お飾りの妻だったのに、冷徹な辺境伯を絶倫にしたところ溺愛妻になりました

季邑 えり

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1巻

1-1

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   ◆プロローグ


った……!」

 まさか、アレが勃起ぼっきするとは思いもしなかった。
 隣ですやすやと気持ち良さそうに寝息を立てているのは、今日結婚式を挙げたばかりの妻だ。
 だが、さっき「俺は君を愛することはない」と厳しい顔で言い放ったばかりの相手だ。
 それなのに股間が盛り上がっている。


 それもギンギンにっている。


 冷徹で知られるバルシュ辺境伯たる自分が、年下の可愛らしい女性に欲情するとは嘆かわしい。
 だが、初めての感覚に全身が喜びで打ち震えている。全身の血が歓喜して股間に集まり、打ち込む時を今か今かと待ちわびている。ありえないほどに硬くなり、貫くことを至上の命題とする杭となって存在を主張している。
 この寝室にいるのは、子づくりを期待する執事を納得させるための一刻だけと決めていた。同衾どうきんしたふりをして部屋を出ていくつもりだったが、いきりつ愚息はその意見を受け付けない。
 隣には、辺境伯たる己がいるにもかかわらず「おやすみなさい」と挨拶をしてさっさと寝てしまった妻がいる。
 彼女の髪から花のような甘い香りがただよってきた。ぷっくりとした唇は可愛らしく、長いまつ毛は瞼に陰影を落としている。華奢きゃしゃでありながら、胸元にはけしからんほどくっきりとした谷間があり、白く盛り上がった乳房の形がはっきりと見え……あまりのギャップに股間が痛い。
 ゴクリと喉を鳴らしてしまう。


 ――さ、触ってもいいかな。


 いや、いかんだろう。なんといっても「愛することはない」と宣言した直後だ。
 こんなことになるとは思わず「白い結婚」を言い渡したのは俺なのに、すぐに手を出すことは辺境伯たるプライドが許さない。
 それに妻とはいえ、遠い王都から移動してきたばかりで結婚式を終え、もう寝ている女性だ。
 さくらんぼ色のつややかな髪が白いシーツの上に波打っている。瞼を閉じ長いまつ毛を伏せた寝顔はずいぶんと幼く見えるものの、二十歳を過ぎた妙齢の女性だ。
 千人もの男を骨抜きにした魔性の女と聞いているが、可愛らしい口を半開きにして寝ている姿からは想像もできない。
 いや、この谷間には顔を埋めてみたいと思うが、それにしては――……
 あの彼女に似ているのは気のせいだろうか。髪の色が違うことを除けば、整った顔や愛らしい唇、そしてこの俺に親しみを持って話しかけてくるところなど……心の奥にそっとしまった令嬢とそっくりだ。
 いかん。余計に股間が痛くなってきた。
 ルドヴィーク・バルシュ辺境伯である俺は、三十を目前に初めてもんもんとした思いで寝付けなくなる。
 隣ですやすや寝ている新妻を眺めつつも手を出せず、夜明けまで己の欲望と戦い続けた。そして翌朝、気持ち良さそうに目を開けた彼女に、悲痛な顔をしながら頭を下げて懇願こんがんする。

「――アリーチェ殿、頼みがあるのだが……」

 プライドを捨てた俺は、これまでの生涯で初めて土下座をしたのだった。



   ◆第一章


《Sideアリーチェ》

 悲痛な一夜からさかのぼること一年前。
 王都に出てきたばかりのアリーチェは、あるものを探すために路地裏に入っていった。

「アリーチェ様っ、どこですかぁ――っ!」

 侍女のシェナが私を捜す声が聞こえるけれど……ごめんなさい! 今日は一人で行動すると以前から決めていた。

「えっと……この道を曲がって、先に進むのよね……おかしいなぁ」

 それまで住んでいた田舎いなかの領地と違い、王都の道は入り組んでいる。気がついた時には、子爵令嬢である私が足を踏み入れてはいけない、治安の悪い地域に立っていた。
 ――どうしよう、迷子になっちゃった……?
 町娘のような服装をして、髪の色を桃色から黒色に染めている。
 けれど所作などから、どうしても金持ちの娘と思われていた。帽子を被っていても、柔らかい髪がふわふわとはみ出している。
 それでも探している店の方向へ進むと、道がだんだん狭くなっていく。戻ろうと思い振り返れば、前方をはばむように男たちに囲まれてしまった。
 怪しげな男たちに目をつけられ、どこにも逃げることができず追い込まれてしまう。

「ひっ、ひひっ。この白い肌、いいところのお嬢様かなぁ」
「見ろよ、可愛らしい口をしているぜぇ」

 舌なめずりをした男たちは、今にも襲いかかろうとしている。

「や、やめてください……私、探している店があるので、道を開けてください」

 目の前を塞がれ、壁を背にすると恐ろしさで声も小さくなる。男たちは下卑げびた笑いをしながら、近寄ってきた。
 両手を胸の前で握りしめ、震えを見せないようにするけれど、私が男たちを怖がっているのは明らかだった。

「なぁ、俺たちがその店を教えてやるよ」
「い、いやっ! 触らないで」

 腕が伸ばされ肩に触れようとしたその時、通りかかった背の高い男の人が声をかけてくる。

「おい、そこの者たち、娘は嫌がっているぞ」
「なんだよ、お前は……っ、ひっ」

 怪しげな男たちは背の高い方の顔を見て、一様に「ひっ」と身体を縮こまらせた。
 まるで自分より強い獣に目をつけられた動物のように態度を変えるが、一人だけ抵抗する。

「こ、こいつは俺たちに道を聞いてきたんだ……あんたには関係ないだろうっ」
「そうなのか?」

 低い声が頭の上から降ってくる。私が助けてほしいと顔を上げると、背の高い男性の顔には黒いもやがかかっていた。それも、ありえないほどの量のもやだ。

「えっ」

 驚きすぎて声が詰まる。
 もともと私には、人にまとわりつく黒いもやが見える。そして彼には、これまで見たこともないほど濃くて黒いもやもやがまとわりついていた。
 あまりにも凝縮しすぎて、顔の造形がわからないほどだ。
 私が驚きの表情を見せた途端、狼藉ろうぜきものが手を伸ばしてくる。思わず「いやっ」とその手を払うと、背の高い方が私の身体を守るように間に入った。

「彼女はお前たちに、触れられたくないようだな」

 低い声を発しながら、彼は男の肩を掴んだ。
 すると怪しげな男たちは怯え、一瞬で動きを止める。同時に圧倒的な強者のオーラを浴び、蛇に睨まれたカエルのように震え上がった。

「わ、わかったよ……こいつにはなんにもしていねぇから……見逃してくれよ」

 両手を上げて降参のポーズをした男たちは、後ずさりする。それほどまでに、背の高い方は恐怖心を彼らに与えていた。

「お前たち。一つ聞くが、――の魔女のことを知っているか?」
「魔女だって? いや、知らねぇな」
「そうか、では行くがいい。この場に留まるというなら、余罪を吐かせてやろう」

 背の高い方が一睨みしただけで、男たちはサーッとその場を去っていく。どうやら身の危険を察知する能力は高かったようだ。
 怪しげな男たちが去ったのを見て、ホッとして胸に手を当てる。すると背の高い方は振り返って声をかけてきた。

「ここはあなたのような令嬢には危険な地域だから、早く戻りなさい」

 近くで見ると、かなり大柄な男性だ。シンプルだが上質な生地を使った軍服姿で、高貴な地位と思われる。背筋を伸ばして立っている姿は威厳があり、見る者を圧倒した。
 相変わらず顔はもやがかかっているため見えないが、助けてくれたお礼を伝えなければと、勇気を振り絞って微笑んだ。

「あの……助けてくださり、ありがとうございました」

 すると彼は「うぐっ」とうめいた。
 えっ、何かおかしなことをしちゃったのかな……と見つめていると、男性はポツリと言葉をこぼす。

「私の顔が怖くないのか?」
「怖い? ……いいえ、そんなことはありませんが」

 怖いという前に顔が見えない。
 私は不思議なことに、手で払うと黒いもやをなくすことができる。だからもやを取り払いたいけれど、いきなり初対面の人の顔を払うことはできない。
 それにまだ目的の店を探せていないのにと思った途端、かくんと膝が折れてしまう。

「あっ」

 すると彼のたくましい腕が私の胴に回り、危うく地面につく前に抱え込まれた。筋肉質な彼に抱き留められ、心臓がトクンと大きく高鳴る。

「大丈夫か?」
「は、はい……すみません、膝に力が入らなくて」

 彼の低い声を耳元で聞くと、トクトクと鼓動がうるさいくらいに鳴り始める。身近に彼の体温を感じると、顔に血がのぼるようだ。

「すみませんっ、今頃怖くなってきちゃったのかな」

 すると男性は「大丈夫か?」と言い、私の様子をうかがうように顔を覗き込む。

「まだこの地域は危ない。もし、私が怖くないのであれば……馬車まで送ろう」
「あ、はぁ……ありがとうございます。でも、私は……って、きゃあっ!」

 彼は私が返事をした途端、膝裏に手を伸ばすとそのまま横抱きにした。思わず彼の首に手を回してしまう。

「あ、あの! 自分で歩けますから」
「だが、膝に力が入らないのであればこの方が安全だ」
「で、でも……こんな、重いのでは」
「ははっ、羽根のように軽いから大丈夫だ」

 男性はほがらかに笑いながら先を進んでいく。落ちてはいけないとしっかりと首を持ち、身体を寄せる。男性はがっしりとした体格で揺らぐことはない。
 力強い腕に厚い胸板を感じ、私の心臓は早鐘のように鳴っている。
 ど、どうしよう……こんなことになるなんて。
 慣れない触れ合いに頬が熱くなる。恥ずかしいと思いながらも、不思議と抵抗感はない。顔は見えなくても、彼の心根が優しいことは伝わってきたからだ。

「それにしても、どうして君はあんな路地裏に一人でいたのだ?」

 男性は歩きつつ疑問を口にする。
 それはそうだろう、私のような令嬢が入り込んでいい場所ではない。

「あの……少年を好きな魔女がいると聞いて、やってきました」
「少年を好きな……魔女?」
「はい。その方の薬を飲めば、小さな男の子を好きになることができると聞いて」

 怪訝けげんな声を出した彼は、「どうしてそんな薬を求めるのか?」と尋ねてくる。
 どうしようかと迷ったものの、正直に胸の内を話すことにした。

「実は、私は今まで跡取り娘として育てられてきました。でも……この前、弟が生まれて。すると、もう私は跡を継がなくてもいいからって。これまで頑張ってきた勉強も、もういいと言われて」
「……そうか」
「それで、まだ小さな弟が憎くなってしまいました。この子が生まれなければ、とか。そんなことを思ってしまう自分も嫌でたまらなくて。でも、魔女が少年を好きになる薬を売っていると聞きました」

 大通りに出るまでの道すがら、彼は静かに話を聞いてくれる。
 私はなぜか、顔も見えない相手に悩みを語り、自分のみにくいところをさらしていた。

「君は優しいんだな」
「そんなこと、ありません。弟を好きになりたくて」
「無理しなくてもいい。家族だからと言って、誰しもが無条件に好きになれるものでもないだろう。無理をしても……そうしたことは、どこかで反動が出てしまう」

 低く落ち着いた声で『無理に好きにならなくてもいい』と言われると、心の中に刺さっていたとげが抜けていく。
 まるで背中を撫でられたように、ぬくもりが伝わってきた。

「無理しなくてもいい……」
「ああ、それに魔女を頼るのは良くない。あれはそんな、人を助けるような存在ではない」
「そうなのですか?」
「俺も魔女を探して調べているが、あいつらは人助けをするふりをして、だますのが仕事だ。君も気をつけた方がいい」

 そこまで言われると、もう魔女を探す気持ちにはなれなかった。それに、彼の言葉で私の心は軽くなっていた。
 大通りに出ると、シェナが馬車の近くで待っているのが見える。彼女は私の姿を見つけると、息を切らして駆け寄ってきた。

「お嬢様! ご無事でしたか?」

 シェナはようやく私を見つけることができ、安堵の声をこぼした。
 しかし私を抱き上げる男の顔を見た途端、表情を引きつらせる。どうやら何か勘違いしたのか、恐怖に染まっている。

「違うの! こちらの方に、危ないところを助けていただいたの」
「お、お嬢様……」
「私を守ってくださった、勇気のある方よ。そんな顔しないで」

 シェナを安心させようと、私は彼の方を向いて柔らかい笑顔を見せた。

「供の者が失礼をしました、助けていただいたお礼を何かさせてください」

 私の笑顔をすぐ傍で見た彼は息を呑む。男らしい喉仏がゴクリと動くと共に、低い声が発せられた。

「それは必要ない」
「でも……」

 どうしよう。このまま彼の腕の中にいたい……と思っても、あっという間に馬車に近づいてしまう。
 ギィ、と従者が扉を開けると彼は長い足を動かして中に入り、長イスに私を座らせた。
 そのまますぐに外に出ようとしたため服を掴み、上目遣いに見上げる。

「あの……お、お名前を教えてください」
「……いや、これからは供とはぐれないように」
「では! これで汗をお拭きください!」

 私は馬車に置いていた鞄の中から、可愛らしい桃色のハンカチを取り出した。

「あっ、ご、ごめんなさい! こんな色しかなくて」

 ただでさえ子どもっぽいのに、こんな桃色のハンカチを渡してしまうなんて。恥ずかしさで目を伏せるけれど、彼は気にしない様子で受け取った。

「ありがとう、では、これだけいただいていこう」

 彼はハンカチを持つと大きな手で私の頭を撫でる。そして風のように馬車から降りた。
 横抱きをされている間に少しだけ黒いもやを払ったけれど、気晴らし程度のものだ。もっと時間をかけて、全てのもやを払いたかったのに。
 でも、彼はもういない。
 馬車に入ってきたシェナに聞いても、すぐに去っていったと言う。

「シェナ……私ったら、自分の名前も伝えられなかったわ」
「アリーチェ様、それで正解です。このように危険な目にあったことを、社交界で話されてしまうといけませんから」

 シェナの言う通りだけれど、やはりきちんとお礼を伝えたい。顔はよく見えなかったけれど、正義感にあふれた素敵な男性だった。

「でも……あのように恐悪な顔をされていたので、てっきりお嬢様をさらおうとしているのかと思いました」
「まぁ、そんなにも怖い顔をされていたの? 私、もやがかかっていてわからなかったの」
「それはそれは……あの方はとてもいかつい表情をされていて、本当に恐ろしくて」
「そうだったのね。優しい人だと思ったのに……黒いもやもかかっていたけど、胸の辺りは温かかったわ」

 シェナは眉根を寄せると「お嬢様」とため息を吐いた。
 彼はよほど恐ろしい顔をした人物のようで、ちょっぴり悲しくなる。
 私には見えなかった彼の顔を、シェナに聞きながら頭の中で想像する。たくましい身体つきで、厳しい表情の人だろうか。
 シェナによると、顔つきは悪の集団の首領と言われても信じられるものだったという。
 ――けど、彼は、そんな人ではないわ。あんなにも優しかったもの……
 私の心の内を聞いても否定することなく、温かい言葉をかけてくれた。もう、無理をしなくていいと言われたおかげで、私はようやく気持ちに区切りをつけることができていた。


 王都の屋敷タウンハウスへ無事に帰ることができた私は、これまでを反省して弟のために肌着を用意することにした。
 ずっと姉らしいことをしていないから、名前を刺繍しようと針を手にとるけれど。

「素敵な人だったなぁ……」

 つい、ため息を吐いてしまう。お礼を言いたいのに、助けてくれたあの方の名前すらわからない。落ち込んでばかりいてはいけないと、王立図書館に行き調べると、彼とおぼしき人物に辿り着いた。
 肩章に描かれていた竜の紋と屈強な体つき、特徴的な軍服と一つにくくられた長い黒髪から、ルドヴィーク・バルシュ辺境伯、その人であると思われた。
 ――バルシュ辺境伯閣下……
 彼はいつ攻め入ってくるかわからない隣国に武力で睨みを利かせ、このシャリアード王国を守っている重要な人物だ。さらに国境には魔物の湧く森があり、常に緊張をいられている。
 バルシュ辺境伯のひきいる騎士団は、この王国でも最強とうたわれていた。
 現バルシュ辺境伯は父親が早く亡くなったため、幼少期に爵位を継いでいる。そのため若い頃から戦いに身を置き、見る人を震わせるほど恐ろしい人物だという。
 羽色ばいろの髪に眼光鋭い黒眼で、容姿端麗であるが故に恐怖を感じさせるともっぱらのうわさだった。
 部下もつけず、単身で王都を歩いているはずはない身分の人。
 けれど一睨みするだけで悪漢を従わせる、あれだけの強さを持つのであれば護衛など必要ないのだろう。
 名前はかろうじてわかったけれど、そのことで一層落ち込んでしまう。
 ――雲の上の人だったんだ……
 同じ貴族とはいえ子爵令嬢では、身分が釣り合わない。
 それに辺境伯閣下は、舞踏会といった賑やかな場所は好まないといううわさだった。もう一度会いたいと思っても、機会もない。
 お礼状を書いたけれど、間違っていた場合は失礼になるため出せなかった。何もできずにいることで、私の胸の中にはバルシュ辺境伯への淡い想いが積み重なっていくのだった。


   ◆


 部屋に置いたソファーに座りながら、私は開いていた本を膝の上に置いた。目は文字を追っているけれど、ため息しか出てこない。
 王都にいれば、いつかまた会えるかもと思っていた。けれど彼は普段は辺境にいて、王家に代わって敵の侵略を防いでいるという。
 そんな方とお知り合いになるなんて、ただの子爵令嬢には無理なこと。
 いつも辿り着く答えに、つい深く息を吐いてしまう。
 するとコンコン、と扉を叩く音がする。私は読んでいた本にしおりを挟むと、ぱたんと閉じて返事をした。

「はーい、どなた?」
「アリーチェ、私よ。いいかしら」

 部屋に入ってきたのは、いつも通り朝帰りをしたアミフェ姉さまだ。
 燃えるように赤くうねる髪にくろ翡翠ひすいの瞳、目尻がちょっぴり上がった美人で自慢の姉。美しすぎてモテモテで……ちょっと夜遊びが激しいけれど、とても素敵な女性だ。

「もう、夕べも出かけていたら疲れちゃって」
「姉さま、昨夜も寝ていないの?」
「そうなの、閣下おじさまが離してくれなかったのよ」

 ふわぁ、とあくびをした姉さまは、私の座るソファーの隣に座った。たわわに実るむっちりとした胸の谷間がくっきりと見える服を着て、まだ寝足りないといった顔をしている。

「アリーチェ、いつものお願いできる?」
「もうっ、仕方がないなぁ」

 手を伸ばして姉さまの腰に触れると、もわもわと黒い煙のようなもやが立ちのぼる。私にしか見えないそれを、手を左右に振って散らす。
 十代の後半を過ぎた頃から、私には不思議な力が現れた。人にまとわりつく黒いかすみがかったもやが見え、ほこりを払うように手を振ると、それを綺麗になくすことができる。
 この世界にも魔法はあるけれど、幼い頃から使えるのが普通だ。
 私みたいに成長してから現れるのもおかしいし、それに、ただもやを払うだけの力だからと、お父様から他言しないように言われていた。
 払われた人は疲れがなくなるのか、スッキリとした顔を見せてくれる。やりすぎると私の方が疲れて眠くなってしまうから、普段はほどほどにしている。
 でも家族である姉さまから頼まれると、断ることはできない。

「はい、終わりました」
「はぁーっ、生き返るっ! アリーチェ、いつもありがとうっ」

 姉さまは腕を伸ばすと私の後頭部を抱え込むようにして抱きしめた。すると豊満な胸が顔面にきて、押し潰される。

「わぷっ、ね、姉さま! く、くるし……」
「もうっ、本当にアリーチェは可愛いんだからっ!」
「そ、そんなこと……ありまへっ」

 ちゃんと話をしたいのに、胸を押しつけるようにぐりぐりとされ、頬にやわはだが触れる。

「もうっ、アリーチェはいつもそう言って。この白くて柔らかい肌にくりっとした菫色すみれいろの瞳、ぽってりとした唇で、もう誰が見ても本当に可愛いのに!」
「姉さま。でも姉さまだけですよ、そんなことを言うのは」
「本当に貴族の男たちは見る目がないんだからっ!」

 そう言うけれど、むにゅっと胸を押しつけてくる姉さまの方がよほど美人だ。
 私は背が低くて童顔だから、男の人からはそうした対象には見られない。それは別に構わないのだけれど……
 目の前にある谷間を見ると、姉さまの白い肌に誰かが吸い付いたようなあとがあった。

「あれ、姉さま。こんなところが赤くなっていますよ」
「え、やだっ、ほんと! もうっ、見えるところにはつけないでって、いつも言ってるのに」
「……またですか?」
「そうなのよ! 昨夜は盛り上がったから、私も油断しちゃったわ」

 姉さまはようやく胸を離すと、あははと言いながら頭をかく。あっけらかんとしている姉のことが大好きだけど、実は母親が違う。
 アミフェ姉さまとはいわゆる異母姉妹だ。
 姉さまの母親は南国から来た踊り子だった。私たちの父親であるベルカ子爵が結婚する前に、ねや教育を兼ねて身体を重ねた時に授かった子どもだ。
 踊り子だった母親は娘を産むと、赤子を置いてすぐに旅芸人のところへ戻ってしまった。父は婚約者であった母と相談し、その子も娘として育てることに決めた。
 そしてその後、結婚した二人から私が生まれている。母親は違っても、私たちは姉妹として仲良く育った。
 姉さまは年ごろになると身体つきが変わっていく。踊り子だった母親も見事な身体つきをしていたらしく、それを受け継いだのか豊満な胸にくびれた腰、張りのある臀部でんぶと男性を魅了する身体に育った。
 それに比べ私の背は低く、顔は母親に似て少し幼く見える。
 胸の大きさだけは姉さまにも劣らないけど、妖艶ようえんな美女と言われる姉に対して私はどう見てもちんちくりんだ。
 さらに人込みの中に行くと、黒いもやが目についてしまうため、おのずと人前に姿を出すことを控えるようになっていた。
 おおらかな姉さまは、未婚であるにもかかわらず性に奔放ほんぽうな性格だ。避妊薬を飲めば大丈夫と言って、男性からの誘いを断ることはない。
 ここシャリアード王国は開放的なお国柄のため、子爵令嬢といっても正妻の娘ではないから大目に見られている。
 そうしているうちに、姉さまは男性を手玉にとる『魅惑の子爵令嬢』と呼ばれるようになる。
 けれど本人は気にすることはなく、武勇伝とばかりに胸を張っていた。私にとって、誰が何を言っても彼女はキラキラと輝く誇らしい姉だ。
 さらにこの頃、姉さまのうわさ話に尾ひれがついて、『童貞千人切りの美女』と言われている。本当かしらと聞いたところ、本人は「どうかしらね?」と微笑んでいた。
 そして先日も姉さまはある男性から観劇に誘われていた。

「アリーチェ、たまには一緒に劇を見に行きましょうよ。良い席がとれたんですって」
「でも……誘われたのは姉さまです」

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