笑みを浮かべる。なんだか意味深に見えるのだけど、気のせいだろうか。
そんなふうに私が目を白黒させている間にも、サディさんはマロンのことについて書き記している紙をまとめ、おもむろに立ち上がった。
「それじゃ、ボクは研究所に帰るね」
サディさんは私にそう挨拶すると、そそくさと足早に退室する。
この部屋に一人と一匹で取り残された私は、先ほどの意味深な言葉の意味をうっかり考えてしまい、しばらく変な唸り声を上げることになるのだった。
「うーん、あれはあれで可愛い」
幾分か落ち着いたらしいサディさんは、頬杖をついてニヤニヤとマロンを見つめている。マロンはそんな彼の姿を極力視界に入れないようにしているのか、目を細めてそっぽを向いていた。
サディさんはマロンを観察しながら、おもむろに紙とペンを取り出す。そしてサラサラと何かを書き始めた。
用紙の半分を占めるのはマロンのスケッチだ。
「本当は直接触って確認するのが一番いいんだけどねぇ」
マロンはサディさんに、自分の体を指一本も触らせない。だから彼は、マロンの骨格を想像しながら描いていた。研究者としての知識があるからだろう、ちらりと見た限り、よっぽど的外れでもない印象を受ける。そして、やたらと絵が上手い。
しかしその反面、文字は非常に読みにくかった。下手というより個性的というか、癖が強いというか。その文字は前世でいうところのおじいちゃん先生の解読できない手書きカルテのようだ。
サディさんが黙々とマロンのスケッチをしているので、私は邪魔にならない位置に移動して本を読むことにした。
この本は魔王城にある図書館の蔵書で、タイトルを『魔人の契り』といい、五十年ほど前に魔族の子供たちの間で流行した魔族と人族の友情を描いた児童小説だ。
しっかりとした装丁、読みやすい大きめの文字、難しすぎない言い回しなど、私でもスラスラと読むことのできる面白い本だけど、これを選んでくれたのはなんとジャル様だった。
マロンのお世話をするためにあまり部屋の外に出ない私が退屈しないために、ジャル様は本を見繕って時々持って来てくれる。ジャル様が直々に訪ねてくることに未だに慣れないけれど、私を気遣ってくれていることは素直に嬉しい。
そういえばジャル様、私が平均以上に文字の読み書きができることを知ったからか、せっかくならきちんとした教育を受けてみないか、って提案をしてくるようになった。
うーん、勉強かぁ。興味がないと言えば嘘になるけど、でも今更勉強するのもなぁ……と思ってしまう。ああでも、欲を言えばもう少し難しい読み書きができるようになりたいとか、料理のことを学びたいという気持ちもある。
「やっぱり勉強した方がいいかな」
小さく呟きながら、私はゆっくりと本を開いた。
本も半ば、主人公である二人の少年が魔族の男性と出会う場面に差し掛かった時、不意に私の足にマロンがスリスリと体を擦り付けてきた。
「どうしたの、マロン」
声を掛けるとマロンはひょいと膝に飛び乗ってきて、本を持っている私の手に頭突きをして邪魔してくる。おっと、これは「本なんか読んでないで自分を構え」という意思表示だ。
「もう、しょうがないなぁ」
私は本をサイドテーブルに置いて、甘えてくるマロンの頭を撫でてあげる。目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす様子は本当に可愛い。顎下や耳の付け根なんかもくすぐってやれば、私の膝の上でごろんとお腹を見せた。
「あ~、気持ちいいのねぇ~!」
愛くるしいマロンを見てテンションが上がった私は、普段よりも高い声を出してしまう。これは猫飼いというかペットの飼い主あるあるだと思う。この迸る愛情を表現する手段の一つに、高い声があるのだ。
うりうりとお腹を撫でてついでに吸っていると、ふくくっ、という笑い声が聞こえてきた。その瞬間、この部屋にはサディさんもいることを思い出してバッと顔を上げる。案の定、サディさんがこちらを見て笑いを堪えていた。
ヤバい。ちょっと人様にお見せするのは憚られる痴態を、よりにもよってイケメン代表みたいな顔をしたサディさんに見られてしまった。
あまりの恥ずかしさに、顔面どころか体全体に熱が集まるのを自覚する。脂汗まで出てきた。
「えっと、これはその、あのですね……!」
私は目を泳がせまくりながら必死に言い訳を考える。考えるけれど、猫飼いの生態の一部をしっかりばっちり見せてしまったのは紛れもない事実なので、どれだけ上手い言い回しができたとしても名誉挽回には至らないだろう。挽回するほどの名誉はそもそもないけれど。
混乱状態に陥っている私は、思考がとっ散らかってまとまらない。だから少しでも落ち着きたいとマロンを抱き上げるも、彼女は「そんなもの知ったことか」と言わんばかりに液体になって逃げ出してしまった。飼い主悲しい。
トコトコ歩いて行くマロンの姿を目で追っていると、サディさんがとうとう声を上げて笑った。
「あはは! なるほどなるほど、そういうことかぁ」
「え、サディさん、何がなるほどでそういうことなんですか!?」
「んー? 教えなーい。いやでも、いいもの見せてもらったよ。マロンの体の柔らかさが分かる動きとか、あと、からかう材料が増えたところとか」
マロンの体の柔らかさというのはいつもの『猫は液体』ということだとして、『からかう材料』というのはつまり、私は今後ことあるごとにサディさんのおもちゃにされるという未来が待ち受けているということ……?
「さ、さっきの見苦しい姿は忘れてくださいぃ!」
完全に泣き言だけど、声を上げずにはいられなかった。テンション高めに猫吸いしていたところを延々からかわれるようになったら、正直に言って心が折れる。
私が必死に懇願すると、サディさんは一瞬きょとんとしたものの、すぐに慌てて首を横に振った。
「アイラ、たぶんキミ勘違いしてるよ。ボクがからかう相手はキミじゃないから」
からかう相手が私じゃないというのはどういう意味だろう。
サディさんの言っていることの意味が分からなくて、私は脳内に疑問符を浮かべた。
私の反応を見たサディさんはにんまりと口元に弧を描くと、やたらと綺麗な笑顔を浮かべる。その笑顔は、面食いの人を三人くらいは楽に殺せそうな破壊力を持っていた。
これはいけないと直感した私は、すぐに両手で目を覆い隠す。さすがにこの反応はサディさんに対して失礼だということは分かっているけれど、こうでもしないと自分の寿命が縮んでしまいそうなので許して欲しい。
「笑顔が眩しい!」
「あっはっは! そう言ってもらえると嬉しいよ」
どうやら速攻で許されたらしい。私の言葉にサディさんは至極軽い調子で返事をした。
指の隙間からサディさんの様子を確認してから、私は両手をゆっくりと元の位置に戻す。視界が広くなった私の視線の先で、サディさんは長い足を組み直してふうむと唸った。そして何を思ったのか、目を細めて私を見つめてくる。
「サディさん?」
顔の良い人にじっと見つめられるのは、さすがに恥ずかしいのですが。……はっ! も、もしかして、私の顔面、マロンの毛まみれだったりする!?
慌てて顔をパタパタ払っていると、サディさんは不思議なものを見るようにこてんと首を傾げた。あれ、私の考えていたことは見当外れだったのかな。いやでも、手のひらにマロンの毛は付いているから払って正解だった。
これたぶん服にも毛が付いているだろうから、文明の利器コロコロが欲しいな。なんて思考を飛ばしていた私の耳に、サディさんの柔らかな声が届いた。
「アイラの笑顔も蕩けてて可愛いよ」
「……ふぇ?」
「キミ、マロンを構ってる時の自分の表情知らないでしょ? ボクから見ても、デロデロに溶けてて可愛いなぁって思うよ」
サディさんは頬杖を付きながらとんでもないことを仰った。というか、私の笑顔が可愛いとか何それ意味分かんない。
突如投下された爆弾発言で頭も体もフリーズしている私のことなど気にした様子もなく、サディさんは更に言葉を続けた。
「その顔、不特定多数の連中に見せないようにね。キミに悪い虫が付くといけないからさ」
「わ、私に悪い虫って、いったいどういう意味ですか?」
「そのままの意味さ」
私の質問を受けたサディさんはそれだけ言うと、にこり、と世のご婦人達を虜にする笑みを浮かべる。なんだか意味深に見えるのだけど、気のせいだろうか。
そんなふうに私が目を白黒させている間にも、サディさんはマロンのことについて書き記している紙をまとめ、おもむろに立ち上がった。
「それじゃ、ボクは研究所に帰るね」
サディさんは私にそう挨拶すると、そそくさと足早に退室する。
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