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6、狂人たち

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 カラスが血と汗と精液を洗い流して部屋に戻ってきても、ノーラは同じ場所で同じ格好のまま、つまりベッドの上で全裸で尻を突き出した姿で固まっていた。カラスはこの付き人を放っておいたが、時折視界の端でぴくりと足が動いたり背中が震えたりするので死んではいないと分かっていた。
「おい、いつまでバカみたいな恰好してんだ」
 ノーラはカラスの声に反応してびくっと跳ね、それからおずおずと膝立ちになった。部屋の中を見回し、カラスに目を留める。
「ここ……?」
「部屋に決まってんだろ。天国だとでも思ったか?」
「……ふい」ノーラが真面目な顔――といってもいつもの無表情で頷いた。指先で自分の首筋を触る仕草は、まるでちゃんと首が付いていることを確認するみたいだった。
「バカか。おまえを殺してもデメリットしかない。体、洗ってこい。シーツは取り換えろ」
 言われてノーラは汚れたシーツを見、次いで自分の内股に手をやった。手についたドロッとしたものを神妙に見つめたまま、記憶を思い起こしているのか。ややあって「あらう、からだ」と言って洗面所に向かった。
 カラスは清潔になって戻ってきたノーラにシーツを替えさせ、清潔なベッドに横になった。
「次こそはエリシアをさらう。あいつの魔法は厄介だが万能じゃない。絶対にエリシアには俺の前に這いつくばらせて、靴を舐めさせてやる。それから自分で股を開いて俺のモノを懇願するようになるまで調教してやる」
 カラスの瞳には黒い光が宿っている。強く握りしめた拳は、まるで見えないエリシアの首を絞めているようにも見える。
 ノーラはベッドの横に黙って控えていたが、おもむろに口を開いた。
「なぜ?」
 カラスが寝そべったまま顔だけノーラのほうに向けた。二人の視線が合う。
「エリシア、にくい、なぜ?」先ほどよりはっきりした声でノーラは尋ねた。
 カラスはわずかに眉根を寄せる。
「腐ってもエルフだから同情したのか? それとも同じ女だから可哀そうだとでも思ったか?」
「わたし、どうじょう、エルフ、なし」
「そもそも、おまえが俺のことを知ってどうする? 何の意味がある? おまえに教えることに何のメリットがある?」
 カラスは問い詰めた。ノーラを咎めるような目だった。ノーラは何も答えない。唇を軽く結んだまま、視線を逸らすことなくカラスを見ている。どちらも目を逸らすことなく、沈黙が過ぎていく。
 先にカラスが視線を逸らした。仰向けになり、頭の下に腕を回して枕にした。
「ガキのころ、俺を売ったクソ女に、顔が似ているだけだ」
「うった?」
「騙されて酷い目にあったんだ。おかげで俺はこうして、街中のクズ野郎を殺して回る羽目になった」
「なぜ?」
「それしか生きる方法がなくなったからだ」
「……なぜ?」
「なぜなぜって、いい加減にしろ」カラスは脅し付けるつもりで語気を強めた。にもかかわらず、ノーラは動じるどころか今までにない真っすぐな目でカラスを見つめていた。
「わたし、しりたい、なぜ」
「…………」反対に動揺したのはカラスのほうだった。もちろん心の動きを簡単に表に出すような人間ではないから、ノーラがそれに気づいたかどうかは定かではない。これまでのゴミ溜まりみたいな人生で、「なぜ」などという質問をしてきた奴は、この目の前のダークエルフの少女を除いて他にいない。会話というのは契約のためであり、仕事の確認、報告、その他諸々の作業のためでしかない。誰も人殺しの素性を知りたいなどと思う者はいない。余計な詮索をすれば、次は自分に刃が向けられることくらいバカでも分かっている。それなのに、こいつは――。
「正真正銘のバカだな」本音が口を突いて出たのだった。「誰かに俺のことを探るように頼まれたか? あのロイドって男だな?」
「のー。わたし、しりたい」
「正気か?」
 ふい、とノーラは肯定した。ノーラの言葉を信じたわけではないが、この少女は嘘は吐けないという気がしていた。賢いが、融通は全く利かない。自分の首を本気で刎(は)ねようとしたくらいなのだから。もしも自分とロイドが相反する命令を同時にしたら、こいつはどちらに従う? そういえば、この仕事が終わって、自分が里を去るとき、こいつはどうなる……?
 カラスは瞬きする間に様々な可能性を検討した。結果、ノーラに話したとしても大したことではないと結論した。いや、それは自分への言い訳だったのかもしれない――。
「俺は黒血族の生まれだ」カラスは裏通りを歩く猫のように、静かに話し始めた。「黒血族は戦時中、権力者に仕え、破壊工作、スパイ活動、暗殺、誘拐――汚れ仕事を何でもやっていた。戦争が終わって平和な時代が訪れると、主人には厄介払いされるか、過ちを反省するというパフォーマンスのために公開処刑された。人々には蔑まれ、忌み嫌われた。まるで戦争の被害や損害、生み出した不幸や悲しみも全て、おまえたちが悪いと言わんばかりだ。だから日の当たる場所を避けて、隠れるように貧しく暮らしていた」
 そこでカラスはちらとノーラのほうを見た。ノーラは想像以上に真剣な表情で、足をそろえて床に座り、半身を乗り出すようにして聞いていた。
「俺の家族も、街外れの廃墟みたいな場所に住んでいた。残飯を拾って、死体から剥ぎ取った服を着て、崩れた家の瓦礫の陰で寝ていた。子供からも大人からも石を投げられたし、行ったこともない地域で起きた事件の犯人に仕立て上げられて処罰されたこともあった。……十五のとき、あの女に出会った。あいつは俺に自分から話しかけてきて、パンをくれた。おなか空いてない? 寒くない? 大丈夫? ってな」
 カラスは天井を見ていたが、目に映るのは過去の光景だった。
「あいつは数日おきに俺の住んでいた場所のそばまで来て、食い物や毛布をくれた。まともに口を利いてくれる奴なんて滅多にいなかったから、あのときの俺は友達ができたと思って喜んで、他のことは何も考えちゃいなかった。俺は二つの間違いを犯した。一つは彼女が強盗まがいの連中に襲われそうになっているのを助けたことだ。黒血族の身体能力は人間の中でも優れている。それを彼女に見せてしまった。もう一つは、そこで身を引かなかったことだ。俺は彼女から感謝の言葉をかけられたとき、彼女だけは他の人間どもとは違うのではないかと思ってしまった。だがあいつは俺を裏切り、騙し、罠にはめた。俺は女の手引きによってある組織に売り飛ばされ、暗殺者として教育され訓練され、血を吐きながら生きて、クズみたいな奴を殺し続けた。三年前にその組織は抗争だの何だので壊滅状態になって、俺は遠い街へ逃げおおせて、たまたま知り合ったあの男のおかげで何とか生計を立てている」
 そこでカラスは身を起こしてノーラに自嘲的な笑みを向けた。
「満足したか?」
「ふい。カラス、ダークエルフ、おなじ」
「同じなものか」
「わたし、ちち、はは、ふめい」
「捨て子ってことか」
「ふい。うらぎり、おなじ」
「なるほどな。両親に裏切られたわけだ」
「ふい。ロイド、おさ、きょういく、くんれん」
「だいたい分かった。おまえも運のない奴だな。だが生まれる場所は選べねえ、文句を言っても何も変わらない」
 ノーラは静かに目を閉じた。彼女が何を思うのか、カラスには分からないが、こいつももしかしたら泥水をすすり、血を吐いた日もあったのかもしれないと思った。
「ロイドや長をどう思う? おまえの力があれば復讐の一つや二つできるだろう」
「わたし、うらみ、なし。かんしゃ、あり」
「そうか。好きにすればいい」
「する、しごと。ゆうかい、エルフ。はめつ、エリシア」
「ああ。だが殺すのはダメだ。エリシアには生きて屈辱を味わわせる。他は殺してもかまわん」
「……ふい」珍しく含みのある返事だった。何かあるのか、とカラスが黙って待っていると、予想通りノーラが口を開いた。「カラス、つよい?」
「ほどほどな」
「かのう、しんにゅう、おうきゅう?」
 カラスは妙な質問に目を細めた。
「王宮ってのはエリシアがいるところだな? 魔的な障壁さえなけりゃ侵入は可能だろうが、さすがに人質を連れて戻るのは厳しいものがあるぞ」
 ノーラには逡巡が見て取れる。それはつまり彼女にも彼女の意思があり、ただの操り人形ではないということか――。しばしの沈黙ののち、ノーラは姿勢を正して座り、カラスを見据えた。
「……ていあん、あり」
「言ってみろ」
「カラス、きょうはく、エリシア。エリシア、かいじょ、けっかい。オーク、しゅうげき」
「待て。オークだと? その単語はどこから出てきた?」
「オーク、うらみ、エルフ。ダークエルフ、おなじ」
 昔、オークの奴隷を戦場で捨て駒にしている国があったのを、カラスは思い出した。オークと言えば、人間が腫れて膨れ上がったような醜い姿をした種族だ。彼らは確かにダークエルフと同様、忌み嫌われ、排斥され、痩せた土地で獣のような生活をしているという話だ。粗野で乱暴で知能が低いが、強靭な肉体と底なしの体力を兼ね備えている。
「おまえたち、オークと共闘できるのか?」
「ふい。かのうせい、あり」
「オークってのは言葉が通じるのか? 信用できるのか?」
「ことば、あり。わたしたち、あげる、ほうしゅう。オーク、しんよう」
「俺に払う金にも困ってるくせに、どんな報酬が払えるってんだ」
「ほうしゅう、エルフ。すべて。あらゆるもの」
「……おいおい」
 エルフが持つ物のすべて。そこにはエルフたちの肉体や権利も含まれていると解釈すべきで、つまり、本当にエルフを滅ぼし、すべてを力づくで奪う前提だ。無論、そんな行為に及べば、エルフも黙っていないわけで、これはもう、それぞれの種の存続をかけた決戦、死闘にならざるを得ない。エルフ対ダークエルフ&オーク連合軍。双方の死傷者はおびただしい数に上るだろう。そうまでしなければ、ダークエルフは生き残れないのか。
「本気で戦争を提案しているのか?」
「ふい」
「そのお膳立てというか、口火を切るのが俺だと? 俺が王宮に忍び込んでエリシアを脅して、村の結界を解除させろと?」
「ふい。カラス、かのう」
「失敗したら俺だけ捕まって破滅だ」
「カラス、しない、しっぱい」
 そうまではっきりと言われるとは思ってもいなかった。何を根拠に断言するのか。その自信はどこから来るのか。やはりダークエルフは皆すでにイカれてしまっているのか。
「俺への報酬は?」
「エリシア。ざいさん。のこり、あげる、オーク」
「そもそも、戦争を始める始めないの決定権はおまえにはないはずだ」
「ロイド、おさ、さんせい」
「口で言うのと実行するのとじゃ話が全然違う。それにここの連中は戦場に立ったことがある奴が一人でもいるのか? はっきり言って、どいつもこいつもしけた顔したのばかりだ。とても戦えるようには見えない」
「わたしたち、きぼう、なし。せんそう、あたらしい、きぼう」
「戦争は希望なんかにならない。どっちにも絶望しかもたらねえよ」
「わたし、せっとく。ロイド、せっとく、じょうず」
 カラスはため息を吐いた。
「だったら必要な説得を全て終わらせてから来い。その上で長が頼みに来るなら話を聞いてやる」
 早速ノーラはロイドと長に会いに行った。
 そんな一日、二日で戦争への合意がなされるわけがない。しかし驚くべきことに、翌日の夕方、長とロイドがやってきて、戦争を始めるために力を貸してくれと言った。
「エルフの巨大結界は代々王女が受け継いでいるものでございます。カラス様には何らかの手段でエリシアに結界を解除させ、村を無防備にさらしていただきたい。それさえやっていただければ、そこから先はオークと我々が引き受けます。結界を失い、逃げ惑うエルフたちの魔法なんぞ、オークの力業でたやすく捻じ伏せることもできましょう」
「そんなにうまくいくわけがない。作戦ってものは、常にあらゆる角度から不測の事態にさらされて、修正や妥協を余儀なくされるんだ」
「うまくいかなければ、我々は滅ぶのみでございます。カラス様がご無事でありますよう、できる限りの支援を致しましょう。作戦の途中で問題が発生しても、カラス様はご自身の安全を優先し、作戦を放棄しても構いません。困難な作戦ゆえ、当然でしょう」
「俺が放棄したらその時点でおまえたちはどうしようもなくなるんだぞ。全ての準備が無駄になる」
「我々がカラス様を使い捨てるという可能性もございますから、リスクはお互い様です。我々ダークエルフに必要なのは、保証ではなく希望なのでございます。一流の暗殺技術を持つカラス様なら、きっとエリシア姫に結界を解かせることができるに違いありません」
「馬鹿げている。俺は魔法に関してプロでも何でもない。エリシアが結界を解いたかどうか確かめる方法も知らない。そんなんじゃ、拷問しても自白させても意味がない」
「わたし、かくにん」ノーラが口を挟んだ。
「一緒に王宮に忍び込むのか?」
「ふい」
「ええ、ノーラならその判定が可能でございます」
 カラスはノーラを見て、忌々しそうに舌打った。
「第一、なぜ戦争なんだ。女をさらって孕ませるという話はもういいのか?」
「その作戦はカラス様の素晴らしき手腕のおかげで成功しております。だからこそ、我々はあなたに、もっと大きなものを賭けてみたいと思うに至ったのでございます」
「俺はエリシア襲撃を失敗したぞ」
「失敗ではございません。やがて来る圧倒的勝利のための布石。わたくしには、そう思えてなりません」
 ロイドだけではない。長もノーラも、本気でそう信じている顔つきだった。カラスは薄ら寒さを感じた。こいつらに何を言っても、考えは変わらないだろう。であれば、選択肢は戦争に乗るか、降りるかしかない。
 すでに受け取った金を持って、あの黴臭い部屋に戻るというのも悪くない。それなりのものは得たのだ。しばらくは生活に困らない。朝、目を覚まして、パンや缶詰を食って、商売道具の手入れをして、ソファに寝転んでお気に入りのクソつまらない雑誌を読み、いつの間にか日が暮れて、気が向けば娼婦を買いに繰り出し、あの頃あんなに欲しかった自由を全身に感じながら、これが自由かとまどろむ。泥水をすするような屈辱も、血を吐くような痛みも、そこにはない……。
「俺は降りる」カラスは毅然と言い放った。「話は聞くと言った。だが聞いたからといって必ず協力するとは言っていない。俺はおまえたちを信用しているわけではないし、一方的な契約変更はお断りだ。第一、圧倒的なリスクに対してリターンが小さすぎる。こんな作戦を引き受けるのは、狂った死にたがりだけだ。俺がいなくなってから、滅ぶでも滅ぼすでも好きなようにすればいい」
 カラスは言い捨て、三人に背を向けた。帰りの身支度を始める。それ以上、口を挟む者はいなかった。
「世話になったな」
 まとめた荷物を肩にかけ、部屋を出ると。
「せわ、なった」
 なぜかノーラが横にぴたりと寄り添って、ロイドと長に挨拶した。
「道案内なんぞいらん」
「のー。かえる」
「は?」
「かえる。いっしょ」
「契約はもう解消しただろうが。聞いてなかったのか?」
「せんそう、けいやく、かいしょう。わたし、けいやく、けいぞく」
「ふざけるな。戦争もおまえも全部セットだ!」
 首根っこをつかんで放り投げ、バタンとドアを閉めた。だが直後、ノーラが出てきた。
「わたし、つきびと」
「解消だ!」
「かいしょう、ふかのう!」
「付いてくるな! これは命令だ!」
「めいれい、きょひ!」
「ふざけるな! だったら今この場で殺してやろうか!?」
 一瞬のうちに獲物を抜き放ち、ノーラの細い首へと一閃。だが凶刃は首の薄皮一枚しか切り裂かなかった。
「どうして逃げなかった?」
「し、きょうふ、なし」ノーラは微動だにせず、まっすぐにカラスを見上げている。「わたし、しょゆうぶつ。ころす、じゆう」
「俺の所有物で、殺す権利があるなら捨てる権利もあるな? 俺はおまえをここに捨てる。だからここにいろ」
「わたし、まつ。カラス、ひろう」
「ああそうだ。そこから一歩も動くな? そこで待ってろ。じゃあな」
 今度こそカラスは里の出口に向かって進んだ。ノーラが付いてきていないことは振り返らずとも気配で分かる。まったく、あんな女に付きまとわれてはかなわない。やばい連中とこれ以上付き合うのは百害あって一利なしだ。
 里を隠している結界を抜けると、里の景色が消えて深遠な森の中に立っていた。試しに結界のあったところに手を伸ばしてみても、手は空気を掻くだけだった。魔力を持たない者はそこへ戻るすべを持たないわけだ。
 森を抜け、最も近い町で宿をとった。明日、夜明けとともに荷馬車で出立するつもりだった。
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