お飾りの妻だったのに、冷徹な辺境伯を絶倫にしたところ溺愛妻になりました

季邑 えり

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1巻

1-2

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 注目を浴びまくっている姉さまの後ろに、妹の私がいたら目立ってしまう。ただでさえ人混みは苦手なのに、視線を浴びてしまうとどうなるのか、自信がない。

「そうね……私の妹とわかると、危ないかしら」
「姉さま、どう危ないのですか?」
「突然、声をかけられるのよ。僕の筆おろしをお願いします、とか」
「筆おろし?」

 また初めて聞く言葉だ。姉さまは時折、私が知らないことを話す。

「そうなのよ……でも、アリーチェだと事故になっちゃうから、危ないわよね」

 筆おろしが事故になるって、どんな筆だろう。私の頭の中にははてながたくさん浮かんでしまう。いつもなら、すぐに意味を聞くのだけれど……姉さまは手をポンと打つと、いい事を思いついたとばかりに顔を輝かせた。

「私の侍女のふりをするのはどうかしら?」
「侍女ですか?」
「そうよ、地味なドレスにして髪も詰めておけば、誰もあなたを妹だと見抜けないわ」

 姉さまは男性と出かける時、どうせ泊まりになるからと侍女を伴うことはない。子爵令嬢としてどうかと思うけれど、常態化しているからか、もはや誰も注意しなかった。

「そこまでして劇を見に行くのも……それに、姉さまのデートを邪魔するようで気が引けます」
「あら、今回の題目はあなたの好きなお話が元なのよ」
「えっ!」

 なんと、私が夢中になって追いかけていたお話が上演されるという。人気がありすぎて席が取れないと聞いたけど、姉さまの気持ちを掴みたい紳士がボックス席を手に入れたようだ。

「二階席だから、他の人の視線も気にならなくていいわよ」
「それなら……ちょっと、行きたいかも」
「あなたに侍女のふりをさせるのは、申し訳ないけど」

 綺麗な眉尻をへにゃりと下げた姉さま。そんなお顔も美しい。

「その方が私も落ち着いて観劇できるから、大丈夫です!」

 目立つことは苦手だけれど、劇は見たい。それを叶えることができるなら、と私は侍女シェナに服を借りて変装をする。姉さまはいつものごとく、薔薇ばらの花が咲き誇ったかのように美しい、深紅のドレスを選んでいた。

「行くわよ」
「はいっ、姉さま……あ、いえ、アミフェ様」

 一緒になって子爵家の馬車に乗り劇場へ向かう。お相手の方は入り口で待っているとの話だった。そう、お相手の方が……一人、と思っていたけれど。
 劇場に到着すると、私たちを待ち構えていたのは一人ではなかった。
 二人の紳士がタキシード姿で立っている。そして姉さまの姿を見るとすぐに、エスコートをするために近づいてきた。
 馬車を降りたところで、二人が鉢合わせをしてしまったのだ。

「君、私が今夜誘ったのだが?」
「いえ、約束したのは僕の方が先でした」

 初老とおぼしき男性と、どう見ても姉さまより年下に見える男性がバチバチと視線を戦わせている。どちらも多分、姉さまにはタイプの男性に違いない。

「アミフェ様、これはどういった状況なのでしょうか」
「まいっちゃったわ、お二人と約束していたみたい」

 まいったではない。
 二人は今にも決闘しかねない雰囲気になっているのに、姉さまは呑気のんきなものだ。どうしたものかと思っていると、姉さまは二人に近寄りその中央に立った。

「ねぇ、私の腕は二本ありますのよ。それぞれエスコートしてくださらないかしら?」

 堂々と言い放つ姉さまにあっけにとられたのは私だけでない。騒然として成り行きを見ていた周囲の人たちも、度肝どぎもを抜かれたようだった。
 紳士たちもはじめは目を丸くしたけれど、姉さまの両隣に立つとそれぞれ片腕を出した。
 こんな姿が許されるのも、アミフェ姉さまだからだ。両手に紳士を従わせ、中央の大階段を堂々とのぼっていく。
 私はその後ろをちょこちょこと歩いていくのみ。
 結局、二つあるボックス席の一つに私だけが座り、アミフェ姉さまたちは違うボックス席に行ってしまった。
 劇をしっかりと観たのは私だけだった。……と思う。
 二人の紳士に挟まれた姉さまは、ずっと話しかけられていたのか、お話が頭に入らなかったという。劇が終わったところで合流すると、姉さまは頬をうっすらと赤く染めていた。心なしか髪も乱れている。

「アリーチェ、あなたは先に帰れるかしら? 私はこの方たちと、もう少しお話があるの」
「ええ、大丈夫です。そうなるかと思っていました」

 きっと紳士たちと夜通し話をされるのだろう。私は劇の余韻よいんひたりながら我が家の馬車に乗り込んで帰宅する。
 そうして翌日、朝帰りをした姉さまはやはり黒いもやを腰の辺りにまとわせていた。

「姉さま、今日はいつもより濃いですね」
「……そうね、二人同時に相手したから、ちょっと激しかったわ」

 手をかざしてパンパンと払い終えると、いつも通り姉さまはスッキリとした顔を見せる。そしておもむろに話し始めた。

「アリーチェ、そういえばお父様がもうすぐ王都へ来られるわね」
「ええ、大事な話があるらしいけれど……何かしら」

 普段は領地にいるお父様が来ると聞き、王都にあるベルカ子爵の屋敷タウンハウスに滞在する私たちは顔を見合わせた。
 姉さまは「またお説教かしら」と頭をかきながら遠くを見る。
 けれどお父様が持ってきたのは、適齢期の娘には当たり前すぎる話だった。


   ◆


「はあっ? お父様、この私が結婚ですか?」
「アミフェ、何をそう驚くことがある。お前もアリーチェも成人したからには、こうした話の一つや二つあってもおかしくはないだろう」

 旅装をいたお父様は早速私たちを部屋に呼び寄せると、一通の証書を差し出した。そこには『ベルカ子爵令嬢と婚姻を結びたい』と記されている。いわゆる政略結婚の申し込みだ。
 そして、そこに書かれた差出人に驚きを隠せない。名前を聞いた途端、私の心臓がドクンと大きく鼓動する。
 ――ルドヴィーク・バルシュ辺境伯。
 あの時助けてくれた人だ。

「でもお父様。バルシュ辺境伯といえば、全く女性を寄せ付けないという話です。男色のうわさもあるような方から、本当に申し込まれたのですか?」
「ああ、だから何かの間違いかと思って使者に聞いてみたが、やはりお前をめとりたいようだ」
「まさか!」

 姉さまは驚きのあまり口をあんぐりと開いた。
 美人と名高い姉を求める男性は多いが、正式な婚姻となると話が変わる。男性と浮名を流しまくっている令嬢をめとるなんて、相当の覚悟がいるはずだ。

「アミフェをどこかで見かけたのかもしれないな」
「会ってお話ししたこともないのに。求婚してくるなんて非常識だわ」

 納得がいかないとばかりに怒り出した姉さまが、お父様をなじるように詰め寄った。

「お父様、私は結婚などしません。以前からそう伝えているではありませんか」
「わかっておる。私もうわさのあるお前をめとりたいと、酔狂すいきょうなことを言う御仁ごじんがおるとは思っていなかった」

 お父様も姉さまには手を焼いているのか、既にいろいろと諦めている。ベルカ子爵位は生まれたばかりの幼い弟に継がせればいいと、私たちを自由にさせていた。
 それなのに、王族に次ぐ地位といってもおかしくない辺境伯からの申し込みに、頭を抱えている。

「これがアミフェではなく、アリーチェであればなぁ……お前であれば、辺境伯夫人として立派にやっていけるのだが」
「そうよね、私なんかよりもアリーチェの方が喜ばれるわよ」

 お父様はジトッとした目で姉さまを見た。母親は違えど姉妹のはずなのに、ここまで性格も容姿も違う娘に育つとは思ってもいなかった、という顔をしている。
 姉さまは姉さまで、父親から何を言われても動じない。
 確かに、私は一年ほど前までは子爵領にいて、跡継ぎ娘として教育されていた。将来は婿むこをとってベルカ子爵領に骨を埋めるつもりでいたから、必死になって学んでいた。
 でも、それは年の離れた弟の誕生で急変した。
 もう跡を継ぐ立場からは解放されて、王都に出てきた私は読書三昧ざんまいとのんびり過ごしているけれど……
 戸惑う二人を見ていた私は、覚悟を決めて拳をキュッと握りしめる。
 ――彼に会えるかもしれない。
 それに大好きな姉さまと、困っているお父様を助けるためだ。

「お父様! 私がバルシュ辺境伯閣下のところへお嫁に行きます!」
「「アリーチェ?」」

 驚く二人を横目に証書を手に持って広げると、よく読むようにと指し示す。

「ここをよく見てください。ベルカ子爵令嬢と書いてあるだけで、お姉さまの名前ではありません。それなら私でも大丈夫です」
「だが……いや、確かにそうだな」

 お父様は考え込むようにあごに手を置くと、二人の娘を見た。どちらも十八歳を超え成人している。私は社交界に顔を出していないが、立派に育った娘の一人だ。

「アリーチェはそれでもいいの? バルシュ辺境伯と言えば、冷徹とうわさされている方なのよ」
「姉さま、それならなおのこと私の方が適任です。この手があれば、疲れをいやすことができるので重宝ちょうほうされると思います」
「それはそうかもしれないけど。でも……」
「大丈夫です。私、辺境伯閣下を一度お見かけしていますが、とても素敵な方でした! あの方のところにお嫁へ行けるのでしたら、嬉しいです」
「まぁ、そうなの? でもバルシュ辺境伯の領地は遠いから、あなたがいなくなると寂しくなるわ」

 姉さまが私をぎゅっと抱きしめると、頬に豊満な胸が当たった。

「く、苦しいです……お、お姉さま」

 むぐぐ、とうなりながらも姉さまの惜しみない愛情に嬉しくなる。領地にいて弟につきっきりの母親に代わって、王都に出てきた私の世話をしてくれた。
 いろいろとうわさはあるが、私にとっては大切な家族だ。

「アリーチェさえよければ、お前の方が辺境伯夫人として心配は少ない。アミフェを希望したら、遠慮しないで帰ってくればいい。それはそれで、考えるから」
「お父様」

 眉根を寄せつつも、優しいお父様は仕方がないとばかりに証書の返事を書き始める。子爵の身分で辺境伯からの求婚をはねつけることなどできないが、せめて娘には幸せになってほしいのだろう。

「だが、どうして我が家なのだろうな……」

 ぼそりと呟いたお父様は、はぁ、とため息を吐きながら筆を進める。返答には私の名前を記し、使者に丁重に渡された。
 こうして私は、バルシュ辺境伯……ルドヴィーク様の元へとつぐことが決まった。
 結婚準備のための婚約期間などももうけられず、身一つですぐに来てほしいと連絡が届く。お父様にはもう一度確認されたが、それでも私の意思は変わらない。
 だって私の胸の中には、ルドヴィーク様が既に住み着いているから。
 結婚が決まり、私は彼を思い返すたびにふわふわとして何も手につかなくなる。
 そんな様子を見たアミフェ姉さまが声をかけてきた。

「アリーチェ、あなた、本当に恋をしているのね」

 恋愛に関して言えば、姉さまは玄人プロだった。

「いい、アリーチェ。恋は駆け引きなのよ、女にとって戦いなの! あなたには私の経験からまとめた『ねやの格言』を教えてあげる」
「姉さま……!」

 それからは結婚への備えと称し、姉さまによるねや特訓が始まった。格言を教わり暗唱する。私にとって、それは刺激的で目の開かれるものばかりだった。


   ◆


 慌ただしくも結婚の準備を終え、荷物を整える。アミフェ姉さまと別れる寂しさはあったけれど、なんとシェナが侍女としてついてきてくれることになった。

「シェナ、本当にいいの? 辺境伯領は遠いところなのよ」
「大丈夫です! お嬢様を一人で行かせることはできません!」

 ありがたい申し出にホッとする。そうしてシェナと一緒に、馬車に乗りバルシュ辺境伯領へ向かっていく。


 堅牢な城壁に囲まれた街に入ると、人々のざわめきが聞こえてきた。
 バルシュ辺境伯領のお膝元である街は活気づいている。窓から外の様子を見ているだけで、うきうきと心が弾む。これから、ここが私の住む街になる。
 私は乗りっぱなしで痛みを感じる腰とお尻をゆっくりと撫でた。すると黒いもやが消えスッと身体が軽くなる。不思議な力のおかげで、弱音を吐くことなく長い旅路を終えることができた。
 辺境伯の住んでいる城の周りには川が流れ、城内に行くには石で造られた橋を渡る必要がある。頑強なとりでの中にある城の正門でガタン、と音を立てて馬車が止まると、扉の向こう側には踏み台が用意されていた。
 服装に乱れがないかを確認して、扉が開くのを待つ。窓からは尖塔がそびえる壮大な城が見える。ここにルドヴィーク様がいると思うと、胸がバクバクしてうるさいくらいだ。
 カチャリ、と鍵が外され扉が開いていく。新鮮で冷たい空気を吸い込むと同時に、一歩足を踏み出した。
 けれど……

「え?」

 どう見ても壊れかかった屋敷が目に入る。到着した先で案内されたのはルドヴィーク様の住む城ではなく、離れにある別宅だった。
 馬車を降りると周囲には誰もおらず、御者ぎょしゃが「こちらです」と案内する。
 目の前にあるこぢんまりとした屋敷は、長いこと使われていなかったのかほこりが舞っている。
 破れたままの窓に、蝶番ちょうつがいの外れたドア。灯りのない屋敷の中は、幽霊が出てきてもおかしくないほど暗い。
 馬車に載せてあった荷物が玄関に運び込まれると、シェナと二人で残されてしまった。どうやら、屋敷にはメイドも配置されていないようだ。

「シェナ……ここが本当に私の新しい住まいなのかしら」

 ギィギィと屋敷の奥からは恐ろしい音が聞こえてくる。二人きりでどうしたものかと眺めていると、下男らしき男が庭から近づいてきた。

「はぁ、あんたたち、お館様やかたさまの新しい嫁さん候補か?」
「嫁さん候補って……! この方はベルカ子爵令嬢なのよ、それなのにこんな屋敷って……あなた、何か知っているの?」
「何かって……おらぁ嫁さん候補が来たら、案内するだけだ」

 下男は屋敷の中に入ると、荷物を持って階段をのぼっていく。屋敷の中の暗さに馴染なじんでくると、なんとか物の在りかは見えてくる。

「シェナ、私なら平気よ。何かの間違いかもしれないけど、とりあえず部屋に行ってみましょう」
「わかりました……お嬢様、後でしっかりと確認しますので、気を確かに持ってくださいね」
「大丈夫よ、このくらいのお屋敷なら領地にもたくさんあったわ」

 てっきりバルシュ城に案内されると思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。本当にここで暮らすことになるのかと不安が胸をよぎる。
 でも、間違いであっても案内されたのだからと気持ちを切り替え、シェナと一緒に屋敷に入っていく。
 けれど、私が想像していたよりもはるかに状態は悪く、春なのに隙間風が入って冬のように寒い。

「ねぇ、シェナ……私、本当にバルシュ辺境伯閣下と結婚するのかしら」
「そうですね……これは、何かの間違いだと思いたいのですが」

 すると屋敷で呆然としている私のところへ挨拶に来たのは、デイモンドという名の筆頭執事の方だった。

「お初にお目にかかります。私が……っ!」

 彼は私の顔を見るなり、ピキリと固まった。「まさか……こんな可憐な方が……」と呟いたかと思うと、すぐにえりを正してお辞儀をする。

「申し訳ありません、このようなお屋敷でお迎えすることをお許しください。これも主人であるルドヴィーク様のご命令でして……その、辺境の地を体感していただきたいとの配慮もあり……」
「デイモンドさん、私のことでしたら大丈夫です。きっとこのお屋敷も掃除をすれば、住み心地が良くなると思います!」

 にっこりと笑った私を見て、デイモンドさんはどこか複雑な顔をしている。けれど、どうやら姉ではないことを不審に思ってはいないようだ。
 ――良かったぁ、アミフェ姉さまではないと言われたら、どうしようかと思ったわ……
 父親は同じなのに、私と姉さまはあまり似ていない。胸がちょっぴり大きいところは似ているけど、それでも姉さまよりは小さかった。
 だけど筆頭執事に認められたから、私でも大丈夫だろう。とにかくベルカ子爵令嬢であれば良かったようだ。
 ホッとしつつも荷物を広げようとすると、彼から結婚式のことを伝えられる。

「簡易ではありますが、式は十日過ぎた頃に行います。必要なものがございましたら、なんなりとお申し付けください」
「まぁ、そんなにも早く式を挙げるのですね……」

 驚きを隠せないけれど、ここまで来たからには覚悟を決める。拳をギュッと握りしめ、「わかりました」と返事をすると、デイモンドさんはホッとしたのか頬を緩めた。

「それで、ルドヴィーク様にお会いしてご挨拶をしたいのだけど、どちらにいらっしゃるのかしら」

 たちまちデイモンドさんは眉根を寄せ、少し困ったような顔をする。

「ご挨拶についてはルドヴィーク様に確認してからお呼びいたします。しばらくお待ちください」
「……そうなの」

 結婚を前に挨拶もないなんて――つい耳を疑ってしまう。けれど彼はにこやかに返答した。

「それではよろしくお願いします。アリーチェ様の手腕には私をはじめ、皆期待をしておりますので――」

 再び丁寧にお辞儀をされて頼まれるけれど、手腕ってどういうことだろう。
 その疑問は明かされることなく、そしてルドヴィーク様に会うこともなく、私は結婚式までの日々を過ごすことになった。


   ◆


「えっ、明日の午後に結婚式?」
「はい、その通りでございます」

 時折、顔を出してくれている執事のデイモンドさんが来て、結婚式の説明をしてくれた。どうやら結婚するのは本当のことらしい。
 顔も見せてくれないのは、忙しいからだと伝えられるけれど……

「ルドヴィーク様は本当に私が相手でいいのでしょうか」
「はい、それはもう……楽しみにされておられますよ」

 楽しみだといいつつ、口の端をヒクッと上げているところを見ると、ルドヴィーク様は納得していないのだろう。
 貴族同士の結婚は心が伴わないことも多いけれど、私としては仲の良い夫婦関係を築きたかった。
 疲れが溜まっているなら、早くこの手でもやを払いたい。はじめは私に愛情を持てなくても、根気良く接していけば、いつかは夫婦として愛情を持てる関係になれる……かもしれない。

「そうでしたか。では、明日を楽しみにしています」

 あの時助けていただいたから、早く恩を返したかった。そんな私を見て、デイモンドさんは嬉しそうに目尻を下げると同時に、しみじみと呟いた。

「しかし……アリーチェ様は誠に働き者でございますな」

 頭巾を被り、袖のあるエプロンを着けて口元を覆う布を巻いている。このほこりだらけの屋敷を綺麗にするために、シェナと二人で一日中掃除をしていた。
 下男にも手伝ってもらい、大きな家具の天井や照明器具までも拭き終えた今は、見違えるほど綺麗になっている。これならば領主であるルドヴィーク様を迎えても大丈夫だろう。

「いえ、領地にいた頃はメイドとも気安くて、よく手伝っていました。王都ではシェナから止められていましたけど、どちらかといえば身体を動かしている方が好きなんです」
「ほう、それはそれは」

 彼は目を細めてにっこりと笑う。目尻のしわが領地にいるじいやとそっくりで親近感が湧くから、私は何もなくてもにこにこしてしまう。

「結婚式の準備は特に必要ありませんが……ドレスはお持ちになってきたとか」
「はい、こちらでは結婚式では白いドレスと聞いていたので、急いで仕立て直したものがあります」
「……ここ、バルシュ領のことまで調べてくださるとは」
「もちろんです、私にとって第二の故郷になるのですから」

 デイモンドさんはまなじりを指で押さえると「なんと、ありがたいことか」と涙ぐんでいる。そのうち「なのに、坊ちゃんときたら、契約など持ち出して……」とブツブツと呟き出す。

「デイモンドさん、どうされましたか?」
「あ、いえ。こちらのことです。明日と突然ですが、よろしいですかな?」
「ええ、衣装を着てお待ちしていますね」
「はい、迎えに私の息子のゼフィールを寄越しますので、その者と共に来てください」

 にっこりと微笑んだデイモンドさんは、私にはそれ以上何も伝えることなく屋敷を去っていった。


   ◆


 次の日は快晴、朝から急いで身体を磨き、衣装を整え化粧をする。質素とはいっても結婚式だから、綺麗な姿でいたい。デイモンドさんの話では、結婚式は簡易だけれど半年後に行う披露ひろうえんは盛大にするらしい。
 その時までどうかお残りください、なんて含みのある言い方をされたけれど……

「会場はこちらです」

 迎えに来てくれたゼフィールさんは、ほがらかなお父さんと違いとても生真面目そうな人だった。銀色の長い髪を後ろで縛り、眼鏡をかけて笑顔もなく、いかにも有能な側近といった雰囲気をかもし出している。普段はルドヴィーク様の執務を補佐しているようだ。
 ゆっくりと歩く彼の後について、初めて礼拝堂に入っていく。白く小さな建物は、軍事演習もするという広大な庭の隅に建てられていた。
 尖塔の先端には鐘があり、城内に時刻を知らせている。今日は式典のため開始時刻にはカラン、コロンと盛大に鳴っていた。結婚を祝福しているようで嬉しくなる。

「では、お入りください」

 ゼフィールさんは入り口の扉を開くと足を止め、私はそのまま入場していく。といっても、ルドヴィーク様の両親は既にいないため、立ち会うのは数人の使用人頭だけのよう。
 本当は私の家族も招きたかったけれど、外の人を呼ぶ必要はないとルドヴィーク様から止められていた。
 とにかく今日、私はようやく彼と再会できる。それを思うだけで緊張して、手には汗をかいていた。

「本当にいるのかな……」

 扉が開かれる前、つい呟いてしまったけれどそれは杞憂きゆうだった。
 ――いた! ルドヴィーク様!
 彼は漆黒しっこくの長い髪を下ろし、白い式典用の騎士服を着て祭壇の前に立っている。
 今日も金色の肩章には竜の紋がきらめき、金糸の飾り帯が二本も垂れていた。濃い青色のサッシュがかけられ、白い手袋をしている。
 鍛えられた筋肉質な身体の魅力を余すところなく見せつけるような正装だ。あまりにも素敵な姿を目前にすると、それだけで私の足は震えてしまう。
 でも……相変わらず顔の周囲には恐ろしいほどの黒いもやがかかっている。よく見ると腰の辺りも黒くなっていた。
 あんなにももやがかかって、身体は大丈夫なのかな……
 心配になるけれど、今の私は花嫁だ。急に新郎の身体を払うわけにはいかない。
 私は白い花の刺繍のついたドレスを着て、薄いベールを被っている。顔が見えるようではっきりと見えないベールは、辺境でしか採れない糸を使っている。

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