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第三章 魔王様の専属シェフとお猫様の日常
魔王様の専属シェフは、店主の話を聞く
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「お客さんの言う通り、俺には前世の記憶とやらがあります」
そう前置きして、店主さんは静かに語り始める。その内容は、私にはなんとなく想像できていたものだった。
店主さんもまた、日本からこの世界に転生したのだという。どうやら彼は前世では居酒屋を営んでいたらしく、そこそこ繁盛していたそうだ。しかしある日、開店前の仕込みの最中に心臓痛……おそらく心筋梗塞で倒れて、そのまま亡くなってしまったらしい。
「死んじまう直前、なんか男の声が聞こえたような気がしたんですが……たぶん気のせいでしょう。店も開けてなかったんで」
店主さんはそう言うけれど、ジャル様と私はその声の持ち主に思い当たる節があったので、思わず顔を見合わせてしまう。この場にリオン様とサディさんもいたら、二人とも頭を抱えていただろう。ダニーさんはこの私たちの様子を見て首を傾げていたけれど、特に何かを尋ねてくることはなかった。
その後も私たちは店主さんの話に黙って耳を傾ける。
「んで、俺はこの世界に転生? とやらをしたらしいんだが、それに気が付いたのは十八の頃でね。当時の俺は神王国に住んでたんだが……まあ、ちょいとばかしヤンチャなガキでな」
彼はいわゆる貧民街の出身で、スリなどで生計を立てていたらしい。悪事がバレて警備隊の世話になったことも一度や二度ではないとか。
その話を聞いて、ジャル様は難しい表情を浮かべて考え込んでしまった。
「魔王国にも貧民街と呼ばれる区画はありますし、スリのような犯罪行為も無いとは言い切れませんが……神王国は魔王国よりもその辺りの更生支援や法整備が上手く進んでいないとは聞いたことがあります」
主にウォルフのせいで、とジャル様が最後に小声で付け加えたのを私は聞き逃さなかった。ウォルフ様の残した負の遺産のせいで過労で倒れた先代の神王様と、その先代の神王様の跡を継いだリオン様の苦労を知っているからかジャル様は少しだけ険のある表情を浮かべている。
この表情に気が付いたダニーさんが、おいおい、と努めて軽い口調でジャル様に話しかけた。
「そんな恐い顔すんなって。今は坊ちゃまがお前を手本にして頑張ってんだからよ」
「……ダニーのその物言いは注意したいところではありますが、今回は見逃してあげましょう」
ジャル様はそう言うとふう、と小さく息を吐いた。そして軽く眉間を揉み、いつもの柔らかな雰囲気に戻って「どうぞ続けてください」と店主さんに続きを促す。
店主さんは先ほどまでのジャル様の様子に若干驚いていたみたいだったけれど、すぐに気を取り直したのか「それで」と口を開いた。
「いい加減顔馴染みになっていた警備隊員に一発頭をぶん殴られた時、前世を思い出したんです。それからはさすがにスリなんてとてもやれないと思って、心機一転働こうとしたんですけど……その、神王国ってのは、飯が不味くて……」
ご飯が美味しくないというその言葉を聞いて、私はああ……と遠い目をしてしまった。
店主さんは前世が日本人で、そして居酒屋を営んでいた。少なくとも私よりは料理に造詣が深いだろう。そんな彼が美味しくないご飯に満足なんて、とてもではないができなかったのは想像に難くはない。
「この間まで悪さやってた奴に包丁を握らせる馬鹿なんているわけない。もちろん、そんな奴が賄い飯をもらえるだけありがたいってことも分かってたさ。それでも、前世を思い出した俺には神王国の飯はとてもじゃないが口に合わなかったんです」
そういえば、以前リオン様とサディさんも言っていた。神獣はあまり美味しくないって。そして、魔獣と同じで家畜化もできないだろうから、品種改良で味の改善なんていうことも望めないだろう。
「土壌は悪くないからいい作物は育つんだが、俺が働けるようなところに流れてくる野菜や果物なんてたかが知れてるからな。でも、それだけならまだ良かった。茹で野菜に塩振って食うだけなら俺だってまだ我慢できた」
彼はいったい何に我慢ができなかったのだろう、と考えているのはどうやら私だけらしい。ジャル様どころかダニーさんまで、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
二人の表情を見た私は、恐る恐る店主さんに尋ねた。
「あの、我慢できなかったというのは?」
「ああ、それはな……神王国の料理ってのが、クソ不味い神獣をどうにかして食うっていうのに特化してたんだよ」
「へ?」
「神獣ってやつは獲ってすぐにしっかり血抜きしても臭いし、どれほど丁寧に下処理してもエグ味はあるし、煮ても焼いても蒸しても揚げても塩漬けにしても燻製にしてもクソ不味い。そんな神獣と一緒に調理してみろ。どんだけ美味い野菜でも一発で死ぬ。神獣ってやつは、全ての食材を殺す食材なんだよ」
店主さんの目には相当な恨みがこもっている。話を聞いているだけの私でも、そんな彼の目を見るだけで神獣が相当美味しくないのだということが一瞬で理解できた。
「唯一食えるのが魚介類だったんだが、何せ俺が住んでいたのは内地でね。魚なんてとてもじゃないが食えなかった。だから俺は必死に金を貯めて、海沿いの街に引っ越したんだ。そこの街の飯は、まあ内地よりは美味かったよ」
ようやく満足のいく生活を手に入れた店主さんだったが、その街の船乗りから「魔王国のご飯が美味しい」という話を聞いてしまったらしい。
「そんなことを言われちゃあ、気になっちまうだろ? だからまた必死に金を貯めて、今度は魔王国に移住したんだ」
店主さんはあっさりと言うけど、国を跨いでの移住は昔よりは規制が緩くなったとはいえ、今でも難しいはずだ。移住するまでには相当な苦労があっただろう。だけど店主さんはそんなことを感じさせないくらいに明るく笑っていた。
「まあ、そんな経緯です。客商売だってのにこう、口が悪くて変な口調になっちまうのも、元々の育ちが育ちなもんで。これでもだいぶマシになったんですけどね」
「それにしちゃあ、俺に対する態度はツンケンしすぎじゃないか?」
「そこは開店前に酒を飲みにくるお前さんが悪いだろ」
言葉とは裏腹に仲の良さそうなダニーさんと店主さんを見て、私とジャル様は顔を見合わせて小さく苦笑した。
そう前置きして、店主さんは静かに語り始める。その内容は、私にはなんとなく想像できていたものだった。
店主さんもまた、日本からこの世界に転生したのだという。どうやら彼は前世では居酒屋を営んでいたらしく、そこそこ繁盛していたそうだ。しかしある日、開店前の仕込みの最中に心臓痛……おそらく心筋梗塞で倒れて、そのまま亡くなってしまったらしい。
「死んじまう直前、なんか男の声が聞こえたような気がしたんですが……たぶん気のせいでしょう。店も開けてなかったんで」
店主さんはそう言うけれど、ジャル様と私はその声の持ち主に思い当たる節があったので、思わず顔を見合わせてしまう。この場にリオン様とサディさんもいたら、二人とも頭を抱えていただろう。ダニーさんはこの私たちの様子を見て首を傾げていたけれど、特に何かを尋ねてくることはなかった。
その後も私たちは店主さんの話に黙って耳を傾ける。
「んで、俺はこの世界に転生? とやらをしたらしいんだが、それに気が付いたのは十八の頃でね。当時の俺は神王国に住んでたんだが……まあ、ちょいとばかしヤンチャなガキでな」
彼はいわゆる貧民街の出身で、スリなどで生計を立てていたらしい。悪事がバレて警備隊の世話になったことも一度や二度ではないとか。
その話を聞いて、ジャル様は難しい表情を浮かべて考え込んでしまった。
「魔王国にも貧民街と呼ばれる区画はありますし、スリのような犯罪行為も無いとは言い切れませんが……神王国は魔王国よりもその辺りの更生支援や法整備が上手く進んでいないとは聞いたことがあります」
主にウォルフのせいで、とジャル様が最後に小声で付け加えたのを私は聞き逃さなかった。ウォルフ様の残した負の遺産のせいで過労で倒れた先代の神王様と、その先代の神王様の跡を継いだリオン様の苦労を知っているからかジャル様は少しだけ険のある表情を浮かべている。
この表情に気が付いたダニーさんが、おいおい、と努めて軽い口調でジャル様に話しかけた。
「そんな恐い顔すんなって。今は坊ちゃまがお前を手本にして頑張ってんだからよ」
「……ダニーのその物言いは注意したいところではありますが、今回は見逃してあげましょう」
ジャル様はそう言うとふう、と小さく息を吐いた。そして軽く眉間を揉み、いつもの柔らかな雰囲気に戻って「どうぞ続けてください」と店主さんに続きを促す。
店主さんは先ほどまでのジャル様の様子に若干驚いていたみたいだったけれど、すぐに気を取り直したのか「それで」と口を開いた。
「いい加減顔馴染みになっていた警備隊員に一発頭をぶん殴られた時、前世を思い出したんです。それからはさすがにスリなんてとてもやれないと思って、心機一転働こうとしたんですけど……その、神王国ってのは、飯が不味くて……」
ご飯が美味しくないというその言葉を聞いて、私はああ……と遠い目をしてしまった。
店主さんは前世が日本人で、そして居酒屋を営んでいた。少なくとも私よりは料理に造詣が深いだろう。そんな彼が美味しくないご飯に満足なんて、とてもではないができなかったのは想像に難くはない。
「この間まで悪さやってた奴に包丁を握らせる馬鹿なんているわけない。もちろん、そんな奴が賄い飯をもらえるだけありがたいってことも分かってたさ。それでも、前世を思い出した俺には神王国の飯はとてもじゃないが口に合わなかったんです」
そういえば、以前リオン様とサディさんも言っていた。神獣はあまり美味しくないって。そして、魔獣と同じで家畜化もできないだろうから、品種改良で味の改善なんていうことも望めないだろう。
「土壌は悪くないからいい作物は育つんだが、俺が働けるようなところに流れてくる野菜や果物なんてたかが知れてるからな。でも、それだけならまだ良かった。茹で野菜に塩振って食うだけなら俺だってまだ我慢できた」
彼はいったい何に我慢ができなかったのだろう、と考えているのはどうやら私だけらしい。ジャル様どころかダニーさんまで、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
二人の表情を見た私は、恐る恐る店主さんに尋ねた。
「あの、我慢できなかったというのは?」
「ああ、それはな……神王国の料理ってのが、クソ不味い神獣をどうにかして食うっていうのに特化してたんだよ」
「へ?」
「神獣ってやつは獲ってすぐにしっかり血抜きしても臭いし、どれほど丁寧に下処理してもエグ味はあるし、煮ても焼いても蒸しても揚げても塩漬けにしても燻製にしてもクソ不味い。そんな神獣と一緒に調理してみろ。どんだけ美味い野菜でも一発で死ぬ。神獣ってやつは、全ての食材を殺す食材なんだよ」
店主さんの目には相当な恨みがこもっている。話を聞いているだけの私でも、そんな彼の目を見るだけで神獣が相当美味しくないのだということが一瞬で理解できた。
「唯一食えるのが魚介類だったんだが、何せ俺が住んでいたのは内地でね。魚なんてとてもじゃないが食えなかった。だから俺は必死に金を貯めて、海沿いの街に引っ越したんだ。そこの街の飯は、まあ内地よりは美味かったよ」
ようやく満足のいく生活を手に入れた店主さんだったが、その街の船乗りから「魔王国のご飯が美味しい」という話を聞いてしまったらしい。
「そんなことを言われちゃあ、気になっちまうだろ? だからまた必死に金を貯めて、今度は魔王国に移住したんだ」
店主さんはあっさりと言うけど、国を跨いでの移住は昔よりは規制が緩くなったとはいえ、今でも難しいはずだ。移住するまでには相当な苦労があっただろう。だけど店主さんはそんなことを感じさせないくらいに明るく笑っていた。
「まあ、そんな経緯です。客商売だってのにこう、口が悪くて変な口調になっちまうのも、元々の育ちが育ちなもんで。これでもだいぶマシになったんですけどね」
「それにしちゃあ、俺に対する態度はツンケンしすぎじゃないか?」
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